第156話 オリエンテーション 40
心が逸る。
血流は速くなり、心臓は轟音で鼓動を奏でていた。
歓喜が溢れる。
それは幼子が新しい玩具で遊ぶ無邪気さに近いのかもしれない。
血反吐を吐いて習得した武術。身体を差し出して手に入れた獣の力。その果てにこの身に宿った氣術。
それら全てを全力で使える。
それが溜まらなく嬉しかったのだ。
「しゃあ!」
俺は宵月流殺法術の妙技、『月齢環歩』の三日月を放つ。
全力の下段廻し蹴りだ。氣も当然発動している。
それをアンドレイは岩の楯で防いだ。
「岩石魔法! 『
魔法を発動したアンドレイの右腕が俄かに膨らんだ。宛らボクシンググローブの如く。
岩石の鎧に身を包み、片腕が異常なほど膨らんだ姿は異形であり脅威だ。
しかしそれは俺も同じ。人外の化け物なのだから。
アンドレイの右腕が眼前を掠る。
突風が遅れて鼻を撫でた。
凄まじい威力だと伺える。
硬く、重いあの腕はそれだけで充分な凶器だ。
アンドレイはそれを何度も振り回す。そこにも技術はなかった。
ただ振り回すだけ。
だが、俺を越える巨躯が至近距離で振り回す岩の塊は危険だ。一撃が大打撃になる。
俺は三日月に次いで、二日月を放った。
これもまた岩の楯に防がれる。
二日月を撃った左足の氣がその魔法を破壊した。
ありとあらゆる魔法を破壊する氣。対魔法に関して天敵とも呼べる氣だがそこには、とある問題があった。
それは破壊の速度。
炎や水といった現象の魔法と岩石や金属といった物理の魔法ではその速度が違うのだ。
現象の魔法なら即座に破壊できる。が、物理の魔法は完全に破壊するまでに時間を要してしまうのだ。
故に俺はアンドレイの岩石の楯に対して数発の攻撃を繰り出していた。
岩を殴る分、俺の手足にも多少の痛みが生じる。
獣王武人の特性は圧倒的な膂力の向上と髪、爪の高速再生。
そして氣の常時最大出力で解放。
丹田、臍より生み出された氣は俺の体内を巡る。その間に氣は威力を増し、手足にて一旦溜められることで最大になる。
ところが、獣王武人状態なら生み出した瞬間から威力が最大のため攻撃力も機動力も段違いだ。まぁ通常でも充分な威力を有しているのだが。
だからこそ、接近戦では俺が有利。例え硬い岩の鎧に身を包まれていようともいずれ俺の氣がアンドレイを斃すのだから。
二日月の次に放った更待月が新たな岩石を砕く。
その瞬間、岩石の塵埃が広がった。
奥でアンドレイがニヤリと笑う。
奴が岩に何か細工をしたようだ。
塵埃が俺の視界を一瞬遮った。
その時、俺は咄嗟に右腕で頭部をガードする。
そこへ重い一撃が叩き込まれた。
あの岩石の籠手が俺にヒットしたのだ。
ガードしていなかったら頭部に直撃していただろう。受けた右腕に激しい痛みが奔る。
獣王武人の状態で痛みを感じるのは本当にいつぶりだろうか。
俺は返す刀で左ストレートを放った。
それはまたもや岩の楯に防がれる。
そして、アンドレイの右ストレートが迫った。
俺はそれを躱す。
瞬時にカウンターで右ストレートを撃った。
「ぐぅ!」
決まる。確かな手応えが右手に伝わった。
だが、岩の鎧は思いのほか硬い。
氣を発動していてもなお、俺の一撃はアンドレイを屠るには至らなかった。
「ちくしょうがぁ!」
アンドレイは怒り心頭でさらに右腕を振り回す。
俺が殴った奴の左頬には罅が走り、氣が侵食するが魔法によってその傷は消えていった。
常時最大火力とはいえ、流し込む量が少なければ与えられるダメージも少ない。歯痒いことこの上ない。
それにあの岩の鎧は魔法だ。傷の修復もお手の物らしい。
事実、デイジーが付けた胸の傷も今や修復されていた。その跡らしいものが薄っすら残っているだけだ。
ただ、強度までは完全に修復されていないのか攻防の最中、その衝撃でそこから破片が飛んでいる。
再生は
だが、問題はない。
もっと研ぎ澄ませ。
氣が足りないなら武術と獣の力で補えばいい。
そこまで思考した時。
俺は周囲の異変に気付いた。
戦闘に集中しすぎて気が付かなかった。
俺の周囲に砂が舞っているのだ。粉塵というには荒いが砂というには大きすぎるほどの大きさ。
それらが俺の周囲にいた。
悪寒が遅れてやってくる。
「ばぁかぁ」
アンドレイの下卑た嗤いが見えた。
俺は距離を取ろうと後ろへ跳ぶ。が、それより先にアンドレイが右手を掲げるのが速かった。
「岩石魔法! 『
突如、周囲の砂が膨らんで巨大な岩の板が生成される。それらが俺の身体をがっちりと固めた。
全身が岩によって動けなくなる。
それは枷だ。全身を縛る枷だった。
「しゃあぁ!」
強烈な痛みが顎に響く。
「ぐふっ!」
アッパーだ。
凄絶なアッパーを喰らった。それもあの岩のグローブで。
血飛沫が真上に跳ぶ。
気付けば俺は天を見上げていた。
下顎が爆散したかと思う程の痛みがくる。
星が飛ぶという表現があるが本当に星が飛んでいた。目の前の光景がチカチカと光り、歪み、色を失う。
「はははははぁ!」
アンドレイは嗤いながら次の攻撃のために右腕をこれ見よがしに戻していた。
余裕綽々か。
もう勝利の余韻に浸るとは。
やはり、お前は戦士じゃない。
ただただ蹂躙が好きなだけの愚物だ。
人の頭部なら下顎にこれほど強烈な一撃を加えられれば脳は揺れ意識が混濁するだろう。
しかし、俺の今の頭部は狼の形をしている。
そのお陰かダメージはあるものの、脳震盪には至っていない。
お前は余裕を見せるべきじゃなかった。
それは余裕じゃない。油断だ。
俺の頭部を見て、人のそれと同一に考えるべきじゃなかった。
加えて人外の攻撃力を鑑み、速攻で勝負をつけるべきだった。
その油断が、俺に時間を与えてしまったのだ。
お前はこの岩で俺の身体の自由を奪ったと思っているのだろう。
このまま甚振って殺せると思っているのだろう。
それは違う。
確かに、肉弾戦しかできないならこの岩の枷に嵌った時点で詰んでいた。
身体そのもの動きを封じられているので力任せに破壊することもできない。
だが、俺は氣術使いだ。
奥の手はまだある。
見せてやるよ。
光栄に思え。
俺は全身に力を込める。
氣が一気に俺の体内で膨らんでいった。
身体が再び滅紫色に輝く。いや、今はそれよりも明るい純粋な紫色だ。
「宵月流秘奥義……『
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