第224話 告白-IrreplaceableExistence
クレアの涙が止まり、憂いが消える。
少しぎこちない笑顔が降り注いだ。
その笑顔に俺の右目から涙が零れ落ちる。
一瞬の感情の発露。
それを瞬時に堪える。
目は逸らさず、耐え忍んだ。
我慢し続けた感情の暴発に驚きはしたが、ギリギリのところで自制が働いてくれた。
俺は照れながらその涙を拭う。
その時。
不意にゴードンが立ち上がった。
椅子から立つ音が教室の中で木霊する。
俺は生唾を飲んだ。その音もまた静寂の中に響き渡る。
耐えた感情の発露も消し飛ぶほど、俺は混乱した。
ゴードンは真顔だったからだ。
その表情のまま、ゴードンはゆっくりと俺とクレアの前に立つ。
冷汗が、背中を這った。
手足が震える。
暫しの沈黙。
空気の音が聞こえた気がした。
ゴードンが徐に俺を眺める。
その眼からは感情は読み取れない。
ただ、唯一この場で涙を流していないゴードンの眼は射抜くように鋭く、俺は怯懦に震えた。
情けないが俺は怯えていたんだ。
俺の脳裏には嫌な文字が連なって浮かぶ。
拒否。
否定。
嫌悪。
それは尤も恐れる感情ばかりだった。
冷汗と震えは未だ止まらず、俺は思考の柵に囚われていた。
怯えが、増幅する。
俺はゴードンから拒絶されることを恐れていたんだ。
その時、クレアが握っていた手を強く握ってくれた。
俺はハッとして横目でクレアを見る。
クレアは黙って頷いてくれた。
俺はそれでやっと揺らいだ覚悟を取り戻す
軽く深呼吸をし、冷汗と震えを止めた。
眼を閉じ、脳裏に浮かんだ言葉を掻き消した。
程なくして目を見開き、真っ直ぐにゴードンを見つめる。
彼がどのような答えを出そうとも受け入れよう。
その決意が遅まきながら漸く持てた。
「ゴードン……」
振り絞った言葉はそれでも震えている。
「ふぅ……」
ゴードンは嘆息した。
刹那、ゴードンの表情が悲しみに塗れた気がした。
「色々と考えた。流石にこれだけのことを見させられ、聞かされれば惑うものだ」
ゴードンの言葉は抑揚がないため感情はまだ読み取れない。
俺は緊張からか、無意識に奥歯を噛み締めていた。
「すまない」
素直に謝罪の言葉が飛び出す。視線も自然と下がった。
「それに少し悲しかった」
泣いているような声色のゴードンの言葉が響く。
俺は不思議に思って視線をゴードンに戻した。
「あの姿を見せたのが我が最後だということが」
真意がわからず、俺は戸惑った。
「それもすまない。ただ、他の皆は成り行き上仕方がなかったんだ。俺の意思であの姿を見せたのはゴードン、お前だけだ」
戸惑いながらも、俺は再び謝罪の言葉を吐く。
ゴードンは沈黙したまま俺を眺めた。
その瞳は微かに憂いを帯びている。そんな気がした。
「そうか……それを聞くと少しだけ溜飲が下がる」
ゴードンの瞳が先ほどより深く、深く、俺を見つめる。
それは心の奥底に届く一筋の光のような、暖かさを感じるものだった。
「貴公の苦しみはわかった。いや、その全てを我が理解することは不可能だろう。しかし、その一端は理解したつもりだ」
ゴードンの言葉が重く、それでいて不快感なく俺の心に響く。
やがてそれは波紋の如く、広がっていった。
「貴公の迷いと苦しみ。それは推し量るには、我如きでは余りにも力不足だ」
そんなことはない。
その言葉を吐こうとした時、ゴードンの視線が俺を制した。
真っ直ぐな力強い視線が俺の心を穿つ。
「それでも我は貴公のその苦しみ受け止めよう」
「え?」
俺はまた戸惑った。
「アイガ、我を見縊るな」
混乱する俺に突き刺さるゴードンの言葉。
それには激しい怒りが混じっていた。
「あの姿を見たからなんだというのだ!」
ゴードンの言葉は、宛ら魂から直接吐き出される叫びのような、そんな威力を持っていた。
「あの姿だから貴公と友人関係を解消するような……矮小な器量の人間だと思ったのか!」
