第200話 不死鳥花-その十五
凄い。
その一言しか出てこない。
間違いなく……彼女もまた、天才と呼ばれる側の人間だ。それを思い知らされる。
「ふぅ……」
無意識に漏れた溜息は何の感情が混じっているのだろうか。
それは自分でもわからない。
現状、ジュリアの耽美な毒が超級の魔獣を蹂躙している。
その事実が恐ろしい。
クレアとはまた違う天才の形だ。
同い年の彼女に抱いた尊敬はいつの間にか畏怖へとすり替わっていた。
戦いの最中、ジュリアは嗤っている。
それがまた怖い。
それでいてよく似合う。
敵を嬲る姿が信じがたいほどによく似合うのだ。
陰湿という言葉はしっくりこない。陰険とも違う。狡猾はもっと違う。
彼女は戦う前に言っていた。
『正直、腹が立ってんのよ。クレアがいない今ならチャンスと思って出てきたあの魔獣が。なにそれ。舐められるじゃん、私』
その通りならこれは報復。その達成感が齎す愉悦が彼女に宿る笑顔の正体なのかもしれない。
ジュリアは存外負けず嫌いのようだ。
ここに来るまでの道中でそれを感じた。
彼女はクレアがいない今なら好機と思って襲来したランチャー・ベア・ワイルドに怒りを覚えていた。
その報復を達成した今、彼女に去来するのが愉悦であってもおかしくはない。
ただ、どこか嗜虐も混じっているような気がするのは気のせいだろうか。
「流石、ヴァンデグリフト家のお嬢さんだ」
ロベルトさんが溢す。
俺も流石だと思う。
俺たちの声は彼女には届いていないだろう。
それでもジュリアは高らかに嗤った。
その瞳は爛々と輝いている。
その時。
微かに瀕死のランチャー・ベア・ワイルドが動いた。
死に体とは思えない途轍もない殺意が一瞬迸る。
それに気付いたとき、俺は走っていた。
我武者羅に。
「丹田解放! 丹田覚醒!!」
同時に魔人の証明と氣術を発動する。
「ジュリア! 下がれ!」
俺の怒号に近い叫びにジュリアは笑みを消した。
「へ?」
しかし、反応が遅い。
勝ちを確信していたのか、その動きは緩慢だった。
「ちぃ!」
俺は跳んだ。
魔人の証明によって肉体は強化されている。その強化を跳躍力に振り切った。
お陰で驚異的な跳躍が可能となっている。
加えて、ジュリアとランチャー・ベア・ワイルドは下り坂の先にいた。
重力の助けもあって俺のスピードは空中で一気に加速する。
また俺は、跳躍の瞬間に右足を折り畳み右手で押さえつけていた。
歪な体制のままジュリアの戦う間合いに入る。
そして空中で右手を放した。
押さえつけられていた右足が発条の如く力を解放する。
「宵月流! 『弾月断刀』!」
解放された右足が凄まじい威力をもって、ランチャー・ベア・ワイルドの顔面を抉った。
力によって抑えつけられた反動で攻撃の威力が増す。それが『弾月断刀』。
デコピンと同じだ。
額にぶつけるまで指を別の指で押さえ、当てるときに放す。そうすることで威力が上がり、相手の額に重い一撃を与える。
それを足で行っただけだ。
「ぐぎゃ!」
血反吐と共に折れた牙が飛び散る。
その動きに遅れて、魔獣の左腕が俺の右肩を撫でた。
皮膚が切れ、血が舞う。
「アイガ君!」
ジュリアの叫びを背に受け、俺は着地すると同時に怯むランチャー・ベア・ワイルドの左足を狙った。
「宵月流! 月齢環歩! 『三日月』!」
俺が最も得意とする右の下段廻し蹴りが見事に炸裂する。
次いで身体を回転させ、打ち込んだ右足を即座に軸足に変え、左足を打ち込んだ。
「『二日月』!」
連撃の後ろ回し蹴り。
速度の乗った蹴りが魔獣の腸に突き刺さる。
