第214話 王都護衛部隊・総司令-前編

「以上がことの顛末です」


 漆黒のスーツを着た男が眼前に座る人間にそう説明していた。

 緊張しているのか、男は生唾を無意識に飲む。

 よく見れば額からも脂汗を流していた。


 対照的に……

 相対する人間は余裕だった。

 椅子に座り、渡された書類を笑顔で見ている。


 しかし、座り方が特徴的だった。

 高級そうな革張りの椅子の座面にしゃがみこんでいるのだ。

 所謂、蹲踞そんきょのような姿勢。お世辞にも行儀が良いとは言い難い。


 暫くして読み終えたのか、その者は椅子の上で跳び、改めて座り直した。

 そして書類を机の上に放り投げる。


 あまりに無礼。

 だが、男はその人間を注意できない。

 それだけで彼らの関係性がわかる。


 部屋の中は馨しい匂いで満ちていた。

 麝香じゃこうのような強い匂いではない。が、それに近しい、それでいて嫌味のない上品な匂いだ。

 

 その匂いが似合うほど、この部屋は豪奢だった。

 そう、過去形なのだ。


 書類の置かれた机は重厚な造りで黒に近い茶色。天然木を削って設えたであろう見るからに高価なものだった。

 それなのに、その机の上にはピンクと淡い緑、青などの蛍光色のペンキがぶちまけられていた。

 台無しである。


 机だけではない。

 部屋全体が明るいパステルカラーのペンキで落書きされている。

 それ故に、『豪華だった』と表現せざるを得ない。


 壁に掛けられた貴重な絵画も、床に敷き詰められた豪奢な絨毯も、部屋の隅に置かれた精緻な彫刻も全てペンキに塗れ、その価値を地に落としていた。


 また、部屋の隅には似つかわしくない玩具が乱雑に置かれている。

 余りに煩雑。

 余りに雑多。

 そして、余りにアンバランス。


 それがそのままこの部屋の主を表しているかのようだった。

 

「オーケー、報告ご苦労さん、だいたいわかったよ」


 その人物はケラケラ笑いながら子供のように椅子から飛び降りた。


 床に降りて初めて分かる。

 この人間の鍛えられた肉体に。

 身長は一メートル九十前後。

 一見すればやや痩せ型に見える身体だが、その実がっしりとした美しい筋肉で覆わられている。


 上はアロハシャツのような服を着て、下は短パンにスリッパというラフな格好だった。


 端正な顔立ちながら幼さが残る。

 亜麻色の髪を後ろで束ねた男だ。


 無邪気。

 それが彼の印象だった。


 彼はそのまま部屋の隅に置かれた玩具を手に取りガチャガチャと遊び始める。

 その姿は本当に子供のようだった。


 だが、その行動にスーツを着た男が慌てふためく。


「総司令? それだけですか? 四番小隊ページェントが命がけで手に入れた情報ですよ」


 総司令……そう呼ばれた男がポカンとした表情で振り返った。


「え? でも皆生きてるんでしょ? じゃあ、いいじゃん」


 総司令の言葉にスーツの男は目を丸くする。困惑が一挙に彼の思考を埋めていった。


「御気になさらないでください。ベンジャミン部長。総司令はいつもこんな感じですから」

「え!?」


 スーツの男、ベンジャミンは驚き一歩たじろぐ。


 その女性は突然部屋に現れた。

 先ほどまでは自分と総司令の二人しかいなかったはずなのに。


 それも一人じゃない。

 二人いる。


 二人の女性が突如としてこの子供部屋のような場所に現れたのだ。


 一人は黒を基調としたスーツを着ており、もう一人は白を基調としたスーツを着ていた。

 黒いスーツの女性は金髪碧眼で白い肌をしており、長い髪を靡かせている。

 白いスーツの女性は黒髪金眼で褐色の肌、髪の長さは肩ほどだった。

 

 どちらもスーツの上からでもわかる妖艶さを併せ持っていて、尚且つ容姿端麗だ。


 その美しさからかベンジャミンは二人を見たまま、滑稽なほどに口を開け、瞬きを繰り返す。


 そんな無様な姿を見ながらも黒いスーツを着た女性が机に放りだされた書類を拾い、纏めた。


「あとのお話は我々、総司令秘書官が承ります。よろしいですか?」

「あ……あぁ……わかりました。ではお願いします、オッドさん」


 ベンジャミンはやっと我に返る。

 姿勢を正し、懐から取り出したハンカチで汗を拭った。


 黒いスーツを着こなすオッドは爽やかに笑う。

 その笑みにベンジャミンの顔が赤らんだ。


「オッド、さっさと資料をくれ。王都公安委員会ロイヤル・テラーに持っていくから。遅れるとうるさいんだよ、あそこは」

「わかったわ。イーブン。お願い」


 白いスーツの女性イーブンはオッドと違い、砕けた言葉遣いだ。

 オッドは書類をイーブンに手渡す。


「ま、待ってください!」


 二人のやりとりにベンジャミンがまた慌て始めた。

 ふき取ったはずの汗も再び流れ始める。


「この情報を王都公安委員会に渡すんですか? これは王都護衛部隊の四番小隊が集めた情報ですよ!」


 ベンジャミンの猛抗議にオッドとイーブンは顔を見合わせる。


「だ、そうですよ! どうするんすか!? 総司令!」


 イーブンは部屋の隅で遊ぶ総司令に声をかけた。

 総司令は折角楽しんでいるのを邪魔されたことがイラついたのか、至極つまらなさそうな顔で立ち上がる。


「え? 別に持って行っていいよ」

「し……しかし!」


 ベンジャミンは尚も抗議する。

 総司令は深く溜息を吐きながら、高価な机に座った。持っていた玩具を乱雑に捨てながら。


「はぁ……どうせ向こうはもうこの情報を掴んでいるよ。王都公安委員会が情報を欲している理由はこちらの出方を伺っているだけ。渡そうが渡すまいが変わらないよ。細かい部分の正誤判定くらいかな」

「ですが! これを渡すメリットがこちらにはありません! それにそれでは四番小隊が納得しませんよ!」


 総司令はまた深く嘆息する。


「別にメリット、デメリットじゃないよ。情報の精度が正しければそれでいい。各部隊のプライドよりも優先すべきはこの国の安全だ。そしてテロの撲滅には残念ながら向こうのほうが上手。国家の安寧を考えるなら王都公安委員会に委ねるほうが良いと総司令おれが判断したんだ。それに……ケチをつけるのかい?」


 その瞬間、部屋の空気が一変した。

 さっきまでとは違う。

 死にそうなほど寒い。甚振られているかのように痛みが幻想として襲う。


 それは圧倒的な殺意だ。


 次いで、ベンジャミンの喉が渇く。視界が歪む。匂いが消える。音が甲高く響く。身体が震える。

 脳裏に過去の映像が流れていった。走馬灯だ。

 そして明確な死が浮かぶ。


 ベンジャミンは腰が抜け、その場にへたり込んだ。


 本気だ。

 本気で総司令は自分を殺そうとしている。


 脳がそれを理解したとき、彼の意識は消えそうになった。

 最後の本能が己の死から逃避しようとしたのだ。


 ベンジャミンの前にいる男。

 彼こそが王都護衛部隊ロイヤル・クルセイダーズの頂点に立つ者、王都護衛部隊総司令なのだ。

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