第171話 オリエンテーション 55

「貴様! 何者だ!?」


 パーシヴァルは立ち上がる。いまだ腹で燻る炎を払いながら。


「初めまして、私は『まほろば』の戦闘員、スワン。スワン・ダッカーよ」


 人形のスワンはそう言ってスカートの裾を広げ、丁寧に頭を下げた。

 ロバートとは違って礼儀を弁えている。ただスワンからも慇懃無礼な雰囲気は感じ取れた。


 また、明らかに人形とわかるそれが人間のように振舞う様は不気味だった。


 パーシヴァルはもう一度、ゴードンたちの方を見る。

 ゴードンの横には、二人の女生徒がいた。ユーリとエミリーだ。

 その眼前にはまだ三体のハンマー・コングがいる。依然として危険な状態のままだ。


 急がねば!

 そう思って走り出そうとしたとき、スワンがフワリと羽毛のように飛び、パーシヴァルの眼前に降り立った。


「そこを退け!」


 パーシヴァルは怒りを爆発させて右手を振り翳す。


「退きませんわ。こんなチャンス、もう二度とないでしょうから」


 スワンはそう言って両手にまたあの白い炎を灯した。

 パーシヴァルは、まだグレンデルは消していない。右手に鉄球を携えた。


 一撃で決める。

 つもりだった。


「ぬ!」


 瞬間、腹部に激痛が走る。

 パーシヴァルが視線を下すと、腹が再び燃え始めていた。


「何!?」


 先ほどの炎は払ったはずだ。

 しかし、攻撃そのものはまだ終わっていなかった。


「私の炎はしぶといんですの」


 スワンは両手の炎を地面に叩きつける。その炎は地面を走り、パーシヴァルの周囲で環となって一気に燃え盛った。


「ぬぅ!」


「『蝋牢怪獄ワックス・プリズン』」


 その炎は殺意などない。

 明らかにパーシヴァルの動きを封じるためだけの炎だった。


 いつものパーシヴァルならこの程度の炎、容易く突破できるだろう。が、今のパーシヴァルは満身創痍。

 ギリギリでロバートに勝利した状態だ。


 加えて、自分の判断ミスで窮地に追いやってしまった生徒たちの安否がパーシヴァルをより焦らせていた。


「貴様ら!!」


 怒りが燃える。


 だが、その怒りをうまくエネルギーに変えられない。

 パーシヴァルは完全に敵の術中に嵌った。

 怒りと悲しみ、憎しみと悔しさが重なってパーシヴァルを塗りつぶしていく。この時ほど自分の弱さを恥じ、呪ったことはなかった。


「『全方位慈雨葬オールレンジ・ジュース』!」


 突如、天空より橙色に輝く雨が降り注ぐ。

 それは一瞬でパーシヴァルを囲う炎をかき消した。


「遅れて申し訳ありません」


 テレサだ。

 彼女が空より飛来してパーシヴァルを救ったのだ。


 テレサは颯爽とパーシヴァルの背後に立つ。

 魔法の雨によってパーシヴァルを封じる炎は消え、彼の傷もある程度回復していた。


 全方位慈雨葬オールレンジ・ジュース

 周囲一帯を強烈な雨で攻撃し、魔法攻撃を洗い流す。その上で対象者を回復させるという攻撃と回復を同時に行える最強の魔法だ。

 テレサが生み出した魔法であり、現在彼女以外は使えない稀有な魔法でもある。


「テレサ先生! 私より! ゴードンたちを!」


 封を解かれたパーシヴァルが叫ぶように訴える。いまだ、その心は負の感情に塗りつぶされたままだ。

 一方でテレサは動かない。


「テレサ先生!」

「向こうは大丈夫ですよ。ほら」


 冷静にテレサはゴードンたちの方角を指す。

 パーシヴァルが焦燥の中そちらを望んだ。


 そして目を見開いて驚く。

 ゴードンたちに迫りくるハンマー・コングに海面より飛び出したボートが突撃したからだ。


 乗っていたのはアイガだった。

 ハンマー・コングは吹っ飛び、その後ろにいたハンマー・コングたちも怯む。


 そして、降り立ったアイガがその三体に裂帛の殺気を叩きつけた。


「むぅ!」


 歴戦の猛者であるパーシヴァルですら驚くほどの殺気だった。

 その殺気をぶつけられ、ハンマー・コングたちの動きが止まる。


「向こうは彼らに任せましょう。最悪、私がいきますから」

「わかりました……」


 吐き出したい言葉と感情を飲み込んでパーシヴァルはモーニングスターの鉄球を振り回し始める。


 己がその言葉と感情を吐く資格がないことを理解しているのだ。

 勝負には勝った。が、大局的な戦闘では大敗を喫している。


 自分は怒りに震えることも、悲しみに暮れることも、憎しみをぶつけることも、悔しくて泣くことも、許されない。

 パーシヴァルはそう思いながら、奥歯を強く、強く、嚙み締めた。


 テレサはそんなパーシヴァルの気持ちを汲んでかそれ以上は何も言わず、殺意を研ぎ澄ませた。同時にその右手に水が集約されていく。


「う~ん、流石に元王都護衛部隊の隊長と副隊長と戦うのは無理ですね」


 スワンはそう言うと両手を掲げた。


「投降してくれるのかしら?」


 テレサの言葉にスワンはにっこりと笑う。


「それは嫌ですね!」


 スワンが指をバチンと鳴らす。

 瞬間、ロバートの身体が爆発した。


「何!?」


 肉片と臓物、血、骨、そしてロバートの身体にあった金属が飛び散る。

 それはまるで、パーシヴァルのモーニングスターの鉄球のような、釘爆弾を人間で作ったような、そんな爆発だった。


 赤い霧が立ち込める。血の霧だ。

 テレサは素早く風魔法でその血の霧を吹き飛ばす。


 しかし、そこにはロバートとスワンの姿はなかった。

 二人はすぐに周囲を探す。


 そして見つけた。

 遠くの小高い丘の上にいたのだ。


 スワンはボロボロになったロバートを肩に担いで立っている。

 ロバートは両腕を失い、腹からははらわたが飛び出していた。


 白目をむいて、血反吐を垂れ流すその顔はもう生きているのか、死んでいるのか、わからない。


「それでは、ごきげんよう」

「待て!」


 パーシヴァルは鉄球を投げつける。

 テレサも同時に水の弾丸を放った。


 ところが、それらの攻撃はスワンには当たらなかった。

 全て透けたのである。


 鉄球も水の魔法も虚しく後方の大地に突き刺さった。


「幻影……」


 テレサが憎々しく呟く。

 爆発のあと、スワンはわざと幻影で姿を見せたのだ。

 そこにまだ自分がいると思わせるために。


 全ては逃げる時間を稼ぐためだった。


「パーシヴァル先生、急いでゴードン君たちのところに行ってください。私は増援の手配に」

「は!」


 パーシヴァルは走る。


 その心にあったのは耐え難い敗北感だった。

 この上なく苦く、それでいて粘りつく敗北の味がパーシヴァルの心を削っていく。


 それは堪らなく痛かった。彼ほどの男でも耐えられないほどに。


「思った以上にやるわね。まほろば……不愉快極まりないわ」


 その場に残ったテレサは地面に転がるロバートの身体の残骸を見つめる。


 そしてその残骸を踏みつけた。

 彼女もまた苦い、苦い敗北の味を味わっていたのだ。

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