第150話 オリエンテーション 34

「その爪牙を以て大地を蹂躙せよ! グリフォン!」

「鉱より生まれし鋼の子らよ! 悠久の時を越えて咲き誇れ! アルラウネ!」


 二人が同時に祝詞を叫ぶ。

 嘗て見た鷲の頭と翼、獅子の身体を持つグリフォンが高らかに嘶いた。

 その傍らで鈍色の肢体を薫らせてアルラウネが妖艶に佇む。


 デイジーの右腕にあった包帯がはち切れ、そこに白銀の手甲が装備された。太陽光に反射して神々しい輝きを放つそれは彼女の気高さを具現化したようだ。


 サリーの右手に鎖のついたペンデュラムが舞う。汚染された戦場の空気の中を優雅に漂うその姿は彼女の誇りそのものに見えた。


「アイガさん! ロビンさんを頼みます!」


 サリーはそう言って俺とロビンの前に立つ。

 どうやらサリーは俺の事情を察してくれたようだ。

 それでいて、俺のプライドを折らぬよう、加えてロビンに俺の秘密が露見しないよう配慮に満ちた言葉で俺を守ってくれた。


 このような場で、そのような配慮が行えるのか。

 俺は心の底から震え、そして感謝した。


 遅れてデイジーがゆっくりとサリーの隣に立つ。ただ、その表情は苦悶に満ちていた。

 デイジーは俺との訓練での戦闘の傷が癒えていない。

 その状態でしかもダメージのある右手に手甲を装備している。


 危ない状態だ。


 そんな時、一匹の猿が咆哮を上げた。

 同時に消える。テレポートだ。

 二匹目も吠える。三匹目、四匹目も。そのまま消えた。

 

 残った一匹だけが怯えた眼でこちらを望んでいた。

 猿はそれぞれ俺、デイジー、サリーの背後に現れる。

 俺は即座に反応した。


 しかし……


「吹き荒べ!」


 デイジーの気合が木霊する。

 グリフォンの契約武器である手甲が白銀の煌めきを伴ってしなやかに振り下ろされる。


 瞬間、一陣の風が吹いた。その風が三匹の猿を弾く。

 空中に飛ばされる猿たち。


「サリー!」


 デイジーがサリーの名前を叫んだ。

 それに呼応してサリーが右手を掲げる。


鋼鉄花狂咲シュタール・アオフブリューエン! 『侵し蝕む蔦アンターグラーブン・イーファイ』!」


 アルラウネがニッコリと笑った。そして地面より無数の鋼の棘が飛び出す。

 それらが空中に浮かぶ猿共の腹を貫いた。


「ぐひゅ!」


 猿共は血まみれで四方へ吹き飛ぶ。

 即席のコンビネーションながら合わせるこの二人に俺は脱帽した。


 デイジーが猿を空中に浮かし、サリーが鋼の棘で撃破する。

 その一連の動きには一切無駄がなかった。


 クラスが違う。年齢が違う。体格が違う。恐らく魔法の練度も違う。

 それでも二人は即席で合わせた。


 幾千の戦闘に培われた経験、持って生まれた才能、そして純然たる矜持。それらが織りなす熟練の技。

 だからこそ、できたであろうコンビネーション。


 俺はもう、周囲の猿共のことなどどうでもよかった。

 この二人の強さをもっと見ていたい。そう思うようになっていた。

 それは憧憬だろうか。それとも興味なのだろうか。もしかしたら羨望なのかもしれない。


「ちぃ! やっぱダメかぁ」


 下卑た声がまた木霊する。

 次の瞬間、それは突然飛来した。

 空中より何かが突然落ちてきたのだ。


「ぐぎ!」


 それは残っていた猿の顔面を踏み潰した。

 破砕された死骸の顔面から血や脳漿、脳そのものが飛び散る。


 そこにいたのは巨漢の男だった。

 肥満に近い体躯だ。獣の皮をそのまま剥いで上着にしているが、毛深い胸と腹は丸見えだった。


 無造作に伸びっぱなしの髭と髪には清潔感が一切なく、その相好も野蛮を現したかのようだった。


 身長は二メートル近く。体重は恐らく百キロを軽く超えているだろう。

 腕は太く、浅黒い。

 下半身は革製の半パンだが、逞しい脛が見えていた。


 その足で猿を踏み拉いたのである。

 魔獣の顔面を踏み砕くその膂力。


 危険だ。


 そして俺の脳味噌にずっと警報が鳴り響いていた。

 男からは隠すことのない敵意が漏れている。


 その敵意は殺意に近い。

 明確な殺意が俺の脳に警報を鳴らしていた。

 この男、間違いなく強い。


「こんだけ用意しても所詮、猿は猿かぁ。上級魔獣だからもう少しマシな働きをすると思ったんだがなぁ」


 そういいながら男は自分が踏み殺した猿の死体を思いきり蹴り上げた。

 砂魔法で拘束されていたはずの死体が容易く吹き飛ぶ。


 これは魔法ではない。単純な力だ。力によって魔法の拘束を破壊したのだ。

 警報の音はさらに強く早く鳴り響いた。


「貴様! 一体何者だ! 目的はなんだ!?」


 デイジーが問う。

 男は右手の小指で耳を穿りながら退屈そうに答えた。


「あぁ? 質問が多いなぁ……俺は素晴らしい革命の組織、『まほろば』の戦闘員……アンドレイ・ハッケンシュミット様だぁ! 目的はぁ……まだ言えないなぁ……」


 男は、言い終えると同時に汚い舌を出して俺達を挑発した。

 低俗な挑発だ。


 しかしそれでも俺は油断できなかった。

 この男の強さは完全にアサルト・モンキーよりも上だ。それも圧倒的に。


 生唾を飲む音が大きく響く。

 そこへゆっくりと何かが降りてきた。


 それは青い球体だった。

 大きさは直径二メートルほど。


 サリーとデイジーが身構える。


「ん? あぁ、安心しろぉ。こいつは武器じゃねぇ。ただの運搬兼移動用のユニットってやつだぁ」


 それは青い、青い球体だった。

 俺は猿が飛来した時や男の下卑た声が聞こえた時、周囲を見渡した。それは上空も含まれる。


 だが、そこには確かに何もなかった。

 否、何も見えなかったのだ。 

 魔力の探知ができる二人も空を見上げていたが何もリアクションは無かった。


 ところが、男は空にいた。

 あの青い球体に乗っていたんだ。


 眩しい空を眺めるとどうしても視界はぼやける。

 そこにあの青い球体があるなど、どうしてわかるだろうか。


 完璧な擬態だ。単純。そう、単純であるからこそ見抜けなかった。


 悔しい。

 その一言に尽きる。


 アンドレイは肩を回しながら俺達を睥睨した。その瞳からは卑しさと気色悪さ、そして他人を見下す傲慢さが垣間見られた。


「しかしまぁ……いい女が揃ってるじゃねぇかぁ。クソ猿共が負けてくれてラッキーだったなぁ」


 アンドレイはそう言ってニヤリと嗤う。これほど醜悪な笑みを俺は見たことがない。

 悪寒と怖気が同時に這った。

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