第204話 不死鳥花-その十九

「それでは、私は学園長にご挨拶してくるのでここで解散だな」


 ロベルトさんはそう言って、俺に右手を差し出した。

 太く分厚い手だ。微かに古傷が目立つが、これらは全て歴戦の証だろう。


「ありがとうございました。兄貴……アンディ隊長によろしくお伝えください」


 俺はにっこりと笑ってその分厚い手を握る。

 暖かい手だった。ロベルトさんは力強く、握り返してくれた。


「あぁ。ちゃんと伝えておくよ、君の雄姿を」


 爽やかな笑顔だった。

 つい、俺も笑顔になる。



 今、俺たちはディアレス学園の正門前にいた。


 既に時刻は夕暮れ。逢魔が時という言葉に相応しく、空は淡い紫色で雲は一つもなかった。

 正門前の道には俺たち以外に人はなく、どこか物悲しい雰囲気が漂っている。

 遠くで烏が鳴いていた。その鳴き声がさらに物悲しさに拍車を駆ける。


「たいした力になれなくて済まなかったな。しかし君たちの強さ、しかと見届けた。任務達成も偏に君たちの実力が十二分に発揮されたからだろう。本当に凄かったよ。お世辞抜きに。だからしっかりと君たちの成果を報告してこよう」


 ロベルトさんの賛辞が俺の心に響いた。

 安っぽい世辞ではない。そう思わせてくれるのは、ロベルトさんの優しい声色と穏やかな口調の為せる技か。

 

「いえ、ロベルトさんがいたからこそ、安心して任務に邁進できたんです。本当にありがとうございました」


 クレアの言葉にロベルトさんは微笑む。そしてクレアとしっかりと握手した。


「そうですわ。本当にありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしております」


 ジュリアも笑顔で握手する。


「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」


 ロベルトさんは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


「君たちには釈迦に説法だが……これからもその力に慢心することなく、よく学び、経験を積んで、力を付けておいてくれ。そして将来同じ部隊で逢えることを……おっとこれは軍法に抵触するかな。兎に角、この素晴らしい学園で学んでその実力をさらに磨いておいてくれ。それらは必ず君たちの財産になる。では……また会える日を楽しみにしているよ。さようなら」


 ロベルトさんはそう言って、最後に大きく手を振り、そのまま学園の中へと入っていった。

 俺はその頼もしかった背中が見えなくなるまで見送る。


 ロベルトさんがいなくなってどこか寂しい空気が漂う。

 短い時間とはいえ、生死を分かつ任務に従事した者同士だからこそ、この別れに寂寞を感じているのだろう。

 


 不意に一陣の風が吹く。それを合図にするかのように俺たちは寮へと帰った。


 道中、クレアの横顔をちらりと覗くと怒りのゲージは少し引いているようにも見える。

 ジュリアは相変わらず艶やかな笑みを浮かべていた。


 余計なことを言うと怒りが再燃する可能性があるので俺は黙したまま、二人に付き従う形で歩く。


 暫くすれば俺の寮が見えてきた。

 普通科の寮の先に特別科の寮があるので俺たちはここでお別れだ。


「じゃあ、俺はここで。二人とも、また明日」

 

 俺は精一杯の笑顔で二人に手を振った。きっとぎこちない笑顔だっただろう。それも詮無いことなのだが。


「うん、また明日! バイバイ」


 ジュリアはにっこりと笑いながら手を振る。

 クレアも笑顔で手を振ってくれたが目だけは笑っていない。


 瞬間、冷汗が背中を流れる。


 クレアはその表情のまま徐に俺の耳元ににじり寄った。

 汗がまた流れる。

 

 もう目の前にクレアがいた。

 それなのに俺は金縛りにあっているかのように動けない。


「また明日、アイガ。その時にしっかりと話し合いましょう」


 無機質で殺伐とした声色だった。

 同時に言葉の端々に殺気に似た何かが迸っている。


 クレアはゆっくりと離れ、無表情のまま俺を一瞥した。

 もう汗は流れていない。


 そして、二人はゆっくりと歩いていく。


 二人の背中が何故か夕闇の色によく似合っていた。


 俺は引きつった笑顔でその背中を見送る。


 明日……話し合う……


 何故だろうか、震えが止まらない。

 こんなこと、如何なる魔獣と対峙しても起こらなかったことだ。

 初めての感情と症状に俺は戸惑うことしかできない。


 勝利の余韻も、任務達成の喜びも、秘奥義の兆しで得た感慨も、全部吹き飛んだ。


 暖かい風が吹く。

 本格的な夏の訪れを知らせる風だった。


 その暖かさの中、寒さを感じているのは錯覚なのだろうか。

 

 あれ……

 俺……ピンチじゃないかな……

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