「ぐぎゅう!」
ランチャー・ベア・ワイルドが吹っ飛んだ。
目を血走らせて、こちらを睨みながら。
吹っ飛んだ先で即座に体制を戻し、殺意を漲らせて、立ち上がる。
その瞬間、ランチャー・ベア・ワイルドは黒い血を吐いた。噴水のように。
氣だ。
今までの技に全て氣が入っていた。
その氣が魔獣の体内で爆発したのだ。
ところが、まだ足りない。
このランチャー・ベア・ワイルドは聡い。恐ろしいほどに。
己の能力の使い方を熟知していたのだ。
ワイルドの特徴は強烈な強化魔法による肉体の強化だ。
圧倒的なまでの強化の度合いによってこいつらは超級に分類されている。
こいつはその強化魔法によって強化される部位を筋肉から、抵抗力に変更したのだ。
強化魔法によって強化されるのは何も筋肉だけじゃない。
靭帯、関節、皮膚などの強度や柔軟性も強化魔法によって増強できる。
反射神経や動体視力も、だ。
それには毒、雑菌などの抵抗力や身体の再生における治癒力も含まれる。
強化魔法という名前からは分かりにくいが、凡そ身体に纏わることをパワーアップさせるのが強化魔法なのだ。
それをこいつは応用した。
治癒は間に合わない。が、抵抗力を上げることで一時的に毒の耐性を手に入れたのだろう。
それは耐性というには程遠いものだが。
それでも身体を動かすには十分だった。
眼前で己を弄ぶジュリアを殺せるなら本望と思ったのかもしれない。例え、その身が毒で滅びようとも。
実際、魔獣の動きは確実に油断していたジュリアの顔面を狙っていた。
俺が気付かねばジュリアは顔面を粉砕されていたかもしれない。
無論、後ろにはロベルトさんがいたし、そう簡単にジュリアがやられたとは思えない。
それでも何もしないという選択肢は俺にはなかった。
何もしなくてジュリアが死んだら、傷ついたら、俺は己を許せないだろう。
「しゃあ!」
俺は気合と共に踏み込んだ。
右手に氣を集約させて。
「ぎゃぁああ!」
瀕死のランチャー・ベア・ワイルドは雄叫びを上げながらその腕を振り回す。
俺はその攻撃を躱し、懐に入り込んだ。
毒特有の饐えた匂いと殺意を孕んだ獣臭が鼻を甚振る。
それに耐え、超至近距離で俺は右手に力を籠めた。
密着に近い状態から、足首、膝、腰、胸、肩、肘、手首を同時に回転させ威力を生み出す。
「宵月流! 『零月霊燦』!」
ドンと小さな音とともに確実な手応えがあった。
打ち込んだ右手は伸びきっていない。
それほどの距離なのだ。
だが、威力は貫通した。
「ぎぃ!」
魔獣の口から黒い血が霧状になって吹き出す。
しかし、その目はまだ死んでいなかった。
「ぎぃぃぃいいい!!」
毒にも耐えた。氣にも耐えた。
この魔獣はまだ殺意を漲らせている。
元来、魔法による抵抗力強化は氣術に作用しない。
魔素を喰らう氣は強化魔法によるバフ程度の抵抗力など物ともしないのだ。
つまり、今までの攻撃でこの個体を屠れないのは偏に俺の技量不足。
歯痒い。
ジュリアの猛毒、俺の氣の連打をもってしてもこの魔獣には届かなかった。
「くそ……」
獣王武人を使わなかったことを後悔する。
ここにきて、選択を間違えたか。
こうなったら、左腕か右腕はくれてやる。防御に回してもその腕は引きちぎれるだろう。が、片腕でも残れば、そこから一秒生きられれば……変身できる。
それで殺す。
そう考えた時だった。
「アイガ君!」
ジュリアの震えた声が背中に届いた。
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