第172話 オリエンテーション 56

 俺は今、病院にいる。

 と、言っても俺が入院しているわけじゃない。


 見舞いだ。

 だから俺の右手には花束がある。名前も知らない白と黄色の花々。それらが輝くように咲き誇り、微かに馨しい香りを漂わせていた。


 それを持って俺は淡い白と薄い青を基調とした病院の廊下を歩いている。時折、心地いいピアノの音が聞こえてきた。どこかで誰かが弾いているのだろうか。


 ここはレクック・シティ最大の病院、レクック・ホスピタルセンター。

 最大というだけあって病院の規模はバカでかい。ディアレス学園と対等タメを張るほどだ。


 病院は七階建てでコの字型をしている。地下も三階まであり、本当に広い。未だに迷子になりそうだ。


 俺はその最上階にいる。

 窓からはレクック・シティの風景が一望でき、その奥にある万緑の山々も望むことができた。病院自体が丘の上にあるためか本当に景色が素晴らしい。


 病院を歩くが、元いた世界特有の薬品臭さなどは全くない。


 まぁ魔法の世界で病院があるというのも変な話か。

 魔法で手っ取り早く回復させればいい、そう思っていたが治療行為というものはそんな簡単なものではないのだろう。


 この世界の医療技術も棄てたものではないのかもしれない。

 そもそも嘗てその恩恵によって命を拾った俺が言えた義理ではないな。


 そんなことを考えながらやっと目的の場所に辿り着いた。

 大きな木製の扉が眼前に聳える。黒い漆が塗られた重厚な扉は無言の圧力を放っていた。


 俺はその扉をノックする。


「入っていいか?」


 俺の問いに扉の向こうから「あぁ」と聞こえてきた。

 俺は扉を開けて、中に入る。


 瞬間、数多の花の香りが爆ぜるように襲ってきた。大量の見舞いの花が部屋の一面に鎮座しており、香りはそこから齎されたのだ。

 この花だけで店が開けるのではないか、と思えるほど大量の多種多様な花がそこにはあった。


 この部屋に入るのは三度目だが、毎度驚かされる。

 花は来るたびに増えていた。それなのに萎びることもなく丁寧に管理されている。

手入れをしている者がいるのだ。


 部屋の中は広い。十帖以上ある。詳しくはわからないが、俺たちが学ぶ教室と同じくらいに感じた。


 あれだけの花があってもなお、広く感じる。

 それほどこの部屋は広いのだ。


「おぉ、来てくれたか」


 部屋の奥にあるベッド。


 そこにいたのはゴードンだ。

 ゴードンはベッドの上でにこやかに俺を迎え入れてくれた。


 あのウィー・ステラ島の激闘から一週間が過ぎている。

 闘いのあと、俺たちは船で島からガイザード王国の南端の町へ移動した。


 そして、そこからワープ魔法陣を使ってレクック・シティに戻ったのだ。

 即刻、ゴードンは病院に緊急入院し、俺も検査で一日だけ入院した。

 俺は面倒な検査だけで終わったが、問題だったのがゴードンだ。


 魔力完全欠乏症。

 俺にはわからないが、これは魔法使いにとって最悪の状態らしい。


 脳がオーバーヒートを起こし、魔法が発動できなくなる。加えて脳には負荷が掛かり続け、最終的には死んでしまうというものだ。


 無事であっても最悪、植物状態にもなりうるという非常に危険なもので回復魔法の類は一切効かないという。


 そんな状態にゴードンは陥っていた。

 故に即入院となる。


 幸いなことにゴードンは大丈夫だった。

 今ではこうやってお互いに笑い会えているからいいが、正直この説明を受けたとき俺は取り乱してしまった。


 友を失う恐怖は抗うことが難しく、また耐え難い。

 できるなら二度と味わいたくはない。


「座ってくれ。今日は誰も来ないから暇で仕方なかったのだ」


 ゴードンはベッドから起き上がる。

 俺も併せて、ベッドの隣にあったソファに座った。


 この部屋を見ると、やはりゴードンは貴族なんだと思わせる。

 この最上階にはこうした部屋があといくつかあるが、全て貴族か大金持ちしか使えない。つまり先ほど見た絶景は選ばれし者しか望めないのだ。


 それが悪いとは思わないが、改めてゴードンが四大貴族と認識するには十分だった。

 部屋の壁には高そうな絵が飾られている。座っているソファもふかふかでゆったりできた。


 備え付けの魔法道具の棚には冷たいジュースが入っているし、高級そうな菓子やフルーツが見舞いの品としてぎっしり置かれていた。


 魔法道具の棚はウィー・ステラ島でもあった飲み物を保管する氷の魔法道具と同じものだ。最初にこの部屋に入ったときに教えてもらっているのでもう驚きはしない。


 ゴードンが入院した当初はお偉いさんらしき大人たちがひっきりなしに部屋に訪れていたそうだ。

 ゴードン曰く、煩わしいことこの上なかったそうだが。


「学校の方はどうだ?」


 そう言いながらゴードンは棚からガラスのコップを取り出し渡してくれた。

 コップは底にある魔法陣に触れて中の飲み物が飲めるようになった。無論、俺の魔法石が代わりに魔力を消費してくれたのだ。


 俺はそれを一口飲む。

 中身はリンゴのジュースだった。

 程よく酸味の効いた甘味が口の中に広がる。


「明後日から再開だとよ」


 そう、現在学校は休校中だ。流石にテロ組織の襲撃二回目とあってか然しもの魔法学校でも休まざるを得なかったようだ。


「なら我の復帰に間に合うな」

「そんなに学校に行きたいのかよ」

「ここは退屈すぎる。面倒な大人の相手ももう飽きた」


 ゴードンはそう言って同じようにガラスのコップからジュースを飲んだ。

 窓の外を眺めるその顔はいつものゴードンだった。


 ここに運ばれるとき、島から帰還するときのあの死人のような顔色はもう消えていた。それを見て改めて俺は安堵する。


 その時。

 コンコン。と、不意にノックの音が聞こえた。

 俺とゴードンは同時に扉の方を見る。

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