第153話 オリエンテーション 37
アンドレイは下卑た笑みを浮かべこちらに向かう。
俺はまだ迷っていた。
そんな中、俺とアンドレイの対角線にサリーが立ちはだかる。
「アルラウネ! 限界まで錬金しなさい!」
アルラウネが小さく吠えた。同時にサリーの契約武器のペンデュラムが地面に艶やかに刺さった。
「
鋼鉄の蔦が一気に現れアンドレイに向かって伸びる。蔦は幾重にも重なり一つの槍と化す。
それがアンドレイのドリルにぶつかった。
中央で凄まじい火花を散らす。
「はああああああ!!」
サリーの咆哮が魔法の力を底上げしているかのようだ。
アンドレイの動きは止まる。
だが……
「サリー! 上だ!」
「え?」
サリーの上からあのユニットと呼ばれる青い球体が現れた。
あれは今までどこにいた?
いや、あの球体は何をしていた?
完全に認識の外にいたそれに俺は慄く。
あの中にはドリルの棍棒しかなかったはずだ。あれが魔法具でないなら既に空のはず。
運搬兼移動用ユニット。奴はそう言った。
なら、あれは何を運んだ? 何を運搬した?
「はぁ!」
アンドレイの声が聞こえる。そしてユニットが開いた。
中から出てきたのは先ほど俺達が退治したアサルト・モンキーの死体だった。
まだ原型を保っている死体が二つ落ちてきた。
原型?
しまった!
「避けろ! サリー!」
サリーも気づいたようだが遅かった。
二匹の猿の死骸は爆発する。
「きゃあ!」
俺達を殺すほどじゃなかった猿の爆発も至近距離なら話は別だ。
「サリー!」
血飛沫の中、サリーが後方に飛んでいた。
良かった! サリーは無事だ。
爆発の影響で猿の血と肉を浴びていたが彼女自身は殆どダメージがなかった。
そこへ悪魔の一撃が迫る。
アンドレイのドリル攻撃が再び息を吹き返したのだ。
防御に回ったためかサリーの金属魔法は消失していた。
「サ……」
危ないと思った時、サリーの前にデイジーが立つ。
血塗れ、痣だらけのまま白銀の手甲でアンドレイの攻撃を受け止めた。
「はぁぁぁあああ!」
そして台風のような風を放ち、アンドレイの動きを完全に止めた。
行ける! 俺はそう思った。
しかし……
「がは!」
デイジーが突然吐血した。それもかなりの量だ。
赤黒い血が地面を染める。
そのまま白銀の手甲が消える。後ろでグリフォンが悲しそうな嘶きをした。
デイジーはその場にて膝を折る。
あの時と同じだ。
トライデント・ボアのボスを斃した時と同じ。
アンドレイの魔法によるダメージだけではない。
異常な吐血だった。
アンドレイは巨岩のドリルから飛びだした。
そのまま跪くデイジーを殴る。
「ぐぅ!」
デイジーは地面に突っ伏す。その顔をアンドレイは踏みつけた。
さらに空いている左手で棒立ちのサリーの首根っこを掴んで持ち上げた。
「ははははは! どうしたぁ? 終わりかぁ? なんだぁ、なんだぁ、拍子抜けじゃなえかぁ! なぁ! そうだろぉ! なぁ!」
愉しそうにサリーの首を絞め、デイジー首を踏み拉く。
そこに尊厳はなかった。
「く……」
サリーのペンデュラムが微かに動く。
「おっとぉ! 変な動きをしてみろぉ。この女の首を
脅迫がサリーの動きを止めた。
その背後でアルラウネが恨めしそうにアンドレイを睨む。
その睥睨に何の意味もないことを知っているのか、アンドレイは挑発的な笑みを浮かべた。
幻獣は
「さぁ~てぇ……どうするかなぁ~お前らを蹂躙してからアイツらを殺すかぁ~それとも……殺してからぁ、蹂躙するかぁ~」
アンドレイが俺達を一瞥する。
ロビンが小さく悲鳴を上げた。
「や……やめろ……生徒には……手を出すな……」
瀕死のままデイジーがそう呟いた。
口からはまだ吐血している。
その姿はもう先ほど感じた強さはない。代わりに何か、尊いものがそこにはあった。
「デイジー先生……」
サリーは首を抑えながら耐える。
全体重が自分の首に掛かっているのだ。加えて生殺与奪まで握られている。サリーもまた危険な状態だった。
「あぁ? 誰に命令してるんだぁ。自分の立場がわかっているのかぁ? こっちのガキを殺してからお前も甚振ってもいいんだぞぉ~」
アンドレイはまた下卑た笑みを浮かべる。それはこの上なく醜悪でこの上なく気持ち悪く、そしてこの世で最も厭悪するものだった。
「く……」
「ほらぁ、なんて言えばいいのかぁ、わかっているのかぁ~お願いしてみろよぉ! なぁ!」
「ぐ……お願い……します……生徒には……手を出さないでください……」
デイジーは涙を流す。
それは憎むべき相手に懇願するという屈辱に塗れていた。それでいて一縷の望みに掛ける彼女の儚い希望が混じっていた。
「あぁいいねぇ~この瞬間が溜まんないんだよぉ。威張りちらしている奴が屈服する瞬間がぁ! 決めた! 先にガキどもを殺そぉ! そしてぇ! お前をもっと蹂躙してやるぅ」
「な! やめろ! やめて……ください……お願いします……生徒は……助けて……」
強さと気高さを兼ね備えた彼女がまた涙を流す。
それを見て、俺はやっと自分の心に渦巻いているものが何かわかった。
それは自分への怒りだ。
俺はこの場に置いて戦士ではない。
アンドレイからは弱者として見られ、デイジーの弱点という認識だ。
サリーやデイジーもまた俺を守る庇護の存在として見ている。
ロビンもきっと俺を戦士だなんて思っていない。
ここにいる全員が俺を戦士として認識していないのだ。
俺自身ですら。
そして俺はそれに気づきながらそれに甘え、戦士としての矜持を失っていた。
気付いているのに見ないふりをしていたんだ。
闘わなければならないのに、闘わないという選択をしていた。
身勝手な理由で。
デイジーほど高潔な戦士が人目も憚らず泣いて生徒の助命を請う。そこにどれほどの葛藤があっただろうか。
どんな状況でも他者を慮れるサリーがそれをどんな心境でそれを見ているのか。自分の生死が掛かった場所で。
そんな中、何をのうのうと安全地帯から俺は見ているのだろうか。
お前は守られたいのか?
お前は闘わないのか?
お前は弱いままなのか?
違う!
俺は!
己の心に渦巻く自己嫌悪の炎が漸く俺を愚者から蘇らせた。
遅い。遅すぎる。愚鈍なまでに遅すぎるんだ。
だが、まだ間に合う!
俺はポケットから獣化液を取り出した。
「アイガくん?」
不安に満ちたロビンの声。
俺はロビンの顔を見られなかった。
「すまん……ロビン」
その言葉を絞り出して俺は獣化液を首に打ち込む。
「獣王……武人!」
もう迷いはなかった。
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