第209話 夏の訪れ-ジュリアの惑い

 眼前に迫りくる毒の魔法。


 猛襲するその毒の液体は、波濤のような形から徐々に一本の棒のようになった。

 先端には三つ指の手のようなものがある。


地手毒律ポイズン・アーム』。

 その名の通り地面を進む毒の手。


 それが俺の右手に獣化液を狙う。


 狙いは獣化液か?

 

 俺は残された力を使い、獣化液をわざと弾いた。


「あ!」


 ジュリアが驚く。

 毒の手は狙いを誤り、獣化液を大きく跳ね飛ばしてしまった。


 遠くの床を転がる獣化液。

 ジュリアの意識が逸れた。


 今だ!


 俺は仰向けに寝転がり、右手に氣を込める。そしてその右手で拳を握り、己の胸を思い切り殴った。

 瞬間、氣が俺の体内に入る。

 

「がは!」


 普通なら俺に氣を打ってもただの打撃にしかならない。

 だが、今は俺の体内に魔法の毒が駆け巡っている。

 

 そう、これは魔法だ。毒といっても魔法の産物なら氣が反応する。

 その毒に氣をぶつけて無理矢理体内の毒を無毒化した。


 解毒方法はわからない。毒の魔法によるためそもそも解毒が可能かはわからない。

 現状、解毒できる薬もない。

 しかし、毒に侵された身体を元に戻さなければならない、


 そうなると、これしか方法はなかった。

 

 氣による強制解毒。

 

 荒業だ。

 これで成功するかどうかもわからなかった。

 だが、魔法が使えない俺にはこれしかない。


 氣の爆発によって肉体がダメージを受ける。

 俺は口から洩れる血反吐を拭いながら立ち上がった。


 予想通り、毒は消えている。

 足の麻痺も既に回復していた。が、違う痛みが、ダメージが全身に広がっている。

 また毒の残滓か、不快感も残っていた。


「アイガ君……」


 俺とジュリアの視線が交錯する。

 ジュリアの瞳は未だ悲壮に満ちていた。


「ジュリア……」


 俺は一気に走る。

 全身が痛みで軋んだ。


「アイガ君! 抵抗しないで! 毒魔法、地手毒律ポイズン・アーム!」


 毒の手が再び、地面を転がる獣化液を狙う。

 向こうの方が明らかに早い。

 

 だが、その毒の手の他の部分は液体のままで、地面に漲っている。

 俺はその地面に向かって、思い切り下段突きを撃った。


「しゃあ!」


 放った氣が毒の手の内部を迸る。

 次の瞬間、毒の手が爆散した。


「え!?」


 床に毒の液体が飛び散る。

 俺はその中を駆け抜けた。


「あ!」


 ジュリアがまた毒の手の魔法を放つが俺の方が一手早かった。

 床に転がる獣化液を素早く取って、迫りくる毒の手に今度は左手で正拳突きを撃つ。


 毒は眼前に飛び散り、またも霧散した。

 微かに左手に火傷に似た痛みが走る。毒が浸食したのだろう。


「丹田解放! 丹田覚醒!」


 俺は獣化液のスイッチを押す。

 注射針が飛び出し、中の液体が数的飛び出した。


「アイガ君! ダメ!」


 ジュリアの悲鳴に近い声が木霊する。


 不意に左手が痺れた。まるで俺の心に連動しているかのように。

 これは……毒の効果か。

 

 どっちにしろ、この状況を打破するにはこれしかない。


 俺は獣化液を首筋に打ち込んだ。


「毒魔法! 『猛牛毒鋸ブル・ポイズン・ソー』!」


 ジュリアの左手から紫色の液体が円盤状になり、それが射出される。それは丸鋸のようだ。


 俺の体躯は一瞬で大きくなる。服は破れて布切れになった。

 同時に獣毛が全身を覆い、尾と長い爪が現れる。


 やがて、貌が化け物の……狼の貌になった。


 獣王武人が間に合う。

 俺は迫りくる毒の丸鋸を右手の爪で切り裂いた。


 一瞬で最大容量になった氣が、魔法によって精製された毒の塊を寸断する。

 毒が数滴俺の身体に触れるが、固い獣毛と氣が毒魔法を弾いた。

 少量なら、この身体は毒を通さないようだ。

 これは僥倖。

 

