第192話 不死鳥花-その七
旅の時間はわずか十分ほどだった。
移り行く景色を慈しむ暇もない。
移動した距離だけなら約四百キロ。かなりの長距離だ。
元居た世界に例えるなら……わからない。
十歳までしかあちらの世界にはいなかったし、そもそもちゃんと勉強してこなかった身としては、その例えは不可能だった。
体感としてはとりあえず凄く遠いという幼稚な感想しかない。
それはそうと兎に角ワープ魔法陣とは便利なものだと再認識した。
レクック・シティのワープ・ステーションでまず一旦王都にワープし、そこで違うワープ魔法陣に経由した。
クレア曰くこれを『
『乗り換え』という言葉だけなら知っている。
元居た世界で俺すら行ったことのある行為だ。遠方に赴くには電車を乗り換える必要があるから。
トランジットなる言葉は知らなかったが。
どうやらそれは飛行機の際に使われる言葉らしい。これもクレアが教えてくれた。
異邦人がそう言ったのをいつの間にかこの世界で共通語として認識されたとのことだった。
つまり、ワープ・ステーションは駅としての側面だけでなく空港のような顔も持っているのだ。
まぁ、空港なんて言ったことないが。全く知らない未知の領域だ。
そうしたことを考えながら辿り着いたのは今、俺がいる場所、ヴォルタン・タウン。名前の通りヴォルタン火山の麓にある村だ。
火山の恩恵と脅威を長年受け続けている村で、観光資源と火山の灰を利用した農作物が名産らしい。
因みに温泉もあるらしいが、あまりの高温に入浴には適していないようだ。
残念。
入れるなら入ってみたかった。
クレア、ジュリア、そして引率のロベルトさんと共に村に入る。
村はレンガ造りの家が立ち並んでいた。風情がある赤茶色の壁面には灰色の傷跡がこびりついている。
それもまた装飾の一部のようで豊かな色合いに感じるのは呑気な余所者だからだろうか。
それでも田舎の風景が俺の心を洗う。
旅行気分が心の奥でちらついていた。
これまで多くの任務を熟す際にこうした感情が沸き起こる。
それを封じながら任務に邁進してきた。
しかし今回はクレアやジュリアがいる。
二人がいるところで、任務の最中に燥ぐなど以ての外だ。
そう理解しているのだが、どうしても心が逸る。
何せ初めて来た火山の村というのがどうにも俺の心を囃し立ててしまうのだ。
漂う独特の硫黄の匂いが余計に心を煽った。
「火山の近くだけど暑くないね。なんならちょっと涼しいくらい」
クレアが呟く。
彼女の言うとおりだ。
予想に反して温度は高くない。
だがそれは考えれば当然のことだったのかもしれない。
ヴォルタン火山はレクック・シティから北東へ四百キロ。さらに標高も二百メートルほど高い。
故に気温が低いのだ。
肌寒いと感じるほどに。
「早いところ任務終わらせて、観光しようね、アイガ君」
ジュリアがウィンクしてくる。
俺は渇いた笑いで返した。
後ろでクレアのざらついた視線が犇々とこの身を貫く。
冷汗が流れた。
あれ? 暑くないはずなんだが……
寧ろ、どんどん温度が下がっている気がする……
「それもいいが、任務の成功は大前提だぞ」
観光気分の俺たちに釘を刺すようにロベルトさんが諭す。
その通りだ。
俺は意識を改める。
村を抜けて、山道に入った。
ヴォルタン火山への道は一本道だ。迷うこともない。
硫黄の匂いがさらにきつくなった。
村の周囲には結界魔法が張られている。
俺には感じられないがクレアやジュリアたちはその存在を知覚していた。
その村を抜けた瞬間、二人の表情が変わったのだ。
スイッチを入れたのだろう。
ここからは魔獣がいつ飛び出してきてもおかしくないのだから。
山道の周りには一応、魔獣たちが村に侵入しないよう結界魔法以外の魔法が施されているが強力な魔獣にはあまり意味がない。
そうした魔獣を防ぐのが結界魔法なのだ。
この魔法は凄まじいらしく、超級の魔獣すら弾く。
だが、今俺たちはその庇護を受けていない。
どこからともなく襲い来る魔獣に対して自分たちで対処しなくてはならないのだ。
緊張の中、俺たちは隊列を練って歩く。
先頭にはクレア。間にジュリア。
一応、俺の後ろにロベルトさんがいるが、ロベルトさんは引率なので戦闘力にカウントしていない。
この隊列はワープ・ステーションに入る前に決めていたことだ。
最高攻撃力を有するクレアを先頭に置き、索敵魔法が得意なジュリアを中間において、魔獣の動きを把握。
最悪の事態に備えて俺が氣術で迎撃、といった具合である。
しかし、正直俺の存在などおまけ程度だろう。
ジュリアが魔獣を発見次第クレアが攻撃すればそれで事足りる。
俺は足手まといにならないよう努めるだけだ。
そんなことを考えていると、次第に山道が険しくなってきた。
初期はなだらかな山道で緑色の自然があったが、小一時間ほど登ったあたりから周囲の色が茶色と化してきた。
生き物の気配も徐々に消えていく。
虫の鳴き声も鳥の囀りも聞こえない。
遠くの方で何かしらの獣の雄叫びがした。
これが魔獣なのか、通常の獣なのか俺にはわからないが。全員の顔が引き締まる。
「ジュリア、何かいる?」
先を歩くクレアがジュリアに問うた。
「魔力を保有する獣が数匹、半径三十メートル以内にいるけど、これがランチャー・ベアかどうかはわからないわ。視認できないってことは多分違うと思うけど」
ジュリアの返答にクレアは「わかったわ」と返す。
周囲は岩と砂の世界になっていた。
巨岩が隆起し、その陰に隠れれば大型魔獣と言えど姿を隠すことは容易である。
そんな場所に俺たちはいたのだ。
ヴォルタン火山。
ガイザード王国の北東にある活火山だ。
噴火は二年前。その際ヴォルタン・タウンはそこまで大きな被害には遭わなかったが、マグマに焼かれた魔獣の死骸の匂いは強烈だったと聞く。
標高は約千七百メートル。そこまで高い山ではない。
麓にヴォルタン・タウンがあり、そこから山道が伸びていた。
五百メートル前後までは自然豊かな森の姿があるが、そこを超えると途端に岩と砂だけの世界になる。
これには理由がある。
帯魔濃度が濃いのだ。
帯魔濃度とは空気中の魔素の濃度のことである。
これが濃いということは潤沢な魔素が溢れ出ているということ。
それはもう毒に近い。
故に普通の動植物は生存できない。
それに順応できた生物しか生きられないのである。
順応した生物、それが即ち魔獣だ。
そして順応した植物の一例が不死鳥花といった薬草の類になる。
この高濃度の魔素の毒を受けない唯一の例外は人間だけ。
人間だけが濃い魔素の中でも生きられるのだ。
何故なら……
「あ! いるわ!」
不意にジュリアが右手の方角を指さし、叫んだ。
そこにいたのは……
あぁ、間違いない。
彼奴を見た瞬間、懐かしさに似た感傷が湧きだす。
ランチャー・ベアだ。
その瞳は獰猛を表すかのように鈍く、妖しく、輝いていた。
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