第222話 告白-Incorrect
記憶の邂逅。
沸々と湧きあがる憎しみに俺は溺れぬよう必死に耐えた。
加えて古傷の瘡蓋を無理矢理剥がしたような痛みが心に走る。
今まで忘れようと努力していたあの地獄の日々を思い出したからか、疲弊が俺を襲っていた。
それでも俺はその記憶をなぞる。
ん?
不意に不自然な痛みが脳内に奔った。
俺はその痛みを顧みる。
なんだ?
俺は記憶のページを只管捲った。
痛みがまた走る。
まるで静電気のような、一瞬の痛みだ。
それが続く。
無意識に蟀谷を擦った。
それでも俺はページを捲る。
何度も、何度も。
その都度、痛みが奔る。
それが繰り返された。
痛みはさらに加速し、強くなる。
そして気付いた。
今思えばどこかおかしかった。が、俺はそれをおかしいと思っていなかった。
いや、対峙してこなかったんだ。
辛い過去を見ることを恐れていた。
加えて考えることから逃げていた。
脆弱な心が過去から逃げていたんだ。
その所為で俺は気付けないでいた。
だが、今回改めて記憶の旅に出て気付いた。
自分の記憶の不自然な点に。
余りにも過酷すぎたあの地獄の日々。
一日たりとも忘れたことはない。忘れたことはなかったが……
記憶の順序が乱れていた。
全ての順序が違うのだ。
まるで杜撰な書物。乱丁も甚だしい。
スタートとゴールも違う。
全てチグハグなのだ。
俺は所謂記憶違いを起こしていた。
何故だ?
俺の脳は思った以上に脆かったのか?
幼い頃の俺はあの地獄に耐えられず記憶の改竄を行っていたのか?
わからない。
しかし、記憶は確実に間違っていた。
俺はその間違いを正す。
丁寧に、丁寧に記憶のページを戻していった。
もう、痛みはいつの間にか薄らいでいる。
そうだ……
俺は……身体を鍛え、魔人の証明を施し、宵月流殺法術を学び、氣を手に入れ、そしてあの化け物の姿になった、と思っていた。
だが、本来の順番は違う。
最初に化け物の身体を手に入れたんだ。その結果、俺は氣を手に入れ、それから身体を鍛え、宵月流殺法術を学び、魔人の証明を施したのだ。
そうだ……俺は……
力を手に入れるために化け物になったんだ。
化け物になったから氣が使えるようになったんじゃないか。
化け物の……獣王武人の『特性』として氣があった。その力を宿すために俺は身体に獣化細胞を打ち込んだんだ。
あの牢屋から出た時、シャロンは言った。
『その力はまだ赤子。ここから育てなくてはならないわ』
育てる?
『えぇ。まだ小さく幼いその力では足りない。だからこそ育てるの』
どうやって?
『その道のエキスパートを用意しているわ。近日中に紹介できるはずよ』
この上なく嬉しそうに、この上なく醜く、あの女は嗤っていた。
あの時……
俺はシャロンの説明を最後まで聞かずに、あの女に挑んだ。
手に入れたばかりの力で。
今までの怨みを晴らすべく。
全身全霊で怒りをぶつけた。
だが、結果は無惨なものだった。
文字通り手も足も出ない、そんな惨敗っぷりだ。
地獄を経て手に入れた力が通用しない。
敗北よりもそれが辛かった。
屈辱の中、茫然自失する俺にシャロンは悪魔のような笑みを浮かべてもう一度同じセリフを吐く。
『その力を育てなさい』
そうか、育てるのか。
いいだろう、この力を俺はもっと強くしてやる。
そして必ず俺がお前を殺す。
俺はそう誓った。
その後、俺は師匠を紹介してもらい、師匠の下で修業したんだ。
ガイザード王国の中でも秘境中の秘境、オルヴェー山に赴きそこで宵月流殺法術を学び、武をこの身に宿した。
さらに魔人の証明を施し、通常時でもある程度戦闘できるようにしてもらったんだ。
記憶の混濁。再編。間違い。
全てを正し終えた時、軽く吐き気を催していた。
疲労だけじゃない何かがある。
俺はその正体が掴めぬままだった。
黒い靄の中にいるような感覚。
俺は必死に手を手繰る。
記憶の奥を無造作に掻くように。
あれは?
不意に記憶の奥底から何かが見えてきた。
まるでゆっくりと箱が開くように。
これは?
師匠との思い出?
一体……
俺の手がその箱に触れ……
「あの……アイガ君」
突然呼ばれ、俺は現実世界に戻った。
徐に見えそうになっていた記憶は再び彼方へと消えていく。
俺を呼んだのはロビンだった。
乱れていた呼吸をすぐに戻し、震えていた身体に力を入れる。
虚勢だ。
それでも俺は平静を装った。
記憶の旅はきっと時間にして一分にも満たない時間だっただろう。
走馬灯の如く駆け抜けた記憶の残滓が俺の精神を蝕む。
「大丈夫? 顔色が凄く悪いよ」
こんな状態でも他者を慮るロビンの優しさが俺の心を潤した。その優しさに涙腺が緩むが澄んでのところで何とか踏み止まれる。
俺は一旦外を見た。
流れ落ちそうな涙を引き留め、悶え苦しむ心を隠したのだ。
一拍置いて俺は、
「大丈夫だ。問題ない。ありがとう、ロビン」
と返す。
最後の謝意にロビンは首を傾げたが、俺はそのまま中空を見つめた。
心が僅かに落ち着く。
消えた記憶はまたの機会に紐解こう。
今はまだ記憶の抽斗にしまっておいてもいいはずだ。
俺は全員の顔を瞠った。
「では、本題に入ろう。そう皆に聞いてもらいたい話はここからだ。長い回り道をさせてしまい申し訳ない。ただ、俺のあの姿を先に見せておいたほうが、この話をすんなり受け入れてもらえると思ったんだ」
俺は次なる記憶の本を脳の中で取り出す。
これもまた忘れることのできない大切な記憶だ。
一度足りても忘れたことはない。
今も、昨日のことのように、全てを綺麗に思い出せる。
全ての始まりの日。
俺がこの世界に来たあの日の記憶だ。
視線は目の前を漂わせている。
だが、意識だけはクレアに向いていた。
どう取り繕ってもここからはもっと、如実に彼女を傷つけてしまう。
それでも言わねばならなかった。
俺は揺らぐ覚悟を引き締め、己の過去を徐に語る。
あの日のことを。全てが始まった日のことを。
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