第196話 不死鳥花-その十一
あと少しで頂上だ。
灰色の霧が辺りに広がっている。
景色は霞んで見えない。
まるで俺の心模様とリンクしているようだった。
飲み込んだ諦念が苦い。饐えた胃酸と共に喉と食道を焼く。
これは幻覚の痛みなのか。だとしたら、恐ろしいほどに熱い。
ランチャー・ベア・ワイルドをクレアが爆殺してからかれこれ、三時間ほど経っている。
険しい山道を只管登り続け、漸く目的地に辿り着いた。
ロベルトさんはわからないが、クレアとジュリアは強化魔法を使っているはずだ
そのためか疲労を全く見せず、予想以上の早さで頂上に到着できた。
俺は魔人の証明だけは使っているが、ここよりも険しい山で生活していたので息は上がっていない。
一方で身体には心地いい疲労感が蓄積されていた。
あの襲撃以降ランチャー・ベアはおろか、他の魔獣すら襲ってきていない。
気配はするものの、ランチャー・ベアを屠ったクレアに恐れをなしたのか、それとも別の理由か、兎に角魔獣は接近すらしてこなかった。
このまま無事に終わればいいが。
そんなことを考えていると、火山特有の硫黄の匂いが一層強くなる。
同時に地面の色も変わり始めた。
茶褐色の大地が、灰色と黒に塗れているのだ。
灰色は火山灰だろう。
では、この黒は?
俺は地面を触る。
微かに熱い。
これはマグマか!
正確にはマグマが冷えて固まったものだ。
流石、活火山。
こんな身近にマグマの流動を感じられるとは。
同時に危険だ。
火山がいつ噴火してもおかしくないという危険を孕んでいるはず。
自然の驚異に俺は無力だ。
獣王武人を使ったとしてもマグマには勝てない。
鋼の如き獣毛も筋肉も溢れ出るマグマの前には為す術なく焼け落ちるだけだ。
「頂上! 到着!」
ジュリアが元気に宣言する。
高揚感からか、高らかに両手を挙げていた。
不安を拭いながら俺はジュリアに釣られて笑う。
クレアも笑顔だった。
そして、その場所から下を覗けば微かにマグマの煮え滾るオレンジ色が見える。
煌々と燃えるその姿は地獄の入り口にも、素晴らしい自然の風景にも見えてしまった。
触れれば忽ちこの身を焼き尽くすのだから地獄の光景に見えても仕方がないのに、綺麗という感情を抱くあたり俺は意外とまだ呑気なのかもしれない。
観光もそこそこに俺は目当ての不死鳥花を探す。
魔力の有無に関わらず、それはすぐに見つかった。
火口の端にひっそりと咲き誇る花。
可憐にも見えるその花はオレンジのマグマに照らされ爛々と輝く。
まるで舞台でスポットライトを浴びる女優のようだ。
「あった!」
名前の通り不死鳥を彷彿とさせる花弁が天に向かって戦いでいた。
そこにあった不死鳥花は一本だけだ。
その一本が凛と咲き誇っている。
不死鳥花以外、植物は全く生えていない。
苔すらない、死の場所で一本佇む姿は凛々しくも寂しい。
俺は不死鳥花を眺めながら思案した。
あの不死鳥花を採取するには一旦、ここから火口に降りなくてはならないのだ。
さて、どうするか。
壁際には突起があるのでそこを足場にして降りることもできなくはないが、体重が掛かった瞬間砕けて落ちてしまえば終わりだ。
マグマに焼かれて死ぬだけ。
そんな折、
「私が行くわ」
と、クレアが囁いた。
「え? でも危な……」
そこまで言って俺は気付く。
クレアには魔法があるのだ。
クレアは飛行が可能だ。
だからこそ適任だった。
飛べるなら落下の危険は皆無。
噴火は別だが。
加えてこの中で最弱の俺が、クレアを慮るなど愚の骨頂。それをする資格すら俺にはない。
俺は吐きかけた言葉を飲み込む。
それがどこか苦い味がしたのは錯覚だったのだろうか。
「じゃあ、頼むわ」
ジュリアはあっけらかんと言う。
俺は無言で返した。
クレアは笑って、火口に向かってジャンプする。
それは本当に軽やかなジャンプだった。
楽しみにしていた遠足に行くかのように。
煮え滾るマグマに向かって落ちていくクレア。
おかしい。
何故飛ばない。
クレアはどんどんマグマに向かっていく。
その速度は止まらない。
そろそろ飛ばないと……
マグマに……
「クレア!」
俺は溜まらず叫んだ。
何かトラブルか、そう思ったからだ。
だが俺の叫びは無慈悲に火口に木霊するだけ。
クレアはマグマに落ちてしまった。
脳味噌がクラッシュしそうになるほどの衝撃が奔った。
ドロドロに溶けるクレア……かと思ったが、クレアは何事もなくマグマの上に立っていた。
そう、立っているのだ。
悠然と、クレアは高温のマグマの上に立っている。
クレアはニッコリと笑って俺にピースを送った。
大丈夫、というサインだろう。
俺は安堵し、長い溜息を洩らした。
そして腰が砕けその場に跪く。
ふとオリエンテーション合宿での話を思い出した。
海の上に立つには自分の重さをコントロールし水魔法で波を計算して操作しなければならない。
確かそのようなことを言っていたはずだ。
非常に難しい。
そうゴードンやロビンも言っていた。
それを今、クレアはマグマの上で行っているのだ。
落下する自分の衝撃、高温のマグマを魔法で操作、剰え己の自重を沈まぬようコントロールしている。
きっとそれは途轍もない上級の技術なのだろう。
もう驚くことにも疲れていたのか、俺は妙に納得し落ち着きを取り戻す。
「不死鳥花は希望の花なの」
ジュリアが突然呟いた。
彼女はその場にしゃがむ。視線は不死鳥花に向かっていた。
「ここに来る前にも言ったけど、不死鳥花には凄い魔力があるの。だけどそれは他の薬草でも十分代用が可能。それこそ危険を冒してまで採りに行かなくてもいい薬草……」
ジュリアの声色は優しい。
優しいのだが、どこか物悲しい雰囲気もあった。
それは普段の彼女からは感じられないものだ。
だからだろうか俺は今、戸惑っている。
「不死鳥花の主な効能は魔力の回復と滋養強壮。処方される患者は主に怪我を負った人」
触れてしまえば粉々に砕けそうな、そんな空気がジュリアから溢れて出ていた。
「だけどね……」
ジュリアが不意に俺を見つめる。
その瞳は微かに濡れていた。
マグマの熱に当てられたわけではないだろう。
ならば、そのわけは……
いや、詮索は不粋か。
「不死鳥花だけの効果があるの」
「不死鳥花だけ? それは?」
俺の問いにジュリアは儚く笑う。
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