第149話 オリエンテーション 33
「宵月流! 月齢環歩! 『三日月』!」
俺の右下段廻し蹴り、三日月が猿の左足にヒットする。
駆けた分の威力も上乗せされ、それは確かな手応えとして伝わった。
「ぎゃ!」
猿が悲鳴を上げる。
「まだだ! 『二日月』!」
蹴り足をそのまま地面におき、身体を回転させ左の後ろ廻し蹴りを見舞った。
足刀が猿の鳩尾を抉る。
「『
蹴足を即座に戻し、地面に置く。その動作に連動して上半身を傾けた。重心がぶれ、身体が倒れる。
その勢いのまま右肘を突き立てた。
身体のバランスをわざと倒すことで加速させ、その勢いを利用する。
そこから放たれる振り下ろす形の肘打ち。それが月齢環歩、『更待月』だ。
「ごふ!」
猿の鎖骨に落ちる肘の鉄槌。
骨が砕ける感触があった。
俺は肘を引く。
同時にその場で身体を左に一回転させた。
竜巻のような回転が俺の右腕に宿る。
そのまま右の裏拳を猿の顔面に叩き込んだ。
「『
月齢環歩、『寝待月』。
回転によって威力と速度を乗せた裏拳だ。
猿の歯が飛び散った。
氣がその顔面に侵食する。
黒い血が遅れて飛散した。
俺は左腕に力を込める。
止めの一撃だ。
「喰らえ! 『上弦の月』!」
ダメージによって動けなくなっている猿の首めがけ、俺は左腕をぶつけた。
プロレスでいうところのラリアート。それが『上弦の月』だ。
鍛え込んだ腕で相手の首を刈り取る、もしくは顔面を破砕するシンプルな一撃。
だが、魔人の証明によって強化された筋肉が、月齢環歩の流れによる連撃の蓄積が、氣による衝撃が、この技を必殺へと昇華させた。
首の骨が折れる感触が腕に伝わる。
猿は断末魔を挙げながら吹き飛んだ。
計、五つ。
月齢環歩の五連撃。
猿は吹き飛んだ場所で立ち上がった。
三日月によって左足を、二日月によって腹を、更待月によって右鎖骨を、寝待月によって顔面を、上弦の月によって首を破壊され、その内部は氣が侵食している。
猿は血反吐を吐いてその場に倒れた。
「しぃ!」
俺は残心のまま構える。
しかし、猿は立ち上がらなかった。
手応えからしても完璧だった。
減退魔法にさえ掛かっていなければ俺は猿に勝てる。
こんな状況とはいえ、この勝利は俺に確かな自信として蓄えられた。
「ふぅ……ロビン! 大丈夫か?」
猿が事切れたことを確認して俺はすぐにロビンの下へ駆け寄る。
「あ……ありがとう……」
ロビンは混乱しているようだ。ただ、怪我はしていなかった。
一安心した俺はサリーとデイジーのほうを見る。
二人ともテレポートした猿を既に斃していた。
どうやらデイジーがサリーの分も含めて斃したようだ。彼女の左手から銃の硝煙のようなものが上がっている。
俺が心配することなど何一つなかった。
彼女らは動揺など一切せず淡々と襲い来る敵を迎撃していたのだから。
一方で残った猿共はまだサリーの砂魔法で拘束されたままだった。どうやら仲間が斃されたことで闘争心を失ったようだ。
俺はロビンを伴ってサリーたちのほうへ赴く。
「これは試験ではありませんね、デイジー先生」
強い口調と表情でサリーがデイジーに問うた。
「あぁ。違う。どうやら……考えたくはないが……またテロのようだ。クソ! 何故だ! 何故奴らが我らを狙う!」
デイジーは怒りからか左手で頭を掻く。美しい髪が無造作に乱れていった。
「これって……前のテロと同じってことですか?」
ロビンが不安そうに尋ねる。
「残念だがそのようだ。お前らは急いで島に戻れ! 向こうに行けばパーシヴァル先生とテレサ先生がいる。なんとかなるはずだ! 私はここで残った猿共を駆除してから向かう!」
「わかりました」
デイジーの言葉を受け、俺達三人はボートに向かった。
その時だった。
突如、爆音が響き渡る。
「うわ!」
「きゃ!」
俺は咄嗟にロビンとサリーを庇った。
ロビンを抱えたまま倒れ、サリーの後頭部に右手を回す。
結果、二人とも怪我はなかった。
「あ……ありがとうございます……」
サリーはすぐに起き上がる。
ロビンは驚いたまま固まっていた。
「いや……それより……」
俺は周囲を見渡す。
爆発したのは……
拘束されていた猿共だ。
突如として、砂の魔法で拘束されていた猿が数体爆発したのだ。
周囲には焦げる肉の臭いに交じって血の匂いが充満する。
吐きそうだ。
爆発そのものは大したことがなかった。
しかし……
先ほどまであった美しい島の景色は完全になくなっていた。
何もない小島といえど、そこには綺麗なコバルトブルーの海、美しい白い砂浜、澄み切った青空があった。
一種の芸術作品に近い美しい情景だ。
それが、海は猿の死骸と血によって澱み、砂浜は爆死した猿の血と肉と骨が散らばり、空には死骸から立ち込める焼けた肉の臭いと本能に訴えかける死の臭いが立ち上っていた。
それはもう地獄絵図だった。
何かを訴えるように顔の上半分を残した猿の死骸はまるで慈悲を請うが如く。
プスプスとまだ焼ける死骸と微かな煙は猿達が残した恐怖のようでずっと鼻と脳裏に残る。
予てより魔獣退治で修業していた俺ですら、その光景は目を背けたくなった。
常人なら倒れてしまうかもしれない。
事実、ロビンは蹲り胃液を吐いていた。
サリーの顔は青褪め、口を押えている。
デイジーだけがまっすぐとその光景を見ていた。
俺はすぐに切り替え、残った猿を確認する。
爆死したのはどうやら五体のようだ。
俺が斃したのが一体。サリーとデイジーで三体。合計九体が死んだ。
残っているのは……六体か。
その六体全てが怯えた眼をしている。
当たり前か。
果敢に挑んだ仲間は返り討ちに遭い、ともに拘束されていた仲間は爆発によって死んだのだ。
獣といえども、その心に去来する恐怖は計り知れない。
しかし……何故爆発した。
それがわからない。
ただ明らかに俺達を殺す威力ではなかった。
これはまるで……
罰。
闘うことを諦めた者への罰?
そこへ。
「さぁ、闘え。じゃなきゃお前らも死ぬぞ」
どこからか声が聞こえた。
卑しさを感じる気持ち悪い声だった。
サリー、デイジーが同時に表情を変える。
「なんだ!? 今の声は?」
俺は辺りを見渡す。無論、上も見た。
眩しい太陽が容赦なく照り付ける。眩しい。視界が歪む。
誰もいない。が、敵がいることに間違いなかった。
それも魔獣とは違う。
人間。
敵意を持った人間が近くにいるのだ。
俺は警戒心を最大限に引き上げた。
そして。
生き残った猿共が咆哮をあげた。
死への恐怖、殺さないで、と訴えるような狂った咆哮だった。それは悲鳴に近い。
「デイジー先生!
「無論だ!」
サリーとデイジーが同時に契約を発動した。
俺はもう一度獣化液を探る。
「うぅ……」
ロビンの泣く声が聞こえた。
それが俺を引き留める。また俺は獣化液を取れなかった。
後ろには虚ろな瞳のロビンがいる。
いまだに俺は迷っていた。
本当に俺は……
愚かだ。
この期に及んで俺はまだ……
愚かだった。
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