第203話 不死鳥花-その十八

 右頬に拳の痣が刻まれたまま、俺はヴォルタン火山を降りていた。

 涙目なのは内緒である。


 先頭にクレア、次いでジュリア、俺、殿をロベルトさんの順で歩いていた。


 クレアはまだ怒っているらしく、背中から怒りの炎がメラメラと燃え上げている。少しでも言い訳をすれば、忽ちあの炎に焼かれてしまうだろう。

 一方でジュリアはクスクスと笑いながら時折こちらを見てきた。悪戯な笑みだが空気を読んでかいつものようなちょっかいはなかったのが救いだ。


「ふぅ」


 無意識に溜息が漏れる。

 同時にヒリヒリと右頬が痛んだ。

 クレアの鉄拳の痕が咎として残っている。


 炎や強化魔法の類は使っていなかったと思うのだが、その一撃は深く、重く、俺の右頬を抉った。

 同時に燥ぎすぎた心も。


 ただ……調子に乗ったことは認めるが罰と罪が釣り合っていないような気がするのだが。


 そんなことを考えていると、不意にクレアの鋭い視線が俺を射抜いた。

 まだ許してもらえていないようだ。

 トホホ……


「もう、魔獣は出てこないな」


 後ろを歩くロベルトさんが呟く。

 確かにあの二体目のワイルド以降魔獣は現れていない。気配すらもなかった。


「そうですね。クレアやジュリアに恐れをなしたのかもしれません」


 俺はわざと歩みの速度を遅くしてロベルトさんの横に並んだ。

 クレアの怒りに耐えられなくなった、ということもあったが、少しロベルトさんと話してみたかった。


「それもそうだが、君も脅威の一つとしてカウントしていいんじゃないか」


 俺はロベルトさんの言葉の意味が分からず首を傾げる。


「宵月流……素晴らしい技の数々だった。ゲンブさんは現役時代、月齢環歩以外の技は使わなかったので新鮮だったよ」


 ロベルトさんは朗らかだった。

 在りし日の思い出を浸っているようだ。


 逆に俺はまた首を傾げる。

 師匠は月齢環歩以外使っていない。

 その言葉が意外だったのだ。


 秘奥義以外は氣が使えなくても使える。

 強化魔法による筋肉や靭帯、関節の強化によって敵を斃す武術。

 それが宵月流殺法術だ。


 現代の継承者である師匠の一撃は俺の一撃よりも遥かに重い。

 紛いものに近い魔法、『魔人の証明』とは違う純然たる強化魔法による膂力の向上。

 それと熟練の技、経験が齎す技の質は俺など遠く及ばない。


 その師匠が現役時代、月齢環歩しか使っていないとは。驚きだった。

 師匠の性格上、意図的に隠すとは思えないのだが。


 無論、ロベルトさんと師匠が同じ部隊だった期間は短かったはずなので、それ以前は使っていたのかもしれないが。


「魔獣に向かって跳びながら撃った上段蹴りや、密着に近い至近距離での正拳突き。どれも素晴らしかった。あんな技があったとは。本当に今回はここに同行してよかったと思うよ」


 ロベルトさんはしみじみと深く頷いていた。

 それでいて目は幼子のように輝いている。爛々と煌めくその瞳は本当に嬉しそうだった。


 ただ……何故だろう。その煌めきの奥に何か陰りが見えたのは気の所為なのだろうか。

 上手く言語化できないが……

 何か違和感があるような気がした。


「それはそうと……」


 突然、ロベルトさんは真面目な表情になった。

 少しひり付いた空気が走る。


「君は、ちゃんと女性関係を正しておいた方がいいと思う」


 ん?

 予想だにしないその一言に俺の脳は一瞬停止した。

 え?

 どういうことだ?


「君も知っているだろうが……うちのアンディ隊長は大変な艶福家だ。その分……その……女性関係で危ない橋を多く渡っておられる。時には副隊長の鉄拳制裁を何度も受けてこられた。君はアンディ隊長の弟分だと聞いていたが……そういうところは真似しないようにしないと」


 そんな風に見えていたのか?

 俺が?

 女癖が悪い?


 増してや兄貴と同じにみられるなんて……

 心外もいいところだ。


 兄貴のことは尊敬している。

 人としても、武術家としても。


 ただ唯一、その女好きの一面だけは別だ。

 軽蔑といってもいい。

 そこだけが兄貴の中で認めたくない部分だった。


 その部分が似ている?

 あり得ない。


 俺は驚き、何も返せずにいた。

 無様に口をパクパクさせて反論を考えている。が、何も言葉が出てこなかった。


「まぁ、まだ君はまだ若いからわからないと思うが……女性というのはそういうことを一番嫌う。一途に思い続けても報われないものだ。だからといって多くの女性を愛そうとしてはいけない。それは破滅への一歩だからな。そしてそれがアンディ隊長から最初に教わったことだよ」


 感慨深げに語るロベルトさん。

 その後ろに情けなく、殴られる兄貴が見えたのは俺の被害妄想か。それともあぁはなりたくないという幻影か。


 ともかく、俺にそんな気はない。


 しっかりと反論しなければ。たどたどしくても。

 そう思い口を開こうとした時だった。


「あれ、雪?」


 突然、ジュリアが独りごちた。


 あたりを見渡すと確かに雪が降っていた。

 だが冷たくない。


 そうか、これは雪じゃない。

 灰だ。

 火山より飛び出した灰が雪の如く降り注いできたのだ。


「火山灰か」


 ロベルトさんが降り頻る灰を手に乗せる。

 手に乗った灰は雪とは違い溶けてなくなることはない。


 辺りにも薄らと灰が積もっていく。

 それこそ雪のように。


「マズいな。もしかしたら火山が噴火するのかもしれない。急ごう」


 ロベルトさんに促され、俺は無駄話を切り上げた。反論したかったがそんな場合ではなくなったのだ。

 火山が噴火しても大丈夫だとは思うが、既に不死鳥花を手に入れた後だ。

 俺たちにはこれを安全に届ける義務がある。


 危険をわざわざ冒す必要はない。

 全員が速度を上げ、一気に下山した。



 ヴォルタン火山を降りてすぐ、俺たちはワープ・ステーションに向かった。

 因みに火山は噴火していない。ただ、噴火の兆候はあるらしく、いつ噴火してもおかしくない状態らしいが。

 

 俺たちは任務達成の余韻に浸ることなく、直ちにレクック・シティに帰還した。

 

 いつもの任務同様、不死鳥花はワープ・ステーションのギルド担当者に納品する。

 手続きを済ませ、俺たちはディアレス学園に向かった。


 帰りはあっという間だ。スペクタクルな冒険から普段の日常に戻るだけ。

 

 ただ、今回俺の心に残ったのは歓喜の震えだった。

 秘奥義の漠然とした輪郭。

 それは思いのほか、俺の心に歓喜を齎した。


 俺は拳を強く握る。

 心の歓喜が溢れてくるようだった。


 あぁ、まだ強くなれる。

 その実感が、今回の任務で得られた最大の報酬だった。

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