第194話 不死鳥花-その九
クレアは祝詞を唱えた瞬間、後ろへ跳んだ。
俺たちが今いる場所はヴォルタン火山の険しい山道だ。
そう、ここは山道。
クレアは自ら坂に跳んだのだ。
崖、とまではいかないが傾斜は決して緩やかではない。加えてそこには堅牢な岩が剣山のように隆起していた。
それは自殺……いや自傷行為に等しい。
「クレア!?」
俺はつい声を漏らした。
「大丈夫だから」
クレアはそう呟いて下へと落ちていく。が、次の瞬間、鉄の翼を羽搏かせ空へと飛び立った。
勇ましく、優美に。
今、彼女の背中には銃が幾重にも重なった漆黒の翼がある。
クレアが契約魔法を発動している。
無論、祝詞を唱えたのだからそれは当たり前だ。
クレアが自ら下に落ちたのは、翼を発動するスペースを確保するためだったのか。
それを理解し、己の心配が杞憂に終わったことにホッとする。
改めて、俺は翼の生えたクレアを望む。
あの姿を初めて見たとき、その美しさ、その逞しさ、その強さに畏怖し、憧憬を抱き、そして絶望した。
その契約魔法が再び、俺の眼前に現れたのだ。
神の啓示を受けた人間のように俺は言葉を失う。
しかし、呆ける俺の脳味噌にとある記憶が映画のように再生された。初めてクレアの契約魔法を垣間見たときの記憶だ。
背中より幾重にも生える銃の翼。
揺蕩う黒きコード、翼の一枚一枚に灯る紅いライン。
次いで、上半身裸のクレア。
背中から翼を生やすという特性上、着ている服を失うというデメリットがあった。
そのデメリットを嫌って、クレアは自身の契約魔法を完全開放しないでいることが多い。
この場には俺以外にジュリアとロベルトさんがいる。
ロベルトさんがいるのだ。
女性のジュリアは兎も角、クレアの裸をロベルトさんに見られるのは嫌だった。
それが何故かと問われると明確な答えは用意できない。
だが、感情が爆発するほど嫌だった。
俺はもう一度クレアの姿を瞠る。
「あ……」
俺は驚いた。
クレアの胸の部分に背面から延びる黒いコードが巻き付いていたのだ。
宛ら、縄で編んだ水着のように。
これによってクレアの胸は露呈していない。
安心感が込み上げる。あと何故か小さな落胆も。
「アイガ……がっかりしてる?」
「え!? いや、ガッカリなんかしてないよ!」
クレアから猜疑の視線が跳んできた。
俺は安心しただけで断じてガッカリなどはしてない。していないはずだ。
それなのに己の目が泳いでいることが自分でもわかった。
動揺しているのか、心臓の鼓動が早くなる。
「ふーん……」
クレアは一瞬、悪戯な笑みを見せた。
「まぁ、いいわ」
クレアは表情を引き締め、その視線を残っているランチャー・ベアに向けた。
「これは私の新しい姿。迦楼羅天を完全開放した際のデメリットを帳消しにする私の新しいスタイル。これなら! 私は! いつでも! 全力を出せる!」
クレアが吠える。
同時に、鉄の翼が大きく開いた。
太陽の光を浴びて、その翼が雄々しく煌めく。
「さぁ、始めよう……クレア。我を楽しませよ!」
大気が震えた。
クレアの背後からゆっくりと現れたのだ。
迦楼羅天が。
その姿は宛ら神の如し。
クレアの契約する幻獣、迦楼羅天。
人語を理解し、人語を話す幻獣だ。
何度見てもやはり神々しい。
「な……喋る……だと……」
然しものロベルトさんも驚嘆していた。
それほどに珍しいのだ。
いや、珍しいなんてレベルなんてものじゃない。
前代未聞。
その言葉しかない。
古今東西、そんな幻獣は存在しなかったのだから。
「いくわよ!」
驚く俺たちを他所に、クレアは鉄の翼をはためかせた。
クレアは空を飛んでいる。
それは魔法の力だろう。
だが、その魔法がクレアの魔法なのか、契約魔法の力なのか、俺にはわからなかった。
「『
クレアの背中にあった銃の一部がランチャー・ベアの方を向く。
照準を合わせたんだ。
「撃て!」
クレアの合図と共に、無数の紅い弾丸が射出された。
爆音が遅れて轟く。
炎の弾丸やミサイル、レーザーが一斉に放射される。
そうだ、これはあの時と同じだ。
体術訓練場でモーガンを倒したあと、突如空中に罅が走った。そこから落とされる無数の礫岩。
圧し潰され死ぬ運命だった俺を救った兵器の群れ。
それが今、ランチャー・ベアに向かって飛んで行ったのだ。
ドーンと大きな音が響く。
全弾が命中した。
爆炎と黒煙の中、ランチャー・ベアが走った。
その身体は黒く焦げ、あちこちが爛れている。
しかし、その程度だった。
あの爆撃を受けて、この魔獣はまだ息をして剰え反撃を試みたのだ。
恐ろしいほどに強い。
通常種とは全く違う。
ランチャー・ベア・ワイルドはその右手に大きな岩の塊を持っていた。
それを思い切り投げ飛ばす。
強化魔法のお陰か、大岩は投石器より放たれたが如く、凄まじいスピードでクレアに迫った。
「クレア!」
俺は叫ぶ。
クレアは指を鳴らした。
翼を形成する銃の一部から赤いレーザーが一筋放たれる。
そのレーザーが襲い来る大岩を完全に破壊した。
クレアはどこまでも冷静だった。
「へぇ~」
全力の魔法を受けてなお、挑むランチャー・ベア・ワイルドを見てもクレアは全く動じていなかった。
「仕方ないわね。久しぶりに契約魔法を使うわ」
「え?」
俺は耳を疑う。
契約魔法を使う?
じゃあ今までは?
使っていなかったのか?
「クレアのさっきのあれは厳密には契約魔法じゃないわよ」
呆ける俺にジュリアが微笑みながら教えてくれた。
「どういうことだ?」
ロベルトさんも驚いているようだ。
ジュリアはニッコリと笑った。
俺たちを揶揄うように。
「クレアのさっきの攻撃は単純に武器として
成程……
そうか、確かにそうだ。
銃だから当然撃てる。
それはジュリアの説明通り、剣で斬る、槍で突くことと同じだ。
弾丸の問題はあるが、そこはクレアの魔力で代用しているのだろう。
驚きながらも得心がいった。
あれは魔法じゃない。兵器として使っただけ。
そして疑問が湧く。
ならば、魔法として使うならどうなるのか?
俺の身体に畏怖が這う。
心に憧憬が現れる。
遅れて、魂に絶望が生まれた。
「まぁ、私も教えてもらった程度の知識だけどね。クレアの契約魔法は世にも珍しい
ジュリアの台詞が静まり返ったヴォルタン火山に響き渡る。
そういえば、俺はクレアの契約魔法の契約武器をちゃんと知らない。
なんとなく、銃の類だと思っていた。
しかし……
ジュリアが言ったのは……
今、俺が感じているこの感情は……
戦慄に近い、恐怖とも違う感情が俺の心で蠢動し始めた。
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