第207話 夏の訪れ-ジュリアの憂い
夏の熱波も夕刻となれば幾分か優しくなっている。それはまだ夏が本気を出していないからだろうか。
影の伸びた地面。生温い風。深緑の香り。
それら全てに季節を感じながら、俺はジュリアに渡されたメモの場所へ向かっていた。
青と赤が混じった空はまだ、太陽を掴んでいるようで夜の闇は当分こないだろう。
学校を出て、街とは逆の方向へ進む。
見えてきたのは普通科の寮だ。
それも越えて奥に進む。
すると道は二股に分かれた。
どちらも行ったことがない。
右に行けば特別科と研究科の寮があるらしい。
今回指定されているのは左の道だ。
こちらは何があるのか完全に知らないので少しワクワクしていた。
緩やかな上り坂だ。
俺はメモを確認し、道を進む。
うむ、間違っていない。
軽く汗をかきながら坂道を上ると開けた場所に出た。
そこには腰ほどの高さの木製の柵が遠くの方まで連なっている。宛らフェンスの代わりか。
ところが、その柵はあちこち腐っていて抜け穴のような場所が数か所あった。
管理は杜撰なのか?
加えて眼前の柵の横には、『ここより先、ディアレス学園私有地』と書かれた看板がある。
その看板は横に傾いていた。
「気になるな……」
俺はそれを直すため看板に触れた。
「痛!」
不覚。
看板の後ろにあった釘に気付かず右手の人差し指を切ってしまった。
「ちぃ……やっちまったな……」
俺は人差し指の血を吸って、地面に吐く。傷自体は浅いので放っておけば勝手に止まるだろう。
「ふぅ」
気を取り直して中に入った。
数歩、歩くと地面に何かの線が描かれていることに気付く。
よく見れば細かい文字で書かれていて一本の線のようになっていた。
これは……魔法陣か。
侵入者を警戒しての防犯用なのかもしれない。
ならば、柵が壊れて放置されていたのも頷ける。
こっちが本命の防衛手段なのだろう。
俺は一瞬躊躇したが、その線を踏み越えた。
しかし何の反応もない。どうやら杞憂だったようだ。
さらに歩を進めると幾つか建物が現れる。
建物には『第二保管棟』、『第二実験場』などと書かれていた。
どうやらここは研究科が使う施設のようだ。
建物は基本的に白い。そして正方形で規則正しく並んでいた。
また、全ての建物が三階建てのようで窓の数も扉の数も同じだった。
デザイン性が重視されているのだろうか。
上から見ればさぞ綺麗に並んでいることだろう。
そんなことを考えながら歩けば、いつの間にか指定された場所に辿り着いていた。
そこもまた他と変わらない白い建物だ。『第三実験場』と書かれている。
「ここか……」
俺は扉に手を掛けた。
その扉は簡単に開く。ギィと油の切れた音を奏でながら。
中は真っ暗だ。
薄らとした光もない。
俺は一旦扉を戻し、メモを確認する。
メモにはこの場所が指定され、『第三実験場に来てね』と書かれている。可愛らしいハートも添えられて。
やはりここだ。
俺はもう一度扉を開く。
恐る恐る真っ暗な中を伺った。
「ジュリア! アイガだけど! いるのか!? 返事をしてくれ!」
大声でジュリアを呼ぶも何も返ってこない。静まり返った部屋の空気だけが漂う。
俺は不思議に思いながら中に入った。
瞬間、壁に青い炎が灯る。
「お!?」
無様に驚く俺を他所にその炎はどんどんと増えていった。
よく見れば壁に一定間隔で窪みがあり、そこに青い炎が灯っている。宛ら燭台の灯のように。
これが光源となり建物の内部を照らし出した。
元いた世界でいう自動照明だ。
俺は一回だけ深呼吸をし、改めて中を見渡す。
右には『管理室』と書かれた部屋があった。が、無人だ。誰もいない。
左には奥へ進む道がある。
その先の扉に『ここだよ!』とジュリアの字で書かれた紙が貼ってあった。
俺は首を傾げつつその指示に従う。
扉を開けると広い部屋だった。
二十帖ほどか。白いタイルの床に白い壁。白い天井が広がっていた。
天井までも高い。
外観は三階建てだと思っていたが、フロアをぶち抜いているのか、ここは一つの大きな部屋になっていた。
「ジュリア~」
がらんとした部屋の中でジュリアを呼ぶがやはり反応はなかった。
俺の声が虚しく部屋の中で反響するだけだ。
疑問を抱きながら俺は部屋の中央へ向かう。
そこには机が一脚だけ置かれていた。
机の上には黒い長方形の物体がある。鉛筆ほどの大きさだ。
俺はそれを拾う。
「なんだ、これ?」
瞬間、右手に痛みが走った。
「い!?」
咄嗟に俺はそれを落とす。
鈍い痛みと共に右手の傷から血が滴った。
どうやら長方形の物体の角が治りかけの傷口に当たったようだ。
それによって傷口が開いてしまったらしい。
「やっぱり……」
不意に声がした。
憂いを帯びた悲しい声色だ。
振り返るとそこにジュリアがいた。
いつからそこに?
どうやってそこに?
何故さっきまで俺の呼び掛けに反応してくれなかったんだ?
様々な疑問が湧いたが、それらは瞬時に消え失せる。
ジュリアの表情。
それは見たことのない顔だった。
その顔を見てしまえば、今思った疑問など些末なことに過ぎない。そう思ってしまうほどに。
いつもの女の子らしい笑顔でもない。妖艶な笑みでもない。
ヴォルタン火山で見た真面目な顔でもない。医療魔法具のことを語っていた真剣な顔でもない。
悲壮。
その一言に尽きる。
今にも泣きそうな、葬式に参列しているかのような、そんな顔をしていた。
「ジュリア?」
ただならぬ雰囲気を纏ったジュリアに俺はやっと声を絞り出せる。
しかし、そんな俺にジュリアの瞳が穿った。涙に濡れたその瞳は俺の心を烈しく軋ませる。
「アイガ君……残念だわ」
ジュリアが右手を掲げた。
「どういうことだよ? ジュリア? 何が残念なんだ? それよりお願いがあるって聞いていたんだけど……」
「お願いはここに来てもらう口実。そして確かめたかったの。間違いだったら謝るつもりだったわ。でも……間違いじゃなかった」
ジュリアの目から涙が落ちた。
意味が分からない。どういうことだ?
悲しみに暮れるジュリア。彼女から発せられるのは怒気。
怒りだ。
彼女は今、怒っている。いや、そこには悲しみも混じっている。
どういうことだ? どういうことだ? どういうことだ?
パニックになりそうな自分の心を落ち着かせ、俺は眼前のジュリアを見つめた。
「説明してくれ。ジュリア。意味が分からないんだ」
努めて冷静に問いかける。
だが、脳味噌は困惑と疑問で一杯だった。
「惚けないで!」
悲しみと怒りの混じった闘気が俺を弾き飛ばす。
気圧されたのか。
「ジュリア?」
ジュリアは涙を拭う。そして掲げていた右手を俺に向けた。
同時に戦慄が奔る。
マズい! アレが来る!
「侵せ、悉く。満たせ、この孤独。出番だよ……セルケト!」
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