第195話 不死鳥花-その十

 クレアの背面にある鉄の翼が戦慄く。魔法の世界では耳馴染みのない機械の駆動音を響かせながら。


 それに比例して温度が上がっていった。

 熱い。まるで空気そのものが炎と化しているようだ。

 恐らく熱を放っているのは、あの翼だろう。


 辺りをねぶるように広がるこの猛烈な熱が、俺の身体と精神こころを焼いていく。


 微かに陽炎が漂った。

 俺は今、炎に焙られ、熱を帯びた鋼のように、クレアの魔法に染められている。

 だからだろうか、魔力を持たないのにわかるんだ。

 

 桁が違う、ということが。


 眼前にいるクレアの真価。

 それを垣間見ても尚、俺はその姿を直視できるだろうか。


「さぁ、行くわよ。迦楼羅天」

「委細承知」


 迦楼羅天が嗤った。

 それはどこまでも無邪気で、冷酷で、清々しい笑みだ。


 クレアはさらに高く飛ぶ。

 炎が遅れてその後を追随した。


「『紅蓮の楽団フレア・オーケストラ』!」


 クレアが叫んだ瞬間、背中から延びる黒いコードが彼女の左手に巻き付いていく。

 遅れて紅い炎が灯った。


 俺は目を瞠る。


 黒いコードは数秒で元の位置へ戻った。クレアの左腕に不可思議なものを残して。


 それはまるで巨大な音叉だった。

 クレアの左腕に無機質な漆黒の手甲が装備されている。手甲は西洋のものでその上部分に巨大な音叉があった。

 U字型の音叉の中央には拳銃同様、紅いラインが走っている。それは音叉の先まで続いていた。


 クレアはその左手を荒ぶるランチャー・ベア・ワイルドに向ける。


 同時にクレアの背中から炎が吹きあがった。

 それは一瞬でクレアの顔を覆う。

 まるで炎のヘルメット。いや、揺蕩う炎は布のようでヘルメットというよりはバンダナに近い。

 それが顔を包んでいたのだ。


「『交響曲シンフォニー』!」


 クレアの左手の音叉が戦慄いた。

 そして、そのU字の中央部分から黒い塊が生成されていく。

 それは真っ黒な球体だった。その周囲に赤い稲光のようなものがバチバチと走っている。


 あれは電気か?


 やがて、それは掌ほどの大きさになった。

 クレアはそれを敵に向ける。


 次いで炎の頭巾がクレアの目を覆った。

 右目の部分が太陽のように光り輝く。

 照準を合わせたようだ。


 つまりあれは照準器スコープの代わり。


第一番ザ・ファースト、『艶笑』」


 瞬間、黒い塊が猛スピードで発射された。


「え?」


 俺はまた驚く。

 それはランチャー・ベアに着弾するが、そのままその巨大な腕にくっ付いただけだったのだ。

 まるで纏わりつく埃のように。


 不発?


 正直、拍子抜けしていた俺はクレアの方を見る。

 だが、クレアは余裕綽々の表情だった。


 再びU字の手甲が震える。

 そしてまたあの黒い塊が射出された。

 今度は一気にそれが五発、ランチャー・ベアに向かって飛んでいく。


 ランチャー・ベアはそれを嫌がるように払うが、全てがその巨体にくっ付いた。

 計六発の黒い塊がランチャー・ベアの身体に引っ付いている。


 まるで亡者の呪いのように付きまとう黒い塊。

 それは一体何なのか、俺は全くわからなかった。


 不意にクレアは右手を翳す。その手にはあの黒いオートマチックの拳銃があった。


「さぁ、いい声で奏でなさい……」


 宛ら指揮者の指揮棒の如くのその銃を上から下に振るう。

 その姿は背後の天穹てんきゅうと重なって荘厳な振舞だった。

 見惚れるほどに。


 そんな愚鈍な俺の耳を爆音が劈く。

 大爆発が起きたのだ。


「な!?」


 俺は無様に驚く。これがもう何度目なのかもう自分でもわからない。

 

 爆発したのはランチャー・ベア……の、腕にくっ付いていたあの黒い塊だ。

 それが爆炎と爆音を轟かせている。

 