俺はやっと気づく。
怒りだけじゃない。
ゴードンの言葉には悲しみも混じっていた。
その証拠にゴードンは啼いていた。
啼いていたんだ……
「我は! 気高きオークショット家の嫡子!」
その涙を見て、俺は漸くゴードンの真意に気付けた。
彼の誇り高い魂の叫びが俺の中に感情を揺り動かす。
「我はゴードン・オークショット!」
ゴードンが右手で拳を作り、俺の前に突き出した。
「その程度で貴公との友情を取り消すような堕落した人間性など持ち合わせていない!」
宣誓にも似たその言葉に俺の感情はボロボロと崩壊していく。
もう……怯懦など消え去っていた。
「回りくどい言い方になったな。少しだけ気分を害したのは事実なのだよ。だから少し高邁な言い方になった」
ゴードンの表情が柔らかくなる。
握っていた拳は解かれ、下に降りた。
「我を見縊るな。この言葉に全て集約されている。我はこんなことで貴公と友人関係を止めるつもりなど毛頭ない」
そうだ。その通りだ。
俺はゴードンを見縊っていた。見誤っていた。
彼はそんな小さい男じゃない。
自らの過ちを認め、皆のために命を懸けられる高潔な男だ。
また……俺の……
自慢の……
「我は、まだ貴公を……アイガ・ツキガミを一人の人間だと思っている。そして友人だとも思っている。掛け替えの無い友人だと……貴公は違うのか?」
「俺は……」
ゴードンの言葉に、表情に、態度に、俺の感情は決壊した。
堰き止めていた、必死に耐えていた涙が、俺の両目から零れ落ちていった。
嗚咽混じりに、俺は泣く。
それはゴードンに対しての懺悔も含まれていた。
俺は信用しきれなかった。
ゴードンを。
だからこそ恐れたんだ。
大切な友達を失うことが怖かったんだ。
だが、それは杞憂に過ぎなかった。
ゴードンという男はその程度の男じゃなかった。
それに気付いた時、加えてゴードンの懐の深さに触れて、俺の感情はもう抑えが利かなくなってしまった。
少し前の俺ならこんな自分の姿を恥じだと思っただろう。が、今は違う。
これは恥でも何でもない。
己の至らなさが招いた当然の結果だ。
ただ、どこか嬉しさもあった。
ゴードンの優しさが。
一頻り泣き、涙を拭った時、気付いた。
下に降ろされていたゴードンの右手が握手を求める形になっていることを。
「貴公のいた世界では握手をして友情を確かめるのであろう。ならば今一度握手をするべき時ではないか?」
まだ流れ落ちる涙の中、俺はすぐにその手を握った。救いを求める亡者のように。
そう、救われた。救われたんだ。
心からそう思ったんだ。
「ありがとう……俺も……友達だと思っている……」
涙声で掠れた声が静かに教室に響き渡る。
「僕もだよ!」
いつの間にか、ロビンが近くにいた。
いや、ロビンだけじゃない。
サリーとジュリアもいる。
全員、泣きじゃくっていた。
「僕も! アイガ君と友達だと思っている」
そう言って、ロビンは俺とゴードンの重なる右手にそっと自分の右手を置いた。
「私もですわ」
サリーが同じようにそっと手を重ねる。
「私も」
ジュリアも手を重ねてくれた。
「さぁ、クレア様も」
サリーがクレアを促す。
「え……え……」
戸惑うクレアの右手をサリーが無理矢理持ち上げた。
そのまま、空中で放す。
「さぁ」
サリーは優しく微笑んだ。
一瞬黙考したクレアも泣きながら満面の笑顔になる。
「皆……ありがとう……」
最後にクレアの手が重なった。
全員泣いていた。
そして笑っていた。
前にいた世界じゃあ絶対に手に入らなかったものがそこにはあった。
掛け替えの無い友達。
それがこれほど尊いものだとはわからなかった。
こんなに素晴らしいものだとは思わなかった。
俺は今日という日を生涯忘れないだろう。
幸せだ。
心からそう思えたんだから。
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