第199話 不死鳥花-その十四

 ジュリアは徐に右手を真横に伸ばす。その動きは悠然としていて、それでいて艶めかしい。

 その動きに合わせてインジェクション・グローブの中の液体が揺らめいた。


 ランチャー・ベア・ワイルドは怯まず、涎を撒き散らしながら走る。

 その目は殺意に満ち満ちていた。

 

 優雅なジュリアとは対照的だ。

 粗暴。

 その言葉が似合う。


 一方でジュリアはどこまでも冷静だ。迫りくる脅威に対して焦燥の色は一切ない。

 その貌は勇ましく、頼もしい。


「セルケト!」


 ジュリアの声にサソリの幻獣、セルケトが吠えて応える。


「『毒ヲ支度デカンタージュ』」


 コポンと小さな音が聞こえた。

 その音はジュリアの右手に備わる注射器からだ。

 手袋の小指の部分にある注射器部分の液体がドクドクと沸騰している。


 元々あった液体の量が増え、その色は原色の濃い緑色へと変貌した。

 見るからに禍々しい。否、毒々しい。


 やがて小指の注射器の針先からその緑色の液体が零れる。

 まさに注射器だ。その動きは看護師が患者に薬を投与する前に注射器の中の空気が入らぬように行う動作に酷似していた。

 そして排出された液体は瞬時に球体となり、空中に浮かぶ。


 ジュリアはその液体を眼前に翳した。


「甘美な毒を味わって。『毒ヲ吟味テイスティング』!」


 瞬間、毒の球体は猛スピードでランチャー・ベア・ワイルドに向かって飛ぶ。

 空気に触れ、その毒の塊が鮮やかに輝いた。

 

 球体はランチャー・ベア・ワイルドにぶつかる直前、シャボン玉のように割れる。

 緑の液体がそのままランチャー・ベア・ワイルドに降り注いた。


「ぎしゃあああああああああ!!」


 殺意を撒き散らしていたランチャー・ベア・ワイルドはその場でのたうち回る。

 断末魔のような叫び声と共に。


「普通のランチャー・ベアだと私とは相性は悪いのよね。棘の発射などの遠隔攻撃って厄介じゃない。でも貴方は強化魔法一転特化型。私とは頗る相性がいいわ」


 ジュリアは満面の笑みで、苦しむランチャー・ベア・ワイルドのほうへ歩き始めた。


「例え、どんなに筋肉を強化しても生物である以上、毒は貴方の身体を侵す。魔獣といえど生物。ならばその身体は無数に体内に通じる。口、鼻、目、毛穴、さらにはその皮膚ですら……」


 ジュリアはニヤリと笑う。

 同時に俺の背に寒気が走った。


「毒は貴方を襲う。強化魔法だけの貴方は私にとって……餌よ」


 ジュリアは右手を敵に向ける。


「『毒ヲ支度』……『二つドゥ』」


 今度は薬指と中指の液体が震えた。

 色は濁った白と透明だった。


 その液体がまた注射器を通して空中に現れる。


「『毒ヲ混成アッセンブラージュ』……」


 空中にて白と透明の液体が混ざっていった。

 色は黄みがかった白になる。


 ん?

 なんだ、この饐えた匂いは?

 どこかで嗅いだことのある嫌な臭いだった。


「さぁ、お代わりを上げる。『毒ヲ吟味』!」


 俺が記憶を辿る中、ジュリアはそれを敵に向かって撃つ。


 液体は先ほど同様、高速で飛翔し、ランチャー・ベア・ワイルドにぶつかる直前で破裂した。

 猛毒の液体が再び粗暴な魔獣に襲い掛かる。


「ぎしゃあああああああああああ!!」


 さっきとは比べ物にならない咆哮だった。

 血を吐きながら、喉を砕くように叫ぶ。

 そして、ランチャー・ベア・ワイルドの身体が一気に爛れていった。


 毛は落ち、皮膚は焼け、棘は抜けていった。

 見るだけで怖気が這う。


 余りにも残酷な攻撃だ。

 冷汗が蟀谷から流れる。


「猛毒魔法、『腐蝕ノ毒カバルデス』」


 ジュリアはさらに歩を進めた。

 その貌は愉悦に満ち満ちている。


「強烈な毒と毒を混ぜ合わせるのが、『毒ノ混成アッセンブラージュ』。本来毒というものは混ぜると別の物質に変わったり、毒そのものが変異したり、様々な危険が伴うの。でも契約魔法という高位の魔法によってそれらのデメリットは消える。この魔法は私の望むままに毒が生成してくれる」


 ジュリアは弱ったランチャー・ベア・ワイルドの眼前に立つ。

 その間合いは本来なら危険だったはずだ。

 しかし、当のランチャー・ベア・ワイルドは瀕死で地面に臥している。


 最早、ジュリアのほうが危険だった。

 彼女の猛毒が、魔獣を飲み込んでいく。身体も、精神も。


 その時になって思い出した。

 この匂いはあの時だ。


 ウィー・ステラ島で力比べの試練。

 あの時、砂の壁でそれぞれが隔離され、鎧型のマジック・ドールと戦わされた。


 俺は氣で鎧を屠った。


 砂の壁が崩れた先でクレアは炎で、サリーは金属の武器で、鎧を破壊していた。


 そんな中、ジュリアがどうやって鎧を倒していたのかがわからなかった。

 ただ饐えた匂いだけが残っていた。宛ら怨嗟の如く。


 その謎がやっと解けた。

 

 この毒だ……

 猛毒を混ぜ合わせて鎧を破壊するほどの毒を作ったのだ。

 凄い。まさか、毒によってあの鎧を撃破していたとは思いもしなかった。


「ふふふ」


 ジュリアは嗤いながら、己の顔に狂気の右手を触れる。

 その笑みは恍惚に近い。


 這い蹲るランチャー・ベア・ワイルドは息も絶え絶えだった。

 浅く、速く、酷く乱れる呼吸。その口にジュリアは人差し指を向けた。

 その指からは既に液体が零れている。

 

 黒い、黒い、液体だった。

 こちらも空気に触れたためか、輝いている。が、その輝きは死を彷彿とさせた。

 

良き旅をボン・ボヤージュ……『毒ヲ吟味』……『凋落ノ毒ムーラン・ナ・ヴァン』」


 黒い毒は凄まじい勢いで発射される。

 今度は直前で割れることなく、ランチャー・ベア・ワイルドの口に入った。

 

 直後、のけ反り、天を仰ぐランチャー・ベア・ワイルド。

 這い蹲っていたはずなのに、のけ反るということはそれほどの苦しみなのか。


 神に祈るかのように血の涙を流し、神に訴えるかのように両腕を広げ、神に縋るかのように悲鳴を上げた。


 耳を塞ぎたくなるほどの断末魔が木霊する。

 そして、全身の毛と棘が抜け、皮膚が爛れ、血反吐を撒き散らしながら、ランチャー・ベア・ワイルドは地面に前のめりに倒れた。


 遅れて、その周囲を赤黒い血が流れていく。


 ジュリアは微笑んでいた。

 それは今まで見たジュリアの中で一番艶やかで恐ろしい笑みだった。

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