 一つ目の黒い塊が爆発すると、連鎖して次々と爆炎が起こった。

 それは天に向かって上り、爆炎の柱がその場に生成される。


 火柱。そんな言葉では表現できないほどの猛る炎の柱が天に向かって聳えた。

 宛ら、生贄を捧げる送り火の如く。


 熱が吹き荒び、肌を焼いていった。

 それは幻想なのだが、実際に肌がひり付いている。


 これは……

 畏怖ではない。憧憬でもない。

 ましてや絶望でもない。


 もっと、俺が恐れる感情……

 

 諦念。


 諦めるという感情だ。


 俺はそれを飲み込む。

 それを受け入れた瞬間、俺は崩れ落ちるだろう。

 そうなったらもう二度と立ち上がれない。


 彼女を守るために強くなる。

 その理想ゆめを容易く砕くほど、クレアの魔法は俺に諦めろと強く訴えかけていた。

 

 まだだ。

 まだ、遠く及ばない。


 それでも……


 俺は、挫けない。

 膝をつかない。

 諦めない……


 あの日、あの時、クレアを泣かせてしまったあの瞬間……

 永遠に諦めないと誓ったんだ。


 俺はいつの間にか、拳を握っていた。血が滲むほどに。


「久々にすっきりしたわ」


 爽快な表情でクレアは左手で髪をかき上げる。いつの間にか炎のバンダナは霧散していた。


 爆ぜる火柱は漸く消える。

 そこには何も残っていなかった。


 死骸はおろか、消し炭すら残っていない。

 そこに何かがいたという痕跡そのものを焼失させていたのだ。


 圧倒的な火力によって。


 礫岩の群れを爆砕した重火器の攻撃に耐えた超級の魔獣を跡形もなく吹き飛ばした爆弾の高火力。

 それは俺の想像の遥か上にある魔法だった。


「足りぬ、足りぬぞ。あの程度の小物、我は満足できぬ……クレア!」


 迦楼羅天がやや消化不良気味に吠える。


「仕方ないでしょ。貴方が満足できる敵なんて、そうそういないわよ」

「うぅむ。詮無いこととはいえ……暴れたりぬ。次こそ、我を満足させてくれよ。クレア」


 迦楼羅天は歯噛みをしながらその姿を陽炎のように揺らめかせ、消えた。

 同時にクレアの背にあった鉄の翼も消える。


 クレアが墜落するかと思ったが、そんな心配を他所にクレアはゆったりと地上に降り立つ。

 まさに女神降誕といった具合に。


 翼が消える直前に服は魔法によって再生されたのでクレアが地面に着地するころには制服姿に戻っていた。


「最近、中途半端に迦楼羅天を使っていたからちょっと奮発して魔法を使ったけど、それでも足りなかったみたいね。今度適当な場所で大暴れしておこうかしら」


 そう言いながら笑うクレアだが、その大暴れはきっと俺の想像もつかないほど、それこそ地形を変えるほどの力を解放することと同じなのだろう。

 

 目を丸くする俺にクレアがにっこりと笑う。


「あ、今のは交響曲って魔法なの。さっき私の左手にあった手甲から爆弾を発射して相手を爆破する魔法で、早い話、爆弾を生み出す魔法って感じかな」


 そう言いながらクレアは自身の左手を指した。

 そこにはもう魔獣を焼き殺した兵器はなく、白磁器のように美しい左手が煌めいているだけだった。


「数が多いほど火力が上がるんだけど自分でもどれくらいでどんな威力になるかわかっていないんだよねぇ。あの魔獣相手なら三つくらいでよかったかも」


 クレアは快活にランチャー・ベアを爆殺した魔法を説明してくれた。

 そうか、あの黒い塊は爆弾だったのか。


 交響曲。

 それは爆弾を生み出す魔法。

 

 殲滅兵器アナイヒレイティブ

 それ故に納得できる魔法と威力だった。

 

 重火器として力だけじゃない。


 クレアによって生み出されるその魔法は間違いなく敵を殲滅する。

 それに特化した、高火力の魔法だった。

 加えて、見るものに戦う気力を根こそぎ奪う。


 だからこそ殲滅兵器なのだろう。


 俺は飲み込んだ諦念が腹の中で蠕動する感覚を覚えた。

 それはきっと俺の腹の中で永久に蠢き続けるのだろう。


 俺は乗り越えなければならない。

 乗り越えなければ、これに飲み込まれたら、俺はもう俺ではなくなる。

 それだけは確信できた。


 クレアの隣にはまだ、俺は立てない。

 立てないのだ……


 今は、無理でも……

 いつか必ず、その隣に立つ。


 俺はそう覚悟を決めた。

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