第191話 不死鳥花-その六

 不意に空気が変わる。

 どこか、血に似た匂いが漂った。

 これは……鉄の匂いだ。


 俺は咄嗟に学校の方を見る。


 そこには男の人が悠然と歩いていた。

 坊主頭で精悍な顔つきだ。

 顎鬚を生やしワイルドな印象を受ける。


 その人は両腕にガントレット、両足にレガートを装備していた。

 腰にはポシェットと短刀があり、革製の服に身を包んでいる。


 紛うことなき王都護衛部隊の隊員だ。鎧は彼らの正装なのだから。

 王都護衛部隊は基本的に隊によって装備する鎧の形が異なっている。

 五番小隊は確か、青銅色の鎧だ。


 そこからある程度個人でアレンジすることが許されていると師匠が言っていた。

 師匠曰く、『儂なんかは動きが阻害されるからあまり鎧をつけなかった』とのこと。

 兄貴も基本的にそうだった。

 アマンダさんも簡素な鎧しか身に纏っていなかったな。


 この男の人もまたアレンジしているのだろう。両腕と両足のみ鎧というのはあまり見たことがない。

 ただ、ガントレットもレガートも青銅色だ。

 

 そして、男のレガートをよく見ると王都護衛部隊の紋章とVの字があった。

 やはり五番小隊ということだろう。

 と、いうことはこの人が俺たちの引率者とみて間違いなさそうだ。


「待たせてしまったな。申し訳ない。思いのほか学校との手続きが長引いてしまった。あぁ……俺が今回君たちの任務の引率を任された王都護衛部隊五番小隊隊員、ロベルト・アーツだ。宜しく」


 そう言ってロベルトさんはにっこりと笑った。

 ロベルトさんは近くで見ると筋骨隆々というよりは細マッチョな体形だ。兄貴やアマンダさんに比べても二回りほど小さい。

 身長は恐らく百八十台前半くらいか。


 だが、格闘技に適したであろう筋肉のつき方や隙のない歩き方、さらに放たれる闘気が武闘家のそれだった。

 かなり強い。それはわかる。


「君は、ジュリア・ヴァンデグリフトだな。君のお母さんにはいつもお世話になっているよ。宜しく」


 ロベルトさんはジュリアとにこやかに握手した。

 ジュリアも微笑みながら握手に応じる。


 ジュリアのお母さんということは、ロイヤル・クロスの隊長か。

 さっきの話を聞いていなかったらチンプンカンプンだった。

 

 過激な東方警備の任に就いていた五番小隊なら確かにロイヤル・クロスの世話になることは多いか。


「君は、クレア・ヒナタだな。お噂は予々かねがね青田買いスカウトは禁じられているのでここでは挨拶だけにしておくよ。宜しく」


 ロベルトさんはクレアとも握手する。

 彼の台詞からクレアをスカウトしたい、という気持ちが犇々と伝わった。

 ただ、それは禁じられているようでロベルトさんは言葉を濁すに留まる。


 クレアは何も言わず笑っているだけだった。

 こうしたことに慣れているかのような対応だ。


「さて……」


 ロベルトさんは俺をゆっくりと見据えた。

 その雰囲気には並々ならぬ緊張感がある。


「君が、アイガ・ツキガミだな。会いたかったよ。あのマスター・ゲンブの直弟子なんだね。正直羨ましいと思っていたんだ。あの方から直に教えを受けるなんて、ね」

「ロベルトさんは師匠を知っているんですか?」


 ロベルトさんはニヤリと笑った。

 子供のような無邪気さを伴った笑みだ。


「それはそうさ。マスター・ゲンブこと、ゲンブ・クロイワの名前は我々武闘系魔術師にとって憧れの名前だからな。知らないわけがない。字名とは別にこの世界で唯一『闘神』の称号を冠する最強の武闘魔術師だ。本当に君が羨ましい。あのマスター・ゲンブから直接指導を受けた君が」


 ロベルトさんは饒舌になっていった。

 それほど興奮しているのだろう。


 確かに師匠は武術の達人だ。

 魔法使いでありながら武を極め、兄貴やパーシヴァル先生のような武術を極めんとする魔術師から尊敬されている人だ。


「私はマスター・ゲンブに憧れて、あの方がいた五番小隊に入隊したんだ。しかし私が入ってから間もなくしてマスター・ゲンブは除隊されてしまった。故に私の中で憧れがさらに強くなってしまった」

  

 ロベルトさんは空を仰ぐ。在りし日の思い出を懐かしんでいるようだった。


「マスター・ゲンブは当時、『技は教わる者ではない。盗むものだ』と仰られていた。なので中々技を教わることも叶わず。故にあのマスター・ゲンブから技を教わった君が羨ましいのだ」


 ロベルトさんはガシッと俺と握手する。

 強い力だった。


「宜しく頼むよ」

「こちらこそ……宜しくお願いします」


 ロベルトさんは一層笑うと俺たちから少し離れる。


「さて、挨拶も済んだことだし、今回の任務について話そうか」

 

 ロベルトさんは腰のポシェットから依頼書を取り出した。


「注意事項として学校側から言われているのだが、私は君たちが本当に危ないときにしか手助けできない。申し訳ないな。だから最初から私はいないものと考えてほしい。戦力としてカウントしないでくれ。それでいいかな?」


 成程、引率としては最低限のことしかしない……できないのか。

 それもそうだろう。

 これは元々我々が行うべき依頼なのだから。


「構いません。引率のほう、宜しくお願いします」


 ジュリアが丁寧にお辞儀する。

 この辺りの振舞を見ると彼女もまた貴族なのだろうな、ということがわかる。


「うむ。済まないな。あと、細かい作戦などは君たちで考えてくれ。そうしたアドバイスもするな、と言われているのだ」

 

 ロベルトさんは本当に申し訳なさそうだった。

 今回の依頼、引率に徹するということなんだろうな。


「では向かうか。ヴォルタン火山に。作戦の立案などは歩きながらでもできるだろう」


 こうして、俺たちの任務が始まった。


 一瞬、夏の風が俺を撫でる。

 これは歓迎なのか、それとも虫の知らせなのか。

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