第162話 オリエンテーション 46

 私は愕然としていた。

 これが魔法の世界。


 私という……ユーリ・ベイカーという存在が……容易くなくなる。


 そんな世界だった。


 眼前に迫る魔獣の群れ。

 如実に死が迫る。ただただ怖い。


 喉が渇く。汗が止まらない。視界が揺らぐ。体が震える。音が聞こえない。匂いもない。声すら出ない。


 ざらついたやすりで全身を撫でられるような不快感が纏わりついていた。

 つくづく自分は何もできないということが思い知らされる。


 でも……

 救いがあった。


 ゴードン君だ。

 ゴードン君が私の心を、私たちの心を救ってくれた。


 怯える私たちに発破を掛け、自ら一人であのハンマー・コングの群れに立ち向かった。


 そして私たちに指示を出し、見事にハンマー・コングを七体も封じた。そんなことが私たちにできただろうか。


 いや、できるわけがない。

 私たちは……少なくても私は愚鈍すぎる。


 一人じゃあ何もできない。

 今も何もできていない。本当に。


 ゴードン君とは全く違う。


 彼は一人で上級魔法を多彩に、巧みに使いこなした。

 契約が蔓延る現代では上級魔法なんて覚えること自体ただの自慢ステータスなだけ。実践では使わないことのほうが多い。


 それなのに、ゴードン君は三つも上級魔法を使った。それも完璧に。

『天楽園への道』、『暴れ狂う天火』、『魔雷蜂散弾』。


 どれも上級魔法に括られる優れた魔法ばかり。

 その分魔法演算が非常にややこしい。


 本当に凄い。尊敬する。これは嘘じゃない。

 嘗てのゴードン君に対して思っていた感情はもうなくなっていた。

 傲慢で粗暴。


 それが最初の印象だった。

 こんな感情を四大貴族カルテット・オーダーに思うこと自体、不敬なのだけれどゴードン君はある意味イメージ通りだった。


 圧倒的な立場を傘に他者を踏み躙る暴君。

 少なからず貴族とはそういうものだ。

 私の父だってそうだから。上の者にはへつらい、下の者には強く当たる。それが貴族だ。


 ゴードン君の場合は操られた結果だということを後で知ったけど、それでも印象は覆らなかった。

 元からそんな素養があって、それが露呈していただけ。


 そう思っていた。


 でも、ゴードン君はあの事件以降、人が変わったようだったのも事実だ。

 雑務を率先して熟し、クラスメートたちが嫌がることを進んで引き受けていた。

 正直、それも鬱陶しいと思っていたんだ。


 四大貴族に雑務をやらせて親にバレたらどうしよう。迷惑だ。

 所詮これも点数稼ぎかもしれない。いずれ化けの皮が剥がれる。


 そんな邪推をした自分が恥ずかしい。

 彼は心から反省していたんだ。彼のお行いは全て贖罪の意識だったんだ。


 ここにきてやっとそう感じることができた。

 ゴードン君は今も一人で闘っている。

 そこにあるのは四大貴族としての矜持なのか、それとも未だ贖罪の意識の所為なのか、私にはわからない。


 だけど、右腕を折り、疲弊しながらもまだ闘うことを止めない彼を見て非難などできるわけがない。


 真に非難されるべきは私だ。

 貴族の身でありながら闘う術と気概を持たない愚鈍な私だ。


 ゴードン君はエミリーの回復魔法を断った。

 彼はまた、自分以外を守ろうとしている。


 その時、不意にゴードン君が暗く輝いたような気がした。

 あれは危険な色だ。


 私は時折、人から発せられる何かを色として見ることができる。それが何なのか未だにわからない。

 魔法以外の何かだと思っているけれど確証はない。


 そんな中、ゴードン君から零れる色。

 あれは嘗て一度だけ見た色だ。


 そしてその色を出した人は死んだ。


 殉教者の色。

 私はそう呼んでいる。


 白と赤と黒が混ざらずにマーブル状に現れるあれは殉教者の色。

 それは死を覚悟して大きな敵に挑む人の色だ。


 だけど……嘗てその色を出した人は四十を超えた戦士の人だった。

 同い年でそんな色を出すなんて……


 私はここにきて漸くわかった。

 自分たちベイカー家が、何故取るに足らない中流貴族であるのか、ということが。


 何もかもが違うんだ。


 ゴードン君は立ち向かった。死を覚悟して。

 私は逃げた。恐怖に抗えなくて。


 ゴードン君は一人で魔獣に挑んだ。私たちを守るために。

 私はゴードン君の命令で隊列に並んだ。卑怯にも一番後ろに。


 彼は命を賭ける。使命のために。

 私は生に執着する。惨めに、愚かに。


 生まれ持った素質だけじゃない。

 覚悟が、決意が、矜持が、四大貴族のオークショット家とは全部が違うんだ。


 相手が誰であろうと、自分が幼かろうと関係ない。

 四大貴族という高貴な立場にいるからこそ、その使命に殉ずる。


 それが貴族としての本来の責務。

 同い年なのに、そんなことができる?


 簡単に死を覚悟するなんて言葉にできるけど、実際にするなんて無理だ。

 格が違う。最初から。


 オークショット家とは全部が違うんだ。

 今ものうのうと貴族の立場にしがみ付く父。

 上流貴族になることしか考えられず他人に犠牲を強いた母。

 貴族の外側しか見られず、そこしか評価できない一族。


 そして、そんな中にいて何もしない自分自身。

 全てが恥ずかしかった。


 それがベイカー家だ。

 四大貴族とは何もかもが雲泥の差だった。


 その凄さと重みがやっと気づいた。

 同時にベイカー家という愚かな血を呪った。


 死んでほしくない。

 ゴードン君には死んでほしくない。

 貴族だから、そんな理由じゃない。

 上手く説明できないけど……


「ゴードン君……」


 気が付いたとき私はゴードン君の左手を握っていた。

 彼は振り返る。


 その瞳に宿る決意の炎は全く揺らいでいなかった。

 色はさらに濃くなる。


「……痛み入る」


 ダメだ……決意の炎がより熱くなっただけだ。


 このままじゃあ……

 彼が死んでしまう。


 そんな……

 私の瞳から涙が零れた。


 熱い、熱い水が目を撫でる。

 その時ボンヤリ何か光るものが見えた。


「あれ?」


 私は目を擦る。


「どうしたの……ユーリ!?」


 エミリーの声が響いた。どこか悲壮に満ちた声色だった。


「え?」

「え? じゃないわよ! 貴方! 右目が……瞳の色が! 赤くなってるわよ! 大丈夫なの!?」


 エミリーが氷魔法で鏡を作って私に向けてくれた。


 本当だ。

 私の右目の瞳が赤色になっていた。


 左目はいつもの黒なのに、右目の瞳だけが赤い。まるでルビーのように。

 涙は止まっていなかった。それどころかどんどん溢れていく。


 なんだろうか、これは……

 でも不思議と怖くない。痛みもない。


 私はそのまま視線をゴードン君に戻す。

 彼から発せられる色が強く見えた。

 気のせいだろうか、いつも以上に視界が良好になっていく。


 血のように赤い瞳が今、世界を垣間見た。

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