第223話 告白-Responsibility

 次なる記憶は心のさらに奥深い場所にあった。

 加えて言うなら、大切に保管されている。それこそ宝箱のように。


 先ほど微かに痛みを伴った記憶はもうない。

 黒い靄すらもなくなっていた。


 俺はもうあの記憶を探すことを諦めている。

 仕方ない。

 あの記憶は、また後日探ってみよう、そう思っていた。


 兎にも角にも、今は違う記憶をひもとくときだ。

 

 イメージではあるが……

 取り出した記憶は埃塗れで古臭いアルバムのようなもの。が、懐かしい。そして色褪せていない。

 それは俺がまだこの世界に来る前のもの。


 そうあのワームホールに入る直前の記憶。



 俺は養護施設で暮らしていた。クレアもいたあの養護施設だ。

 あの日は綺麗な三日月だった。


 俺たちが暮らしていた養護施設では小学校中学年くらいまでは大部屋で男女関係なく雑魚寝をしていた。

 あの日も俺は馬鹿みたいに大の字で眠っていた。

 

 ただ、普段なら爆睡して、次の朝までのんびり寝ていたが、あの時だけは何故か目を覚ましたんだ。

 

 喉が渇いていた。途轍もなく。

 普段なら我慢できた。


 だけど、あの日はどうしても水が飲みたかった。

 同時に面倒臭さもあった。

 台所まで行けば冷蔵庫がある。そこに麦茶があったはずだ。


 飲みに行くか、どうするか。俺は布団の中で逡巡していた。


 そんな時、不意に音がした。微かな、微かな音だった。

 俺は布団の隙間から覗き込む。


 クレアだ。


 クレアがゆっくりと立ち上がり、部屋を出ていった。

 トイレか? それとも俺と同じように喉が渇いたのか?


 俺はそんなことを考えながら天井を見ていた。

 もし台所に向かったなら俺も行こうか。

 一緒に飲むか。

 トイレだったら悪いかな。


 そんなどうでもいいことが頭の中を駆け巡る。

 一向に眠気は来ない。

 

 すると、ガラガラと扉を開ける音がした。

 即座に俺は起き上がった。


 クレアが外に出たんだ。

 すぐにわかった。


 だが何故?

 まさか?


 当時、クレアは酷い虐めによって精神的に疲労していた。

 脳裏に浮かぶ嫌な想像が、俺を駆り立てる。


 俺は迷うことなくクレアを追いかけた。

 静かに、しかし速く。


 養護施設から飛び出し、暗闇の道を直走る。

 三日月が怪しく輝く中、俺は一心不乱にクレアを追いかけた。


 やがてクレアの背中が見える。

 同時にアレを見つけた。


 一本道の林道に浮かぶ白いナニカ。

 今思えばアレは孔だったのだが、当時の俺は何か判断がつかなかった。


 身の毛がよだつとはこのことだろう。

 全身の毛が逆立ち、鳥肌が止まらなかった。

 恐怖心が遅れてやってきた。

 怯懦に塗れ、生唾を飲む。

 失禁しなかっただけが救いだ。


 それはきっと本能だったんだろう。


 空間を消しゴムで消したような、否、ナイフで削り取ったような、異質すぎるそのナニカは十歳の子供の脳では理解ができなかった。

 理解ができないことは、イコール恐怖に直結する。


 不気味なそのナニカを目の当たりにし、崩れ倒れそうになった時クレアの異変に気付いた。

 彼女は迷うことなくそのナニカに向かっていったのだ。


 咄嗟に俺はクレアの腕を掴んだ。


 俺はクレアを止めた。必死に。無様に。


 恐怖で泣きそうな、不細工な顔で、取り繕った、心の籠っていない言葉でクレアを止めようとした。

 だが、止められなかった。


 その時に初めて知ったんだ。

 俺がクレアを何一つ守れていなかったことを。

 全て、ただの自己満足だったことを。

 

 俺は一欠片すらもクレアの心を守れていなかったんだ。


 その全てを理解したとき、彼女は白いナニカに吸い込まれていった。


 後悔と懺悔が押し寄せる中、俺は無我夢中でクレアの後に続いた。

 

 そして……

 俺はこの世界に来たんだ。


 招かざる者として。

 この世界に愛されていない者として。

 

