第211話 仮面は踊る-仄暗い舞台で
今宵の
夜中とはいえ、生き物の音がしないのも不快感を駆り立てる理由の一つだろう。
眠りについているというよりは怯えて声も出ない。
そんな気がする夜だった。
天に輝くは満月だ。
いつもなら美しいその月も今だけは不気味に映える。蟹や兎に見えるクレーターの陰影が邪悪な笑みにしか見えない。
そこは田舎町の外れにある小さな山小屋だった。
獣道を辿って漸く着くような場所にあり、草木が無造作に生い茂っている。
山小屋自体はもう何年も使われていないのか、全体的にくすんでいた。
昏い、昏い、闇の中に佇むその小屋は見るからにボロい。
簡素な造りで、木の板で扉や壁が組みあがっており、屋根は藁を敷き詰めているだけ。
本当に飛べば吹きそうだった。
そこに迫る五つの影。
暗闇に溶ける黒い出で立ちで、全員がその顔に仮面を付けている。
仮面は目と口以外の部分は黒く、のっぺりとしていて薄気味悪い。目の部分はさらに濃い黒、口の部分は灰色の幕で覆われていた。
彼らは異様だ。
宛ら獲物を狩る直前の獰猛な肉食獣に酷似していた。
先頭に立つ者が指で後方にサインを送る。
後ろの四つは何も答えないが、それぞれ腰に携えていた刃を抜いた。月明かりにその鈍色が反射する。
「行け!」
先頭の者が大声を発すると同時に、四人が一斉に飛び込んだ。
木製の扉を蹴破り、一気に雪崩れ込む。
最初に入った二人はすぐに左右を向き、安全を確保したのち、後ろから三人が炎や雷の魔法を右手に発動したまま部屋に入った。
部屋の中も外観同様ボロい。
質素な木の机と椅子があり、端には藁が置かれていた。
その机も椅子も、五人の突入で潰れて木端となっている。
「隊長、ここであっているんですか?」
一人の男が気怠そうにそう問いかけながら仮面を取った。
ウェーブがかった黒髪に顎髭を携えた端正な顔立ちが窓から差し込む月の光に照らされる。
「スリー! 仮面を取るな!」
ノイズの掛かった、男か女かわからない声が木霊した。
スリーと呼ばれた男は笑って注意した人物に振り向く。いつの間にか火の灯った煙草を咥えていた。
「失敬。でも暑いんすよ。今の季節、こんな仮面付けるなんてナンセンスですって、ツー先輩」
ウィンクをしながら笑うスリーにツーは苛立ち、スリーの胸倉を掴む。今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「貴様! 我々の矜持を忘れるな!」
「すんませーん、怒らないでくださいよ」
スリーはお道化ながら謝るが、その顔からは反省の色は伺えない。
「く! だから盗人を
ツーはスリーを解放しながらも殺気を放ち、睨みつけた。左手からはバチバチと雷が迸っている。
「ツー、スリー、いい加減にしろ」
一人がそう呟いた。
瞬間、部屋に重い、重い空気が圧し掛かる。
それは一瞬で二人が黙るほどだ。
「申し訳ありません、隊長……」
ツーが絞り出すように謝罪をの言葉を吐くと隊長はスリーを見る。
スリーは吸っていた煙草を右手で握りつぶした。そして手を開けると、煙草は跡形もなく消えていた。
「全く……」
隊長と呼ばれた者は軽く嘆息した。
その者、よく見れば仮面の一部が他とは違う。
額の部分に十字架の意匠があった。これこそ隊長の証なのだろう。
「まぁ……名誉挽回のために働きますか……」
スリーは仮面を付け直し、小屋の中を歩く。
右手は灯のような炎が揺らめいていた。暗い小屋の中をその灯りが照らし出す。
中は十畳ほどだ。が、がらんとしていて間仕切りすらなく、殺風景の一言に尽きる。
加えて埃の臭いしかない。
木の板が腐って剥がれた壁。
雨漏りがしそうな藁の屋根。
床の板も歩くたびにギシギシと悲鳴のような音を奏でる。
スリーが歩くたびに、床が鳴った。
ギシギシ、ギシギシ、ギシギシ、カツカツ……と。
「ここだな」
スリーは部屋の奥で立ち止まる。
他の四人はその動きを黙ってみていた。
スリーはしゃがみ、床に手を置く。
次の瞬間、左手で思い切りその床を殴った。
ガツンという轟音が響き渡り、床が砕ける。
木端と埃が舞う中、四人がスリーの下へ駆け寄った。
「なんと……」
全員が瞠目している。
地下へと続く階段が現れたからだ。
地獄へと続くかのような仄暗い石造りの階段。
階下から、五人を拒むように湿った空気を吐く。その空気には微かに血の臭いが混じっていた。
「隠し通路?」
ツーはスリーが砕いた床の欠片を持ち上げ裏返す。
板の裏には血のような赤い字で魔法陣が刻まれていた。
ツーは隊長にその板を渡す。
「妨害魔法に、施錠魔法。それに結界魔法に魔法遮断の類か。他にも……数種類の魔法を組みこんでいるな」
「恐らく、この床全体にその魔法陣で魔法の痕跡を隠していたんでしょうね。まぁ時間を掛けて探索すればわかったかもしれませんが、しない苦労は回避するに限るっしょ」
スリーはそう言いながら立ち上がり、また右手で仮面を取ろうとした。
だが、ふとツーが睨んでいることに気付き、その手を止める。
「流石だ、スリー」
「お褒めに預かり、光栄至極。盗賊上がりの身には勿体ないお言葉です」
スリーは舞台俳優のように手を大きく振って腰を曲げ、頭を下げた。お道化た三枚目のように。
頭を上げる際にチラリとツーを見たが、ツーの視線は既にスリーから外れている。
「よし……行くぞ。念のため、フォー、ファイブ、お前らはここに残れ。ツーとスリーは私と共に下に行くぞ!」
隊長の命令に全員が無言で頷く。
フォー、ファイブと呼ばれた二人は命令通り待機し、隊長、ツー、スリーがゆっくりと階段を下りた。
先頭に隊長、次いとツー、スリーと続く。
数メートル下りると木製の扉が現れた。
隊長が指で指示を送る。ツーが右手に刀を携え、スリーは左手に炎を燃やした。
暗い室内が一気に明るくなった。
「突入!」
号令と共に隊長はその扉を蹴破る。
中に入った瞬間、三人は迎撃態勢を取った。
完璧な動きだった。
油断や隙など微塵もない。
敵が出てくれば、その刀で、魔法で、八つ裂きにする算段だった。
しかし、三人は部屋に入った瞬間動けなくなってしまう。
眼前にあるそれが、三人から思考と動きを奪い去ったのだ。
遅れて、朧げに漂う火薬の臭いが死者の手招きのように漂った。
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