第170話 オリエンテーション 54

 パーシヴァルは息を整える。

 目の前には敗残者たるロバートがいるが勝利の余韻に浸る余裕は皆無だった。


 破壊の限りを尽くしてなお、その心にあるのは辛勝に対する猛省しかない。


 一方で勝者を見上げるロバートは大の字で天を仰いでいる。


 鼻は拉げ、前歯は全て砕け散り、激しい火傷が顔の皮膚を焼いていた。

 その貌は赤黒い血と耐え難い屈辱に塗れ、凄まじい形相になっている。

 両腕は上腕部で骨が飛び出し、夥しい血が流れ続けていた。その皮膚も赤く焼けて爛れている。


 もう戦えない。それは誰の目から見ても明らかだった。


「かは!」


 ロバートは意識を取り戻す。

 時間にして一分ほど彼は気絶していた。

 戦場において一分も気絶していればそれはもう死と同義だ。とっくに止めを刺されて終わりなのだから。


 パーシヴァルはロバートの近くに立つ。その目には仄かに怒りが宿っていた。


「ははは……てめぇの勝ちだ、パーシヴァル……」


 空元気だった。喋るたびに血が、歯の破片が零れる。また笑ってはいるが、その声色は憎しみに満ち満ちていた。


 パーシヴァルは気にせず睥睨する。彼もまた憎悪を隠さずに放っていた。


「勝利……を喜べよ……俺に……勝ったんだからな……」


 ロバートは笑いながら血反吐を吐く。


 その様を見てパーシヴァルの心に焦燥が這った。

 何かがおかしい。


 この男がなぜ敗北したのにこんな余裕なのか。それがわからない。

 ロバートの性格を考えれば負け惜しみを滔々と吐くわけがない。駄々っ子のように暴れるか、無言を貫くはずだ。


 それがなぜここまで饒舌なのか。

 解せない。


 パーシヴァルは湧き上がる焦燥と遅れてやってきた不安を必死に押し止めた。


「お前の負けだよ、パーシヴァル」


 唐突にロバートはそう宣言する。その顔は先ほど以上に嗤っていた。そしてこの上なく醜悪だ。


 負け。

 その言葉を吐かれた瞬間、パーシヴァルの心がビキビキと罅割れるような痛みを発した。


「どういうことだ!?」


 飲まれてはいけない。そうわかっていても言葉は強くなってしまう。


 勝利したはずの自分のほうが追い込まれている。

 パーシヴァルはそんな感覚に陥っていた。


「俺が……連れてきた……ハンマー・コング……あれをただのハンマー・コングと思っているのか?」


 心に走った罅がさらに深く、深く、広がっていく。

 パーシヴァルは思い出していた。ロバートが召喚したハンマー・コングの姿を。


 その姿は明らかに異常だった。

 目は血走り、筋肉は膨れ上がっていた。


 何より殺意に塗れすぎていた。

 今思えば確かに異常だった。が、ストレスからくる狂気性だと判断していた。


「あれは……俺たちが……作った傑作だ……ドーピングに……ドーピングを重ねた新型のハンマー・コングだ……その強さは超級……六位に匹敵する……」

「超級六位だと!!」


 パーシヴァルは驚嘆した。

 そのままゴードンの方をみはる。


 戦闘の最中、薄らと確認したときゴードンは『天楽園の道シャンゼリゼ・ストリート』を発動していた。


 それを見てパーシヴァルは心の中でゴードンに称賛を送る。

 十体は流石に多い。そのため、拘束系の魔法を使って数を減らしていこうというゴードンの作戦に問題はなかった。寧ろ大正解だ。


 だからこそ、自分の戦闘に集中した。


 だが、今眼前の光景は三体のハンマー・コングに追い詰められているゴードンの姿だった。


 右手は折れ、膝をつく姿。

 見てわかるほど危険な状態。


 あれは……


完全魔力喪失状態オーバー・ロスト!」


 何故? ハンマー・コング相手にゴードンが追い込まれている? しかも完全魔力喪失状態になるほどだと?


 パーシヴァルの脳が急速に動き出す。

 中級魔獣のハンマー・コング。あの作戦ならゴードンほどの実力があれば簡単に対処できたはずだ。最悪対処が不可能でも時間を稼ぐことは可能だったはず。


 それが……

 中級程度……


 先ほど、ロバートは連れてきたハンマー・コングを超級六位といった。


 公式には魔獣のランクは下級、中級、上級、超級しかない。


 しかし、超級の下と上では天と地ほどの差がある。そもそも超級の上など滅多に表れない。

 また、超級に区分される魔獣は基本的に王都護衛部隊の上位実力者でないと対処できないという曖昧な設定で区分されている。


 そういった区分のためか王都護衛部隊の隊員の中で、滅多に表れない超級を非公式でランク別に分けるようになった。


 因みにアサルト・モンキーは超級十位であり、超級のなかでは一番の下位である。

 そのアサルト・モンキーを遥かに凌ぐ六位というランク。


 それが事実ならあのハンマー・コングを対処できるのは最低でも王都護衛部隊の幹部クラスの実力が必要になるはずだ。


 ゴードンでは対処できない。

 パーシヴァルは走った。

 最早、思考は置き去りになっている。


 己の見通しの甘さに腹が立った。敵の作戦にまんまと掛かった自分の愚鈍さに腹が立った。何より生徒の危険を予期できず己の戦いに没頭した自分の浅はかさに腹が立った。


 ロバートが後ろで嗤う。


「『綿燐蝋火コットン・ワックス・フレア』」


 何かが聞こえた。

 同時にパーシヴァルの腹に白い炎が突き刺さる。


「が!」


 パーシヴァルはその場に崩れ落ちた。

 攻撃されたのだ。


 すぐに臨戦態勢を取りながらパーシヴァルは攻撃された方角を睨む。


 そこには白い服を着て、白い手袋、白い靴を履いた……人形がいた。


 白い帽子を被っていたが、その顔は見えている。

 剝き出しのその顔には何もない。

 目も、鼻も、口も、耳もない。


 また視認できる皮膚の感じも明らかに人のそれとは違った。

 つるりとした無機質な、得体のしれない気持ち悪さがそこにはあった。


「遅い……じゃないか……」


 ロバートがニヤニヤ笑う。


「あら、そう?」


 人形はそう言いながらゆっくりと森から出てきた。その声色はどこかで聞き覚えがあった。


 即座にパーシヴァルは思い出す。

 あの時のもう一人だ、と。

 黒罰回廊で戦った人形のうちの一体だ。

 あの時と人形の形は変わっているが、着ている服装のセンスは同じだった。


 何よりその声を間違うはずがない。

 この人形は、あの時の人形と同じものだ。


 吐き気を催すほどの悪寒がパーシヴァルの臓腑なかを駆け巡った。

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