 

 俺はそこまで伝えるとまた全員の顔を眺める。


 ロビンとゴードンは青白い顔のまま固まっていた。

 サリーとジュリアは泣いていた。


 クレアは……

 嗚咽混じりに啼いていた。


 俺は込み上げる感情を心に押し込む。


「そんな……じゃあ……アイガ君は巻き込まれたの?」


 ジュリアに呟く声が静かに重く、重く、響き渡った。


「ジュリア、それは違うんだ」


 つい語尾が強くなった。

 その声にジュリアがハッとした顔で俺を見る。少し怯えているように見えたのは錯覚だっただろうか。


「違うんだ。巻き込まれたんじゃない。俺が飛び込んだんだ。この世界に。己自身の意思で」


 俺はできるだけ気持ちを落ち着けてそう答えた。

 そう俺は巻き込まれたんじゃない。

 自らの意思で、この世界に来たんだ。ただ、こちらの世界が俺を呼んでいなかっただけで。


 今回、皆を集めた最大の目的はここにある。

 俺が俺自身の意思でこの世界に来たことを明確にするためだ。

 絶対にクレアの所為ではない。

 それだけはしっかりと伝えなくてはならない。


 責任の所在を求めるのであればそれは俺自身だ。

 どこまでいっても、全て、俺の責任だ。


「でも……でも……それじゃあアイガ君は何の力もないままこの世界に放り出されたってことでしょ?」

 

 ジュリアの涙声が心に響く。


「あぁ。力はなかった。だから手に入れたんだ。氣という力を」

「手に入れたって……簡単に言っているけどそれって……」


 ジュリアは鋭い。

 俺が省略した内容を推察しようとしていたのだから。

 俺はジュリアの目をじっと見つめた。


 暫し沈黙が流れる。

 

 そして、俺の真意を読み取ってくれたのか、ジュリアはまだ何か言いたそうだったが飲み込んでくれた。

 黙ったまま頷き、流れ落ちる涙を拭う。


「違う……自己責任なんかじゃない! 全部私の所為! アイガは私を守ろうと、助けてくれようとしてあの孔に飛び込んだんでしょ! 私が! 巻き込んだの! 私が!」


 クレアは立ち上がり、俺の下に駆け寄った。

 

 その美しい貌は涙に塗れ、悲壮と絶望が入り混じったものになっている。

 それはこの世で一番、俺の心を穿つものだった。

 

「そんな顔をしないでくれよ、クレア。それに……やっぱりこれは俺の責任だ。クレアの所為じゃない」


 俺はクレアに満面の笑みを向ける。


「泣かないでくれよ、クレア。俺は本当にクレアの所為なんて思っちゃいない。全部自分の責任だ。その言葉に嘘偽りはないんだ」

「でも……でも……」

 

 クレアの瞳から涙が止めどなく溢れた。

 俺はクレアの手を優しく握る。

  

「クレアが責任を感じる必要なんてないんだ。それに……こっちの世界に来たことを俺は後悔していない」

「グス……グス……どうして?」

「だってほら、こうしてまたクレアに再会できた。それに……」


 俺は皆を見渡した。

 クレアも釣られて皆の方を眺める。


「こうやって友達ができた。あっちの世界にいた時じゃあ考えられないことだよ」


 クレアの表情が少しだけ和らいだ。


「俺には友達なんてものいなかった。それが……こっちの世界に来て、ロビン、ゴードン、サリー、ジュリア、こんなにも沢山の友達ができた。掛け替えの無い大切な友達ができたんだ」


 心の底から思っている言葉は滑らかに淀みなく口から出ていく。

 恥ずかしい台詞ではあるが、そこに羞恥心はなく、心は寧ろ晴れ晴れとしていた。


「うん」


 クレアは涙を拭いながら首肯する。

 きっと彼女も同じ思いなのだろう。


「俺は後悔なんて微塵もしていない。だから……クレアの所為じゃない。強いて言うならクレアのお陰だよ。こんなに素晴らしい世界に俺を導いてくれたんだから」

「アイガ……」


 俺はもう一度笑った。


「何度でも言うよ。クレアの所為じゃない。だから泣かないでくれ。自分を責めないでくれ。俺は……クレアに笑っていてほしいんだ」

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