第167話 オリエンテーション 51
パーシヴァルの脳内で鳴り響く警報が一段階上がる。
知らず知らずの間に蟀谷から冷汗が一筋、ポトリと落ちた。
「俺はあの戦いで死の一歩手前まで行ったんだ。そこをある人が救ってくれた。もう一度、俺に人生をくれたんだ」
ロバートは嗤いながら、脱いだ服を再び着込む。
彼自身、その姿をあまり晒したくないようだった。
「なぜ……何故! 生きているなら連絡してこなかった」
パーシヴァルの問いにロバートはまた嗤う。
その様には未だ挑発染みた嘲りがあった。
「はは、お前らしいな」
ロバートは天を仰ぐ。その時、一瞬だけ彼からあの余裕の笑みが消えた。
「どういうことだ?」
「お前にはわからんさ。こんな身体になって、今さら出てきて、何になる? 無価値な哀れみも狂った英雄視も俺には必要ない。それじゃあ腹は膨れない。俺の心は満たされない」
パーシヴァルは何も答えない。
ロバートの貌はもう先ほどまでのものに戻っていた。
「それに……この醜い鉄の身体を他人に見せてるのか? お前は俺に屈辱に塗れろというのか? 酷い奴だ。俺の自尊心を粉々に砕いた上にさらに踏みつけていく。そういうところが昔から大嫌いなんだ、俺は!」
笑った顔で吐く言葉には怒りと憎しみが滲んでいる。
それは狂気にも近い叫びだった。
「お前をそんな身体にしたのは『まほろば』なのか?」
パーシヴァルは冷静だった。焦燥はもう消えている。
一方でロバートは相変わらず嗤っていた。
「あぁ、そうだよ。『まほろば』が……あの人が……俺を救ってくれたんだ。死にそうだった俺を助けてくれたんだ。そしてこんな醜い身体の俺を……愛してくれたんだ」
パーシヴァルはロバートの貌を見る。
そこにあったのは憂いと親しみ……
そして愛だった。
「そもそも、カーリーガンの戦いを引き起こしたのはその『まほろば』だろう」
「違うな。戦いそのものはガイザード王国の作戦じゃないか。カーリーガンに『まほろば』がいる。だから闘おうと決めたのはこの国だ! 無茶な! 陳腐な! 糞見たいな作戦で! あの戦いで何人死んだ!? 何人死んだ!? あぁ!」
ロバートの怒りが激しく燃える。
顔はまだ笑ったままだ。
そして狂人のようにロバートは怒りを吐き続ける。
「何人死のうが! 王族には関係ないもんな! あいつらは安全な場所から高みの見物を決めるだけじゃねぇか! いつだって! 死ぬのは! 俺たち! 貧民だ!」
そう言い終えたとき、ロバートの貌が怒りに染まった。
その怒りは本物だ。
笑みはもうない。
「それも含めて
諭すようにパーシヴァルは言葉を放つ。そこには怒りや嘆きの感情はなかった。またできるだけ含ませないようにしたのだ。
だが、その優しさはロバートには通じなかった。
「黙れ! 貴族のお前に何がわかる! 貧民に! 選択肢なんてないんだ! いい生活をするためには! 護衛部隊に入るしかなかった! 忠誠なんてしてねぇ! 俺は! お前らみたいに暮らしたかっただけなんだよ!」
「ならば、護衛部隊を止めればよかったではないか。護衛部隊を止めて民間ギルドにいく道もあったはずだ。ほかにも道はあった。それをしなかったのはお前自身の責任ではないのか?」
「五月蠅い! 他の道? 護衛部隊を止めて貧民に戻れってか! お前らは簡単に辞めろと宣う。貧民がそんなこと簡単にできないって知らないからだ! お前らが! 貴族が! この国が! 俺らを蝕むんだ!」
パーシヴァルは嘆息した。
そうだ、この男はそういう男だった。
実力はあった。魔法も素晴らしかった。
しかし性格だけが絶望的に歪んでいた。
他者を慮ることができず、自らを省みることがなく、損得でしか人間関係を紡げない。己の利にならないものは平気で見捨てる。
そんな性格が災いして昇進することができなかった。
同期が昇進することを「貴族だから」、「人に取り入るのが上手かっただけだ」と平気で吹聴するような輩だった。
それに昇進した者の足を引っ張ることしかしなかった。
そのため後輩からも蔑まれ、尊敬されず、常に一人だった。
余りにも哀れで何度かパーシヴァルは助言した。
『考えを改めろ。そうすればお前の実力ならもっと上にいける』と。
だが、回答はいつも同じだった。
『何上からモノ言ってやがる』
凝り固まった嫉妬の鎧の前ではパーシヴァルの言葉はロバートには届かなかった。
そしてカーリーガンの戦いで彼は戦死した。そう聞いていた。
だが、実際には敵に救われ、治療され、懐柔されていたのだ。
パーシヴァルは心の底から嘆いた。
嘗ての同胞と戦わねばならないのか。その気持ちが強かったのだ。
いくら性格的に最低だとしても幾度と死線をくぐり、同じ釜の飯を食った仲だ。
できるなら闘いたくはない。
しかし、彼は敵意と殺意を剝き出しにして挑みかかった。
さらに子供たちにまでその邪悪な牙を向けた。
許せなかった。許せるわけがなかった。
「わかった。どちらにせよ、ここでお前を止める。例え、殺すことになったとしても」
パーシヴァルは鉄球を持ち上げる。
その瞳には硬い決意と冷たい炎が揺らめいていた。
「自惚れるな。お前が! 俺を止める? 今まで一対一で俺に勝ったことなんてなかっただろうが!」
そう、かつてパーシヴァルが一対一で十分以上かかった相手。
それが今、目の前にいるロバートだったのだ。
嫌いな同輩。
それでも実力は折り紙付きだった。
パーシヴァルは刹那の瞬間目を閉じ、闘志を激しく燃やした。
そして目を見開き、覚悟を伴なってその闘志を身体全体へと行き渡らせた。
「行くぞ! ロバート・ブラウン!」
「俺の名前を! 気安く呼ぶな! 愚物が!」
ロバートは空に右手を翳した。
瞬間、パーシヴァルに悪寒が走る。
嘗て、王都護衛部隊に在籍し、多くの戦闘に従事した。
戦闘力だけなら上位。なぜなら彼もまた契約者なのだから。
そうロバート・ブラウンは契約者だ。
「生贄どものために歌え! 狂った調律のままで! 呪え! バンシー!」
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