第163話 オリエンテーション 47

「あれ?」

 

 最初、私の右目に映るそれが何かわからなかった。


「どうしたの? 痛いの?」


 エミリーが心配そうに私を瞳を眺める。

 その心配は杞憂だ。

 私の瞳は何も問題ないのだから。


「違う……違うの」


 私はもう一度それをよく見た。

 ゴードン君の向こうに見えるハンマー・コングたち。その全てに糸のようなものが絡まっていたんだ。


 それは一本の糸が解れ、その頭部に巣食うように絡まる糸。

 色は白なのに、不気味な気配を感じた。

 綺麗な白じゃない。死人の白、死装束の白に近い。


 そしてその糸から何かがあの魔獣たちに注がれている。

 気持ち悪い。本当にそれは気持ち悪かった。


「エミリー……あの糸なんだろう……」

「なに? 糸? どれ?」


 エミリーがマジマジとハンマー・コングを見る。


「あの糸だよ。ハンマー・コングの頭に絡まっているやつ」


 エミリーはキョロキョロと視線を動かした。

 表情は反比例するように険しくなっていく。


「そんなのないよ! 何言ってるの?」

「嘘……あるじゃない! あの気持ち悪い糸!」

「そんなのないよ! 本当に大丈夫!? 目ぇ、おかしくなったの!?」


 エミリーが真っ直ぐに私の目を見た。

 私もエミリーの目をじっと見る。

 その瞳に嘘はない。直感だけどそう確信した。


 じゃあ、本当に見えていない?

