第206話 夏の訪れ-ジュリアのお願い

 噎せ返るような灼熱と心地よい薫風が同時に吹く。

 それは夏の訪れを告げるものだった。


 俺は窓辺に寄りかかり外を眺めている。

 窓の向こうは眩しい青空、流れる白い雲、煌めく太陽、万緑の木々、虫の声、鳥の囀り、夏そのものが具現化したような、そんな美しい風景だった。

 

 ここは教室だ。そして放課後である。

 

 不死鳥花の採取クエストから既に一週間経っていた。

 

 学校は完全に中間試験モードになっている。

 クラスに残っている皆は自習に集中しており、俺のように怠けている者など一人もいない。

 

 ロビンは図書館で毎日分厚い本を開いて勉強していると言っていたし、ゴードンも寮の自室で勉強に励んでいた。


 部外者たる俺はせめて邪魔にならぬように、最近は挨拶程度しか言葉を交わしていない。寂しいと言えば寂しいがこればかりは仕方ない。

 この学園の試験はとても難しいのだから。


 中間試験は『座学』と『発表』に分かれる。

『座学』は元いた世界でいうところのテストと全く同じだ。

 一応、俺もこれは受けることになっている。まぁ点数は関係ないのだが。


 一方で『発表』とは自分がこの学園に入って、何を学んで何ができるようになったか、を発表するのだ。

 一人一人が、教師と一対一で行う。

 上級魔法の習得、新型魔法のお披露目、何でもいい。

 兎に角、応対した教師が合格を出せばそれでいいのだ。


 また一年生は前期中間試験、前期期末試験、後期中間試験、後期期末試験の四つの内、どこかで契約コントラクトを発表しなくてはならない。

 できなければ退学処分となってしまう。

 厳しいルールだ。


 逆に一年生の間は、このどこかで契約さえ成功してしまえばそれ以降、『発表』の試験は全てクリア扱いになるらしい。

 それ故にできるだけ早く契約を済ませたいが、そうは問屋が卸さない。

 幻獣との契約は生半可な実力では不可能だからだ。

 失敗すれば死ぬこともあるらしい。


『試験を楽にする』などといった軽い気持ちでは決してクリアできないそうだ。

 幻獣との契約はその程度でできるほど甘くはない。


 ただ、それを入学前にクリアしている特別科の面々は本当に凄いと思う。

 だが、逆に特別科はそれ以上のことが求められていた。『発表』の内容は普通科よりもシビアで難易度も高いらしい。


 その上で、中間試験が免除されているクレアがいかに天才なのか、ということが改めてわかる。


 ん? クレア?

 あれ、何か脳の奥がギシギシとうなりをあげている気がした。


 不死鳥花を採った次の日、クレアから逃げようとしたが即座に見つかり、そのまま特別科の教室に連行されたところまでは覚えているのだが……


 そこから記憶が全くない。

 何故か正座していたのだが、全く記憶がない。


 思い出そうとすると脳が悲鳴を上げ、身体が震えだす。


 うん、思い出さないでおこう。きっといいことじゃないはずだから。


 不意に窓に映る自分の顔を見つめた。

 渇いた、引きつった顔をしている。

 

 これは……恐怖?


「アイガくん」


 そんな折に突然呼ばれ、心臓が飛び出るかと思った。

 俺は叫びそうになった悲鳴を飲み込みながら振り返る。


 ジュリアだ。

 彼女が普通科の教室の扉を少しだけ開けて俺を呼んでいた。


 前回会ったときとは違い、ピンクと水色の奇抜な色の髪はツインテールだった。白衣も着ていない。

 いつものジュリアだ。


「ん? ジュリア? どうしたんだ?」


 俺は冷静を装う。

 

 ここは普通科の教室。

 特別科の人間が来ることは珍しい。が、最近はクレアやサリーが来ていたのでそこまで珍しいものではないが。


 それでもジュリアが教室に来ることは初めてだった。

 その所為か、自習していたクラスメートたちが不思議そうな顔で俺とジュリアを眺めている。


 彼らの邪魔をしては悪いと俺は急いでジュリアの下へ駆け寄った。

 

 教室を出ると、ジュリアはニッコリと笑って俺の手を握る。


「実は、ちょっとアイガくんに頼みがあるの。聞いてくれる?」


 上目遣いのジュリアの潤んだ瞳がキラキラと輝いていた。

 これだけでどんな願いも聞きたくなる。


「何? 俺にできることなら協力するけど」


 握られた手を放そうとするも、ジュリアはそれをぎゅっと引き寄せた。

 近づくと同時にジュリアからいい匂いが漂う。


 一瞬、脳裏にクレアの怒りが見えた。

 脳と身体が一瞬震えたが俺はそれを振り払う。


「難しいことじゃないんだ。ちょっと一緒に来てくれるだけでいいの? ダメかな?」


 俺は逡巡する。

 いや、なにもやましいことはない。ただ、ジュリアのお願いを聞くだけだ。そうだ、それだけだ。別に悪いことをしているわけじゃない。そうだ。うん。大丈夫。大丈夫。


 言い訳じみた答えが浮かぶが、俺はかぶりを振ってそれらを掻き消した。


「いいよ。俺でよければ……」


 言い終えるよりも先にジュリアが俺に抱き着いた。

 柔らかい感触が伝わる。

 脳が一瞬でクラッシュした。


「ありがとう! じゃあ、一時間後にここに来てね」


 ジュリアから手紙のようなものを渡される。

 中には簡単な地図が描かれていた。


 ジュリアが離れる。

 一瞬、その顔に憂いを感じたのは気のせいだろうか。


「じゃあね! アイガ君」


 ジュリアは、にこやかな笑顔のまま手を振って帰っていく。

 俺も手を振って応えた。


 瞬間、怖気が襲う。


 俺は周囲を見渡した。

 どこにもクレアの姿はない。

 それでも怖気を感じたのは……まやかしだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る