第193話 不死鳥花-その八

 ランチャー・ベアと目が合う。

 拳に、嘗て屠った亡骸の感触が蘇った。


 数秒の間を置いてランチャー・ベアが嘶く。

 全員の表情が引き締まった。


 俺たちを睥睨し、ランチャー・ベアが岩陰から飛び出す。

 背中にある棘がいきり立っていた。興奮しているのだろう。久しぶりの獲物に。


 現れたのは一体だ。

 ランチャー・ベアは基本的に群れで行動しない。

 複数で行動したとしても、二、三体。家族程度のコミュニティーしか形成しないはずだ。


 即ちあれは斥候のような類ではない。

 恐らく単騎。ただの食いしん坊だ。


 俺は構える。


「アイガはいいよ」


 クレアの優しい言葉が耳に届いた。

 俺は返答しようとしたが、もうクレアの視線と意識は敵に注がれていた。


「世界を紅蓮に染めよ!」


 クレアの祝詞と共にその右手に黒き拳銃が出現する。

 契約武器ミディエーションだ。


 オートマチックの無機質な銃に施された紅いラインが爛々と煌めく。

 その銃から火炎の弾丸が放たれた。


「ぐぎゃ!」


 弾丸は見事にランチャー・ベアの頭部にヒットする。炎が炸裂し、その体躯を一気に燃やし尽くした。


 そのまま死骸は岩肌を転がって落ちていく。赤い炎と黒い煙と痛いほどの悪臭を伴って。


「お見事」


 ロベルトさんが不意に呟く。

 俺も同意見だ。


 一撃で敵の頭蓋を破壊したあの威力。

 加えて命中の精度も弾丸の速度も全てが圧巻だった。

 弾丸そのものは追尾式なのか、クレアが元々銃の才能があって命中させたのかわからないが、どちらにせよ見事としか言いようのない一発だ。

 惚れ惚れするほどに。


「先を急ぎましょうか」


 クレアは誇ることもなく硝煙の上がる拳銃をクルクルと回した。

 その様すら絵になる。


 俺たちは再び歩き出した。

 

 暫く歩くがあれ以来ランチャー・ベアは襲ってこなかった。

 やはり単独の個体だったようだ。


 険しい山道を只管登る。

 千七百メートルの山とはいえ、剥き出しの山道は疲れを倍加させた。


 辛うじて舗装されている……ほぼ獣道のような道だが……その道を歩き続ける。

周囲は岩が剣山のように隆起していた。


 その道を女子二人が悠々と歩き続けている。


 強化魔法の恩恵もあるだろうが、そもそも二人とも基礎体力がしっかりしているのだろう。未だペースは落ちない。息も上がっていないようだった。


「何かいるわね」


 不意にジュリアが止まった。

 合わせて、クレアと俺も止まる。


 周囲を見渡した。

 成程、ここら一帯にあからさまな殺意が蔓延っている。


「あっちか……」


 俺は右手を望んだ。

 そこには三体の蠢く影が。

 