 あの糸が。


 私はもう一度その糸を見る。何度見てもやっぱりハンマー・コングの頭部にその糸はあった。

 瞬きをしても、瞼を擦ってもそれは消えない。


 糸の先を辿ると落とし穴に落ちたハンマー・コングや『天楽園への道』で動きを封じられたハンマー・コングたちと複雑に絡み合っていた。

 加えて、絶え間なく糸から何かがハンマー・コングに流れ続けている。

 それが何かわからない。


 でも私はそれをゴードン君に伝えるべきだと思った。

 私にしか見えていないのか、それともエミリーに見えていないのか。

 今はわからない。それはどうでもいい。あとで調べればいい。


 もし私にしか見えていないのなら、ゴードン君にも見えていないのなら、これは絶対に知らせるべきだ。


 ゴードン君はゆっくりとハンマー・コングに向かって歩いていた。もう走る力もないのかもしれない。

 一方でハンマー・コングは力を溜めているようだった。右腕を失い、全身を大火傷している状態ながら殺意を振り撒き続けている。


 怒り、憎しみ、そういった感情でゴードン君を睨んでいた。

 最後の力を使って殺そうといているのがわかった。


「ゴードン君!」


 私の問いかけにゴードン君は歩みを止め、ふり返る。

 私の瞳の色が変わっていることに気付いてゴードン君は一瞬戸惑ったような表情をした。


「ハンマー・コングの頭に糸が絡まっているの! ゴードン君は見える!?」


 ゴードン君はその言葉を確かめようとハンマー・コングを眺める。


「いや……見えぬ。本当にあるのか? そんなものが……」


 ゴードン君の言葉でわかった。あの糸は私にしか見えていない。


「本当にあるの! その糸から気持ち悪いものがハンマー・コングに流れているの! 一体だけじゃない。全部のハンマー・コングにあるわ!」


 私の言葉を聞いてゴードン君の動きが止まった。

 もし私の言葉を信じてくれなかったらどうしよう。余計なことをしたかもしれない。


 急激に不安が私を塗り潰す。

 お願い、信じて。


 でも、信じてくれたからと言って、この状況が変わらないかもしれない。

 そうだとしたら結局私はゴードン君を惑わしただけだ。


 私は祈るように目を瞑った。

 また右目から涙が流れる。


「ユーリ……本当にあるんだな。それは……」


 ゴードン君の言葉に私は目を見開く。

 信じてくれたんだ。


「本当だよ!」


 私は叫ぶ。瞳から大粒の涙が流れながら。


「あいわかった」


 ゴードン君から殉教者の色が消えた。


 私は嬉しくて泣いてしまった。

 気が付けば左目からも涙が流れている。


「雷よ! 奔れ! 翼とともに! 『雷流刃サンダー・カッター』!」


 ゴードン君は雷を三日月状の刃にして撃つ魔法を放った。

 電光の刃が真っ直ぐにハンマー・コングに向かう。でも照準はやや上だ。


 そうか、狙いは糸だ。

 そしてその刃が命中する。


 激しい火花が散った。

 微かに糸が照らし出される。


「あれか!」


 ゴードン君は見えない糸を確かめるために魔法を使ったのか。

 すぐに構える。


 だけど、不思議だった。

 今の『雷流刃』は初期魔法だ。魔法演算も詠唱も省略できる。私ですら。


 それを詠唱して放った。

 言いようのない恐怖が私の心を再び撫でる。ざらざらの鑢が次は心を襲った。


「花の如く! 美しく! 麗らかに! 散れ! 『雷撃の華ブリッツ・バレッツ』!」


 ゴードン君の左腕から雷の塊が猛スピード発射される。それはハンマー・コングの頭上にて破裂した。


 糸にぶつかる。

 瞬間激しい雷が散った。


 まるで花が咲いたような美しさがあった。


 雷の花火と形容される上級魔法、『雷撃の華』。その威力は折り紙付きだ。


 ハンマー・コングの頭上で迸った雷が糸を焼き切った。

 少し遅れて、そのハンマー・コングは白目を向いてその場に斃れる。


 やった! 斃した!

 私は嬉しくて近くにいたエミリーに抱き着いた。エミリーもまた私に抱き着いてくれた。


 全員が歓喜の声を上げる。


 だけど……。

 それはすぐに悲鳴に変わった。


 ゴードン君が倒れたんだ。

 私は急いでゴードン君に駆け寄る。エミリーも一緒に。


「ゴードン君!」

「ぐぅ……うぅ……」


 まずい! 魔力が完全に切れている。完全魔力喪失状態オーバー・ロストだ!


 魔法使いの魔力切れ。だけど本当は完全に切れていない。

 安全に魔法が行使できる分の魔力が切れた場合に魔力切れという表現をする。だから実はほんの少しだけ魔力が残っていても『魔力切れ』と呼んでいた。


 でも、今のゴードン君はその安全に行使できる分すら使い切っている。


 危険な状態だ。

 それが完全魔力喪失状態。


 ただゼロになるだけならいい。でも今のゴードン君はマイナスの状態だ。

 魔力が完全にゼロになるほど魔法を行使すれば、魔法演算の際に脳に強烈な負荷がかかる。


 多分、ゴードン君は脳が焼かれているように痛いはずだ。

 本当にまずい。このままじゃあ、死んでしまう。


「ゴードン君! しっかりして!」

「ぐぅ……ま……まだ……二体……いる……」


 そんな……ゴードン君はこの状態でもまだ闘おうとしているの?

 無理だよ。

 これ以上は本当に死んじゃう。


 私はゴードン君の手を握った。

 左手ももうボロボロだ。己の魔法で焼かれていた。


 もうゴードン君は闘えない。


「あ!」


 エミリーの叫び声がした。


 私は前を見る。

 砂に埋まっていたハンマー・コングが飛び出したところだった。

 二体とも下卑た笑みを浮かべこちらを見ている。


 その殺意に満ちた目が私の心を壊していく。


 ここまで頑張ったのに……

 どうして……


 私は周囲を見渡す。

 クラスメートたちは蒼褪めた顔で、恐怖に満ちた瞳で、その光景を見ていた。


 パーシヴァル先生はまだ闘っている。

 テレサ先生は依然として戻ってこない。


 そんな……

 このままじゃあ、ゴードン君の頑張りが無駄になっちゃう。


 お願い! 誰か! 助けて!


 私は震えることしかできない。

 愚かにも泣くことしかできない。


 エミリーも泣いていた。

 恐怖が蘇る。


 そんな中、ゴードン君が立ち上がった。私たちの前に立つその姿はさっきまでのとは違う。


 弱々しくて儚くて……

 でも尊敬できる……そんな背中だった。


「ゴードン君!」

「はぁはぁはぁ……」


 ゴードン君はボロボロの状態でも私たちを守ろうとしてくれた。


 あぁ……

 またあの殉教者の色が。濃く、濃く浮かび上がる。


 このままじゃあ本当にゴードン君が死んでしまう。

 あんなに頑張ったのに……


 振り出しだ。


 そんなの……

 あんまりだ……

 助けて……


 お願い!

 誰でもいいから助けて!

 お願い!


 その時。

 遠くのほうから何かが近づく音が聞こえてきた。

 海鳴りのような、雄叫びのような音だった。

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