第157話 オリエンテーション 41

 瞬間、俺の周囲が爆ぜた。

 比喩ではない。本当に爆ぜたのだ。


 俺を束縛する岩石の塊が一気に破裂し、砂塵へと変わる。

 眼前のアンドレイは何が起きたのかわからず呆然としていた。腑抜けた面構えで馬鹿みたいに右腕を上げて。


あらたか』。かんなぎと同じ宵月流秘奥義の一つだ。

 獣王武人の特性は氣を常時最大火力で解放できることにある。

 その解放した際のエネルギーを体外へ一気に、それこそ爆発的に放出するのが『灼』だ。


 氣は氣脈を通って外部に排出される。

 氣脈とは俺の全身に走る経絡だ。汗腺や血管と同じで全身に巡っている。

 その経路から氣を体外に膨大な量と勢いで放出し、周囲の魔素に無理矢理反応させるのだ。


 その時に起こるのが今のような大爆発である。

 これによって相手の魔法を一度だけ相殺させることが可能だった。


 氣は魔素を喰らうという特性と俺の獣王武人の特性を合わせたまさに奥の手。

 この技を発動すれば、ほぼほぼどんな魔法でも『俺の周囲にあるもの』という条件下ではあるが、完全に爆砕できる。


 現象の魔法も、物理の魔法も関係ない。破壊ではなく、爆砕なのだから。

 まさに奥の手。


 しかし、デメリットもあった。

 氣脈より限界を越えた氣の放出を行うため氣脈そのものがダメージを負うのだ。

 この技を使った場合コンディションにも左右されるが平均、三分ほど氣が溜められなくなる。


 つまり俺は今、氣が使えない。

 それでも眼前のアンドレイに負けるほど弱体化はしていない。


 俺は気合を入れ直し、敵を睨む。

 脳へのダメージは皆無。痛みはあるが闘志を失う程ではない。


 そして氣の籠らない右手を強く硬く握り、踏み込んだ。

 狙うはデイジーが命懸けで紡いだ弱点。高速回転するグリフォンの手甲で脆くなったあの胸部だ。


 俺は渾身の力でそこにストレートを撃った。


 氣術は使えない。

 だが俺には武術わざがある。この獣王武人からだがある。


 心に宿る化け物が吠えた。


「宵月流! 奥義! 『心月震砲』!」


 完璧だった。

 デイジーに使った時は失敗したが、今回は完璧な手応えだった。

 右手に伝わる確かな感触がその証拠。


「かはぁ!」


 衝撃が吹き抜ける。アンドレイの胸の岩が砕け、生身が露出した。

 さらに岩の貌も剥がれ落ち、醜い顔面が露出する。


 その表情は俺の『心月震砲』によって心臓を打ち抜かれた衝撃で苦しみと戸惑いの混成になっていた。


 アンドレイの身体が止まる。


 まだだ。

 まだ終わっていない。


 実は『心月震砲』は、ある技の前段階なのだ。これより先を放つことでこの技は初めて完成する。


 ところが、それは禁じ手。師匠より使用を禁止されているのだ。

 そう、つまり裏の型。


 ここより先は相手を必ず殺す技、宵月流裏の型だ。

 俺は奥歯を噛み締め、『心月震砲』のために放った右手を引く。


 同時に左足を半歩踏み込んだ。

 間合いが近くなる。


 合わせて、引手だった左手が正拳を作りミサイルの如く発射された。

 禁断の『心月震砲』二連撃。


 一撃目で相手の心臓を打ち抜き、その動きを無理矢理停止させる。

 磔刑の如くその身の自由を奪ったところにもう一度心臓を打ち抜くことで相手の心臓を破壊し絶命させる。


 それが禁じ手の正体だ。


「己の神に祈れ! せめて安らかに逝けるようにと! 宵月流! 裏の型! 『堕獄双月だごくそうげつ』!」


 俺の左手がアンドレイの胸を撃つ。

 迸る充足感。

 遅れてやってくる満足感。


 撃つ直前まで俺の心にあったのは獣の本能だ。そこに尊厳などない。


 だが、完全に打ち抜く瞬間確かに聞こえた。


 クレアの声が。


『ダメだよ……アイガ……お願い……そっち側にいかないで……人を殺さないで……』


 あの言葉が俺の脳裏に過った。

 だから俺は踏み込んだ瞬間、身体をわざと大きく振った。そう、デイジーに『心月震砲』を使った際、脱臼の痛みで失敗したときと同じことを自発的に行ったのだ。


 そのためか、二回目の『心月震砲』はその効果を喪失していた

 獣の純然たる力がアンドレイの胸骨を砕き、衝撃が肺を突き抜ける。


「ぐふぅ」


 アンドレイの口から肺の中の空気と血が飛んだ。


 続けて俺は左手を引き、右の上段廻し蹴りをアンドレイの顔面に叩き込む。

 アンドレイは白目を向き、鼻と口から血を流した。

 そのまま全身を纏う岩が砕け、アンドレイはその場に前のめりで倒れる。

 その姿は許しを請うように、土下座をしているようで完全なる敗残者の様だった。


 勝った。

 俺は勝ったのだ。


 それでも溜飲は下がらない。

 俺の心を支配していた獣の本能。


 そこに尊厳などはなかった。

 あったのは全力で他者を叩ける悦びだけだ。

 戦士としての矜持も、武術の尊敬も、ましてや殺すことへの躊躇もなかった。


 こいつと同じだ。

 己の欲望のままに戦ったに過ぎない。


 結局俺は最後まで戦士ではなかった。

 クレアの言葉が無ければ、クレアがいなければ、俺はきっとまた一線を越えていた。

 容易く。


 勝利の余韻はなく、虚無と恐怖の入り混じった気持ち悪い風が俺の心に渦巻いていた。

 俺はどこまでも化け物だ。


 それが途方もなく怖かった。

 暗闇の中、俺の手足に髑髏がしがみ付くイメージが湧く。

 髑髏は嗤う。きっとそれは己自信を写した鏡なんだろう。


 俺はそれを眺めるだけだ。壊れそうになる心で。


「アイガ君」


 その時、俺の右手に何かが触れた。

 暖かく心地よいその何か。


 驚いてそこを見ればロビンが俺の手を握っている。

 血で汚れ、戦士としての本懐を失った右手を。


「ありがとう……僕……怖くて……何もできなかった……アイガ君がいなかったら殺されていたよ……本当にありがとう……」


 ロビンが涙ながらに俺の手を握ってくれた。

 あぁ、俺の心に暖かい風が吹いていく。


 それは先ほどまであったあの気持ち悪い風を、髑髏の幻影を一瞬で消し去った。

 振える手で俺の汚れた手を包むロビン。その底なしの優しさが俺を獣から人に戻してくれた。


 救われた。

 そんな気がした。


 ありがとう。

 この世界で君と出会えて本当によかった。

 心からそう思えた。


 獣の目に涙が溜まる。流れないのは俺の最後の抵抗だった。


「大丈夫? アイガ君?」


 暖かい瞳に癒され俺は再び誓う。


 強くなろう。

 もっと強く、強く。

 武術わざだけじゃない。獣王武人からだだけじゃない。


 心だ。心をもっと鍛えよう。

 獣なんかに負けないような強い心を手に入れよう。


 そう誓った時、俺はやっと笑えた。

 狂気に満ちた笑みじゃない。

 純粋な笑いだった。


「大丈夫さ。だが、一つ問題があるな」

「問題? やっぱりどこか痛いの?」

「怪我は平気さ。それより……」


 俺は空を見上げた。

 どこまで澄み切った青い空だった。


「着替えがない。それが大問題だ」

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