第148話 オリエンテーション 32

 空を裂くような轟音が響いた後、俺は恐怖に慄いていた。

 こんなに離れた小島にいてもそれは、如実に俺に恐怖を伝える。


 空に昇る黒煙。煌々と燃える大火。

 全てが絶望に塗れている。


 俺は駆けだした。無意識に。

 恐怖が心を侵していく。


 クレア! クレア! クレア!

 泣き叫びそうだ。それを必死で我慢する。が、身体は動いていた。

 もう理屈じゃない。


 クレアが死んでいたら。

 それを考えるだけ胸が張り裂けそうだった。


 ボードに乗るか、自力で泳ぐか、どちらでもいい。一刻も早くあちらに行きたかった。


 だからこそ駆けているのだ。

 そこへ。


 突如空から玉が落ちてきた。

 途端に身の毛がよだつ。


 それは嘗て俺が倒した男、モーガンが使ったあの玉だったからだ。

 掌に収まるほどの大きさ。その玉に罅が走った。

 俺が認識すると同時に玉が発光する。


 そして中から忌まわしき猿、アサルト・モンキーが飛び出した。

 数にして十数体。全て牙を剥き出しにして、殺意を撒き散らしている。

 数こそ違えど状況はあの時と同じだ。


 俺がモーガンと闘い、獣王武人によって駆逐したあの猿共。

 俺の心はさらに恐怖に塗りつぶされていく。

 

 そして仄かに怒りも湧き出していた。

 本能で理解する。


 襲撃。

 その二文字が脳裏に浮かんだ。


 もう試験ではない。

 これは敵意を伴った相手からの襲撃だ。


「くそ!」


 俺は咄嗟にポケットに手を入れる。獣化液を探るためだ。

 勿論持ってきているので俺の右手はすぐにそれを掴んだ。


 しかしすぐさま俺は獣化液を手放す。

 ここにはロビンがいた。そしてデイジーも。


 この二人はまだ俺が化け物になることを知らない。デイジーは知っているかもしれないが。


 ロビンがいることのほうが問題だ。

 彼の前での変身は憚られる。


 クレアの時と同じで不安が俺の心を鷲掴みにしていた。

 折角、心から友達になった。なれたと思っている。それを壊すことが怖かった。俺が化け物だと知ったらロビンはもう友達とは思ってくれないだろう。


 それが途方もなく怖かったんだ。

 こんな感情を今になって持つことになろうとは。自分でも驚いている。


 本来ならつべこべ言わずに獣王武神を使って敵を殲滅するべきだ。

 それはわかっているはずなのに……


 俺は獣化液を取り出せなかった。

 その迷いの隙に一匹の猿が俺に襲い掛かる。


「救われぬ者よ! その片手に残る希望を翳せ! 束の間の幸せに充足せよ! 『砂蝋の揺籠クラドル・キャンドル』!」


 サリーが祝詞を唱えた。同時に周囲の砂が破裂したかのように吹き荒び、俺に迫りくる猿を弾き飛ばした。


 弾いただけではない。

 その砂が猿を捕縛している。

 それも他の猿もまとめて捕縛していたのだ。


 凄い魔法だ。

 俺が素手であれだけ手古摺った猿が砂の拘束具で固められていく。

 それを扱うサリー。彼女もまた特別科の生徒だということを改めて認識した。


「アイガさん! 大丈夫ですか!?」


 サリーが俺に駆け寄る。

 俺が当惑していることを看破しているようだった。


「あ……あぁ……俺は大丈夫……それより……クレアが……」


 混乱の波は俺が自覚する以上に強かった。

 言葉が紡げない。


 不安が、恐怖が、俺の目から涙をこぼさせる。

 情けない。


 まただ。またこの感覚に陥る。

 自分を真上から俯瞰する感覚。

 理解している。理解しているのに心と身体がチグハグになって上手く機能しない。


 だから言葉も行動もバグが起きる。

 それなのに思考だけが鮮明に働いていた。


 愚か。

 本当に俺は愚かだ。


「落ち着いてください! クレア様なら大丈夫なはずです!」


 サリーの言葉が俺の心に突き刺さる。


「クレア様は天才です! しかも炎系の魔法において彼女の右に出る者はいません。あの程度の爆発でどうにかなるお方ではありません! それは貴方が一番理解しているはずです! 違いますか!?」


 サリーの視線が、想いが、俺の迷いを吹き飛ばした。

 心と身体が漸く重なる。


「あ……あぁ! そうだ! そうだな……すまん……」


 そう言葉を吐いた時、心に残った怒りがエネルギーとして生まれ変わった。


「良かった。やっといつものアイガさんのお顔になられました。では……今はこの状況をなんとかしましょう!」


 サリーの言う通りだ。


 完全に失態である。

 今、サリーが助けてくれなかったら俺は何もできない木偶の坊のままだっただろう。


 冷静になれ。アイガ。

 クレアならあんな爆発程度で死ぬわけがない。クレアは天才だ。紅蓮の切札フレア・ジョーカーの字名を冠する大天才だ。


 俺は自分で自分の頬を叩く。

 そして眼前を見据えた。


 今成すべきことを考えろ! 

 俺は気合を入れ直す。


 俺の中で生まれたエネルギーが闘志となって激しく燃え盛った。

 それと同時に猿共が呻き声を上げた。そして消える。

 テレポートだ。


 俺はすぐさま走った。

 ロビンの背後に回るためだ。


 同時に、


「丹田開放! 丹田覚醒!」


 魔人の証明と氣術を発動する。


 間に合った。

 猿の一体がロビンの後ろに現れていたのだ。


 こいつらのテレポートは対象者の背後に回る条件付きの高速移動だ。

 テレポートと表現しているが、その実瞬間移動ではない。


 だからこそ、獣王武人を使わずとも対処できる。

 現れた猿は自分の魔法が看過されたことに驚いていた。


 心の最奥から燃え滾るエネルギーを氣に乗せて俺は拳を握る。

 覚悟が、闘志が、全身を駆け巡った。

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