「え? え? なにそれ? え? あれ? え?」


 パニックになるジュリア。

 それもそうだ。

 人間だと思って戦っていた相手が化け物になったのだから。


 俺はその隙をついてジュリアに突進する。


「あ? あ? あ! 毒魔……」


 ジュリアが右手を俺に向けるが、それより早く俺がジュリアの間合いに入った。

 そのまま彼女の右手を左手で掴み、右手の爪をジュリアの喉元に突き付ける。


「詰みだ。ジュリア」


 化け物となって人の言葉を吐く俺に怯えるジュリア。

 その表情が俺の心に沁み込んだ。それはささくれを力任せに引き裂いてから塩酸を流し込まれるようなそんな痛みだった。


「あ……アイガ君……それ何? あれ? え……」


 ジュリアの目から涙が零れていく。鼻声に恐怖の感情が混じり、俺はこの状況に耐えられなくなった。


 ジュリアの右手を放し、突き付けた爪を地面に下す。


「ア……アイガ君?」

「話を聞いてくれるか?」


 俺の言葉にジュリアは首肯してくれた。

 怯えた目が突き刺さる。


 兎に角、やっと話し合いだ。

 しかし、何から、どちらから話せばいいものか。


 暫く沈黙が流れた。


「私……」


 先に口を開いたのはジュリアだった。

 俺は黙したままジュリアの方を向く。


「私……アイガ君が覚醒剤をしているんじゃないかって思ったの」

「覚醒剤!?」


 余りに突飛な言葉ワードが出たため俺は驚いてしまった。


「ヴォルタン火山でランチャー・ベア・ワイルドを斃した時にアイガ君、私に抱き着いてくれたよね」

「あ……あぁ」


 あの時か。

 その時の光景を思い出す。

 確かにあの時、調子に乗って、というか、つい秘奥義の兆し……まぁ言い訳か。

 嬉しさが爆発してジュリアに抱き着いてしまった。


「その時にアイガ君の首筋に注射痕があったのを見つけたの。それでアイガ君が常習的に注射を打っていることに気付いたんだ」

「え……」


 しまった。


 それが率直な感想だ。

 無意識に俺は右手で首筋を撫でていた。


 獣化液の注射の痕なんて獣王武人解除の際の副作用による治癒で治っているものとばかり思っていた。

 なんと、痕は残るのか。

 それは始めて知った。


 しかし、あの一瞬で俺の首筋の傷跡に気付き、それが注射の痕と推測したジュリアの眼力は感嘆に値する。

 

「怪我が多い人や筋肉を鍛える人が栄養剤を注射するのは知っていたわ。でも首筋に打つなんてあまり考えられない。可能性としては覚醒剤の『可笑しなお菓子クレイジー・キャンディー』かなって。これは打つ場所で得られる快楽物質の量が変化するから人によって注射する部位が異なるの。それでアイガ君はそれを首筋に打つ常習犯なのかなって思ったの」


 なんと、この世界にも覚醒剤なるものがあったのか。

 俺の世界にもあったが、それはあくまでテレビの世界のことだと思っていた。

 少なくても俺の周りにはなかった。


 まほろばと同じ現象だ。

 まさかここでもその現象を味合うとは。


 しかも打つ個所によって量が変化するとは。

 摩訶不思議な覚醒剤ではないか。


 この世界はまだ俺を驚かせるのか。


 それにしても『可笑しなお菓子クレイジー・キャンディー』とはまた可愛い名前だな。

 そういえば、元の世界で見たテレビでやっていた覚醒剤の名前もそんな感じの名前だったような気がする。

 如何にも覚醒剤といった名前をつけるより、そうした横文字のほうが若者に浸透しやすいとテレビでやっていたな。


 そんな懐かしいことを思い出しているとジュリアは涙を拭いながら机の方へ赴く。


 一応警戒しつつ俺は彼女の背中を目で追った。

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