第198話 不死鳥花-その十三
想定しなかったわけではない。
二体目のランチャー・ベア・ワイルドの襲撃。
しかし違和感がある。
何かがおかしい。
それが何かとは言い表せないが……
なんだ、この違和感は……
いや、それは後で考えよう。
どちらにせよ、危険が目の前に迫っているのだ。
余計なことを考えていては命取りになる。
俺は軽く息を吐いて意識を切り替えた。
敵は一体だけだ。
落ち着け。
ランチャー・ベア・ワイルドはゆっくりとこちらへ近づいている。
山道を徐に上がってきていた。その身体から殺意を撒き散らして。
「あれってワイルド?」
ジュリアが俺に問う。その目は昏く煌めいていた。
「あぁ。恐らく」
「そう……」
無論、確証はない。ワイルドは通常種と見分けることは不可能だ。
戦って始めてわかる。
だが、この気配。
感覚に訴えかける警報。
俺の中の本能があれを危険だと判断しているのだ。
その判断は全てワイルドにしか効かない。
『どうしたの?』
突然、耳元で声がした。
クレアの声だ。
これはウィー・ステラ島でテレサ先生が使っていた魔法。
クレアも使えたのか。
「二体目のワイルドがでてきたの」
『え!? 大丈夫? すぐ行くわ』
「バカ、死ぬ気?」
ジュリアがクレアを諫める。微かに嗤っていた。
そして余裕も感じられる。
彼女は二体目のワイルドを前にしても焦っていないのだ。
『え?』
「あんた、今火山の真っただ中でしょ。高速飛行に魔力割いたらマグマに使っている分の魔力操作できるの? それに変に火山を刺激して噴火させたら一発でお釈迦よ」
『それは……そうだけど……』
成程、状況は最悪だ。
クレアが火口に降りて不死鳥花を採取していることで、こちらは最高戦力を失っているのだから。
クレアが戻るには飛翔するしかない。
だが、それをすればジュリアが言った通り火山を刺激する可能性がある。
安全を求めるならクレアはゆっくりと飛行するか、跳躍によって戻ってくるしかない。が、それは時間がかかるはずだ。
その間に普通なら俺たちはあの魔獣に蹂躙されてしまうだろう。
考えれば考えるほど厄介だ。
獣王武人を使うべきか?
俺のポケットには獣化液がある。
これを身体に打てば変身可能だ。
ただ、ジュリアは俺が化け物になることを知らない。
そこは構わない。
それでこの状況が覆るならいくらでも汚名を被る覚悟はある。
問題はロベルトさんだ。
兄貴が率いる部隊の隊員であるロベルトさんの目の前で変身するのは流石に躊躇ってしまう。
さて……どうするか。
『大丈夫なの?』
心配するクレアの声が響いた。
「大丈夫よ。あんたはのんびり上がってきなさい」
力強くそう宣言し、ジュリアが一歩前に出る。
「ジュリア?」
ジュリアはゆっくりと白衣を脱ぎ捨てた。
艶めかしい肢体が露になる。
同時に髪型をお団子にしていたゴムも解いた。
水色とピンクの髪が颯爽と靡く。
「アイガ君、そんな怖い顔しなくてもいいわよ。ここは私がやるから」
ジュリアは笑顔だ。
それはまるで泣き叫ぶ子供を安心させる
「正直、腹が立ってんのよ。クレアがいない今ならチャンスと思って出てきたあの魔獣が。なにそれ。舐められるじゃん、私」
ジュリアから笑みが消えた。
あの慈愛に満ちた笑顔も一瞬で様変わりする。
その表情に宿るのは怒りだった。
「こう見えても私だってディアレス学園の特別科に在籍しているんだけどね。下に見られるのは嫌いなの。何よりクレアにばかりいい恰好はさせられないよね」
ジュリアから闘志が放たれる。
この
間違いない。
彼女もまた、天才と呼ばれる側の人間だ。
「ふぅ……」
一呼吸おいて、ジュリアは右手を掲げる。
「侵せ、悉く。満たせ、この孤独。さぁ……出番だよ! セルケト!」
ジュリアの右手が禍々しく、黒く輝いた。
『アイガ……もしかしてジュリア、契約魔法を使う気?』
耳元にクレアの声が届く。少し、焦燥が混じっているような気がした。
「あぁ、そうみたいだ」
『そう……アイガって虫とか大丈夫?』
「ん?」
質問の意図がわからなかった。
何故今、そんなことを聞くんだ?
「え……と大丈夫だけど……それがどうかしたのか?」
山育ちなので虫なんて平気だ。
なんなら、前にいた世界でも虫取りに行く程度に虫は好きだった。
『ううん、なんでもないの』
クレアの答えは釈然としなかった。
俺は首を傾げたままジュリアを眺める。
黒い光は一層強く輝き、そして消えた。
その右手にあったのは、不可思議な物体だ。
五指全てを覆う手袋。
だが、それぞれ指の付け根の部分にシリンダーのようなものがあった。そのシリンダーには澱んだ液体で満たされている。
指先は針のようなものがあった。
あれは……注射器か?
指全体がまるで注射器のようになっていた。
動きは疎外されていないようだが、あまりにも特異な形状であり、どこか畏怖を感じさせる。
摩訶不思議な契約武器だ。
あれほど奇怪な武器を俺は見たことがない。
「ん? わ!」
俺は横目に何か蠢くものを感じた。
何気なく見た瞬間、あまりにも己の
視認し、脳がそれを理解したとき、無様にも驚きの声を挙げてしまったのだ。
そこにいたのはバカでかいサソリだった。
鎧の如き、体躯。薄らと毛が生え、それは仄かな光に反射して黒く輝く。
体調は三メートル程。
がっしりとした鋏を動かし、八本ある足が大地を踏み鳴らす。
何より目を引くのが、毒針だ。
三メートルのでかいサソリの尾もまたでかいのだが、その先にあったのは毒針ではなく、女性の上半身だった。
女性の臍から上の部分がそこにある。
ただ、腕はない。肩から先が丸くなっていて、腕が無いのだ。
胸もあるが、乳首はなく、どこか作り物のような質感だった。
顔に当たる部分には鼻、口があるが、口のなかは乱杭歯で不気味に笑っている。
目はなく、その部分はつるんとしていた。
長い髪が嗤うたびに戦ぐ。
人間の部分の色も黒いサソリと同じ色合いで、全体的に不気味だった。
俺が見てきた幻獣の中でもトップクラスの……見た目だ。
「私の契約している幻獣はセルケト。契約武器は
奇抜。
確かに奇抜だが、これはその言葉の範疇を超えていないか?
『アイガ、ジュリアの幻獣見た?』
「あぁ、見たよ。凄いな、色んな意味で」
どうやらクレアもジュリアの幻獣を知っていたようだ。だからあの質問を投げかけたのか。得心がいく。
この見た目、恐らくだが苦手な人の方が多いように思えた。
『できるだけ、急いで戻るから二人とも無理はしないでね』
クレアの言葉にジュリアは鼻で笑う。
「そんな必要はないわ……私だけでこいつは仕留めるから。さぁ、行くわよ! 王国より賜りし字名は! 『
ジュリアは走った。
俺の隣にいたセルケトもその足を躍動させ追従する。遅れて、毒針の先にある女の口から悲鳴のような雄叫びが轟いた。
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