第215話 王都護衛部隊・総司令-中編
「はい! そこまで!」
大声と共にイーブンが柏手を叩く。
その音によって部屋の中に立ち込めていた殺気が消えた。空気が瞬く間に浄化されていく。
合わせてオッドはすぐに机の抽斗からロリポップ、所謂ペロペロキャンディを取り出し、それを総司令の口に突っ込んだ。
本来なら無礼極まりない行為だが、当の本人は嬉しそうにそれを頬張る。無邪気な笑顔となって。
今の今まで人を殺そうとしていた人物とは思えないほど柔和な笑顔だった。
「総司令、落ち着いてください。ベンジャミンさんは王都監察庁護衛部部長としての立場があります。四番小隊の活躍によって得られた情報を無暗に公安委員会に渡すのを良しとしないのも詮無いことですよ」
オッドが優しく、まるで母親が子供に言い聞かせるように諭す。
総司令は足を机の上に置き、椅子の背凭れを限界まで倒した。
「そうか。それもそうだね。ごめんね、ベンジャミン」
反省しているようには見えないが、その貌からはもう殺意は完全になかった。
ベンジャミンは立ち上がり、よれたスーツを正す。
軽く息を吐いて流れる汗を拭った。
「いえ……」
その言葉を絞り出すのが精一杯だった。
ベンジャミン・フラム。
王都監察庁に勤務するエリートである。
王都監察庁とは、戦事の王都護衛部隊と政の王都行政省庁を繋ぐパイプのような組織だ。
王都護衛部隊は独立した組織である。それが暴走したとき、国家に甚大な被害を齎す。そうならないよう、適切に管理、監査しなくてはならない。
そうした名目で誕生したのが王都監察庁だ。
しかし、現在ではその目的は形骸化している。
そもそも戦闘に特化した人間や上流貴族が多数犇めく王都護衛部隊に意見することなど不可能に近い。
また、ガイザード王国において王都護衛部隊は憧れの的。人気も絶大だ。
余計に監査がし難いというのが実情である。
さらにもう一つ、決定的な問題があった。
王都監察庁の人間は殆どが平民の出自だということだ。
王都監察庁ができた表立った理由は前述の通りだが、元来の目的は違う。
それはバランスとガス抜きだ。
貴族のみが国家を運営すれば偏りが出、歪みが生まれる。それは忌避しなくてはならない。
そして平民が貴族に必要以上に反感を抱かないよう、平民でもある程度成功するルートを制作しておかなくてはならない。
そうした目的、実情から生まれたのが監察庁という組織だ。
まさに苦肉の策。
こうした経緯から生まれた組織に権力などがあろうはずもない。
ここで働く者は平民出身で魔法の才能に愛されなかった者たちばかりだ。
才能さえあれば王都護衛部隊なり、民間ギルドなりで名を馳せることが可能。
だが、それが叶わない人間がいることも事実。
監察庁はそうした人間たちの最後の救済なのだ。
それ故に現在においては、王都監察庁の真の役割は政の行政機関と王都護衛部隊の橋渡しという役目になっていた。
いわば王都評議会の組織版……いや劣化版だ。
正し、ここに入るだけでも凄いことである。
必然的にエリートとも呼ばれた。
ただ気苦労が多く戦闘特化の部隊と遣り合うには精神的にタフでないといけない。
そうした意味ではベンジャミンは向いていないのかもしれない。
彼は軽く嘆息した。
胃が蠕動し、痙攣と微かな痛みを訴える。
彼の脳裏には今、現実逃避か、四番部隊の一人と楽しく会食していた思い出がプレイバックしていた。
監察庁の人間は、時として相手をする護衛部隊の人間と懇意になる場合がある。
これは王都護衛部隊の側からすれば一々難癖を付けてくる行政側を上手く捌いてくれる監察庁の人間を懐柔しておいた方が楽になるという思惑があるからだ。
そしてこのベンジャミンもその作戦によってか、わからないが四番小隊と個人的に仲良くなっていた。
それが悪いのか、と言われればグレーではあるが、人間である以上、個人間の付き合いまでは制限できない。
果たして、四番小隊の人間がベンジャミンと本当に仲良くなりと思っているかは別だが。
彼らが仲良くしたいのはベンジャミン・フラム個人ではなく、監察庁護衛部部長という
そうした経緯からベンジャミンは四番小隊に必要以上に肩入れしている。
先ほどから総司令に意見しているのも、こうした背景があるからだ。
加えて、このことを総司令は把握している。
だからだろうか、眼前に汗にまみれるベンジャミンを見る目は軽蔑の色合いが含まれていた。
そんな時、
「総司令、ちゃんと説明してあげてください。あまりにもベンジャミンさんが可哀想です」
オッドはまた諭すように総司令に声をかけた。
このオッドの発言に汗を拭っていたベンジャミンは目を丸くする。
「ん? あれ? 言ってなかったっけ?」
「何も仰ってませんよ」
総司令はペロペロキャンディを舐めながら天井を見上げた。先ほどまでの自分の発言を確かめているようだ。
「あぁ、そうか。それは僕が悪いね。ごめんよ、ベンジャミン君」
総司令は椅子に座ったまま頭を下げた。
先ほどとは打ってかわった総司令の態度にベンジャミンは恐縮し、さらに汗をかく。
「いえ、そんな……」
総司令は舐めていたペロペロキャンディをイーブンに渡し、机の抽斗から何かの書類を取り出した。
因みにペロペロキャンディが入っていたのとは違う抽斗である。
「これを見て」
「これは?」
ベンジャミンは手渡された書類を確認した。
視線が文字を追うごとに彼の顔色が蒼褪めていく。
「え……いや……そんな……馬鹿な……」
ベンジャミンはこの時になって眼前にいる人物が化け物だと知った。
そこにいるのは同じ人間ではない。
やっとそれを理解したのだ。
眼前に座すのは、この国で一番強き者。ありとあらゆる意味で一番の称号を持つ者。
その名は……
アードラ・B・カノーネンフォーゲル。
王都護衛部隊の頂点に君臨せし者だ。
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