 ランチャー・ベアだ。

 そしてこの気配……

 間違いない。


 あの中の一体はワイルドだ。

 どれが、ということはわからない。

 だが、確信に近い確証ともいえる直感が俺の脳内を駆け巡った。


「いる! ワイルドだ」

「え? アイガ君、わかるの?」


 ジュリアが目を丸くして俺を見る。

 どうやらジュリアの索敵魔法でもワイルドを認識することは不可能のようだ。


「あぁ」


 俺は短く答える。


「間違いないのね、アイガ」


 クレアは俺を信頼してくれているようだ。こちらを見ずに一直線にランチャー・ベアを見据えている。

 その瞳に赤い炎のような覚悟を宿して。


 ロベルトさんは何も言わず、構えもせず、ただ俺たちを見ているだけだった。


「どれがワイルドかはわからない。だけど間違いなく……いる!」


 俺の言葉にクレアは何も言わず、契約武器の拳銃を三体に向ける。

 照準が自分たちに向いたことで、攻撃を予期したのか、三体のランチャー・ベアは一斉に動いた。


 一体は右に、もう一体は左に、一体はその場に止まって背面の棘をいきり立たせる。

 この時点でワイルドは右か左のどちらかだ。

 棘を発射できないワイルドが背面の棘を逆立てる必要はないのだから。


 俺は二者択一に迫られる。

 右か、左か。

 どちらを屠るべきか。


 そして……獣王武人を使うか、否か……も。


「アイガもジュリアもそのままでいいわ」


 クレアはそう呟くと左手を指鉄砲の形にした。

 その手に赤い炎が灯る。


「迦楼羅天! 二丁目よ!」


 クレアは勇ましく叫んだ。

 次の瞬間、その左手にあった炎が黒い拳銃へと変貌していく。

 それはリボルバー式の拳銃だった。


 右手に持つオートマチックの拳銃同様、持ち手と銃身には紅いラインが一直線に走っている。


 クレアは二つの銃を使って、中央のランチャー・ベアに向かって火炎の弾丸を放った。

 轟音を奏でて、弾丸が数発撃ちこまれる。


 それら全てがランチャー・ベアに命中すると、一気に火柱となって燃え盛った。

 棘を発射する間もなく、断末魔をあげることすらなく、炭と化したランチャー・ベア。


 呆気にとられる俺を他所にクレアは既に二つの銃の照準をそれぞれのランチャー・ベアに向けていた。


「亡者は空を! 聖者は海を! 望み! そして朽ち果てる! 創作魔法オリジン! 『火を崇める猪』!」


 クレアが祝詞を唱える。

 拳銃の発射口の先に赤い魔法陣が浮かんだ。六芒星の魔法陣だ。

 それが三つ連続して浮かび、ゆっくりと回転している。


 クレアがトリガーを引いた。

 耳を破砕するような音を響かせて両方の拳銃から炎が射出される。


 その弾丸は発射されると同時に猪の姿となった。炎の猪だ。


 燃え盛る猪は、それぞれ一直線に迫りくる二体のランチャー・ベアに向かって走る。まさに猪突猛進。

 

 右へと向かった猪がランチャー・ベアにぶつかる。

 その瞬間、猪が爆炎となってランチャー・ベアを空に舞いあげた。

 突進による一撃は強力でランチャー・ベアは抵抗することすらできなかった。


 空にて、その炎がさらに燃え盛る。滾る炎が酸素を吸ってより大きく、燃え広がったようだ。

 ランチャー・ベアは黒焦げとなって地面に落ちる。身体の部位が落下の衝撃で砕けた。


 俺はその威力に驚くが、クレアは既に左の敵を睨んでいる。


 残ったランチャー・ベアは猛襲する炎の猪を粉砕していた。

 間違いない。

 こいつがワイルドだ!

 

 通常種を一瞬で爆砕した炎魔法を膂力で邀撃するほどのパワー。

 そしてその眼から迸る殺意。

 気圧されそうになる。


 俺は右手を固く握った。


「私……」


 その時、クレアがゆっくり前に出る。

 優雅にして、悠然で、神々しい背中だった。


「クレア?」


 そんなクレアから発せられた声色は憂いを帯びているような、今にも泣きそうなそんな声色だった。


「正直自分が許せなかった」


 眼前にはほぼ無傷のランチャー・ベア・ワイルドがいる。

 危険な状況だ。

 それにも関わらず俺はクレアの言葉を止められなかった。


「ウィー・ステラ島で私は完全に蚊帳の外だった……私が島に戻った時には全部終わっていた……」


 クレアの表情は俺からは見えない。

 だが、泣いているような気がした。


「サリーが傷ついて、ゴードン君が倒れて、皆が必死になって……アイガが救ってくれた……あの場所に私はいなかった」

「それは違う! あれは仕方なかったんだ! クレアはアクシデントに見舞われただけだ。クレアは悪くない……」

「違わないよ、アイガ」


 優しい口調なのにその言葉からは尋常ではない感情が伝わった。

 これは……怒り?


「何が、『紅蓮の切札』だ、何が『学園始まって以来の天才』だ。肝心な時に私は役立たずだ! そんな自分が……途方もなく許せなかったの」

「クレア……」


 俺が絞り出した言葉にクレアはゆっくりと振り返る。

 その瞳は真っ赤だった。


「だから……私強くなろうって決めたの。見てて……アイガ」


 ニッコリと笑うクレア。

 俺はもう言葉が紡げなかった。


 クレアは敵に視線を戻す。


 肌を焼くような熱が、吹き抜けた。


「世界を紅蓮に染めよ! 未来永劫焼き尽くせ!」

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