第143話 オリエンテーション 27

「ん?」


 ここは……

 俺は……


 意識が火花を散らしながら脳内でスパークした。

 同時に記憶が焼けた写真を逆再生するように戻っていく。


 そうだ……

 そうだ!


 俺は起き上がる。

 起き上がる?

 そうか……俺は寝ていたようだ。


「アイガ!」


 隣にクレアがいた。

 クレアは丸椅子に座り、俺を看病していてくれたようだった。


 意識と記憶が戻るとあの味が口に染みた。

 敗北の辛酸だ。

 それを隠しながら俺は辺りを見回す。


「ここは?」

「戦士用控室だよ」


 クレアが水を渡してくれる。俺はそれを受け取り一口飲んだ。敗北の味はそれでも消えない。


「戦士用控室?」

「サリーが最初に出てきた部屋だよ」


 クレアの言葉でここがどこかわかった。

 闘技場の横にあった部屋だ。


 部屋の中は簡素な造りだった。六畳ほどの四角い部屋で端に洗面所、小さな棚がある。


 俺が寝ているのはベッドだ。病院のベッドを彷彿とさせる造りだがマットは固い。

 クレアが座る丸椅子以外には小さな木製の机があるくらい。


 本当に必要最低限なものしかない。そんな印象だった。


「俺はどれくらい気絶していた?」

「十分くらいだよ。ゴードン君が運んでくれたんだ」

「そうだのか……ん? ゴードンは?」


 俺は部屋を見回すが、ゴードンの姿はなかった。


「ゴードン君は今、テレサ先生と手合わせ中だよ」


 そうか、次はゴードンか。

 俺は全身をチェックする。

 いつの間にか脱臼しているはずの左肩がはまっていた。


「左肩はデイジー先生が治してくれたの。でも魔法じゃなくて思いきり力任せみたいな感じだったからちょっとびっくりしたけど。あとでリチャード先生に診てもらえだって」


 クレアはそう言いながら俺の左肩を撫でる。

 微かに痛みはあるが、はまっているなら大丈夫だろう。


「絶対! 診てもらってね。アイガ、めんどくさがるでしょ!」


 クレアの鋭い視線が飛んできた。

 やはり心が読まれているのだろうか。


「わ……わかってるよ」


 ドキドキしながらそう返すのが精一杯だった。

 クレアは溜息を吐きながら俺のコップを片付けてくれた。

 俺は立ち上がり身体をストレッチさせる。

 左肩に鈍痛があるがそれ以外に問題はなかった。


「そういえばサリーは?」

「サリーは多分外にいるんじゃないかな。アイガに部屋を譲ってくれた後外の空気を吸ってくるって言っていたから」


 成程、彼女もまた敗北の味を味わっているのだ。


 俺とクレアは部屋を出た。

 眼前に闘技場が拡がる。

 そこにゴードンが大の字で倒れていた。


「ゴードン!」


 つい、俺は叫ぶ。

 砂のリングには悠然とテレサ先生が立っていた。

 その手には細い刃の剣が握られている。


「勝負ありね、ゴードン君」

「は……はい……」


 どうやら手合わせの決着がついたようだ。


「あら、アイガ君も起きたみたいね」


 テレサ先生は剣を優美に振り回しながらリングの外に出た。


「まだ時間もあるし、午後まで自由時間でいいわ。周りを散歩するなり、泳ぐなり好きになさい。でも、普通科の邪魔はしちゃだめよ。それじゃあね」


 艶やかにそう言ってテレサ先生は俺達がいた部屋とは反対方向にある部屋へと消えて行った。

 恐らくそちらも戦士用控室のはず。

 いるのはデイジーだろう。


 その時、ふと思い出した。

 最後の一撃。


 その一撃に伝わった不可思議な感触。

 そして氣が入らなかった不可解さ。

 何故だ。あれは一体……


「大丈夫? アイガ? まだ痛いの?」


 クレアが心配そうに俺を見る。


「いや、大丈夫だよ」


 俺はそう言ってリングに倒れるゴードンに近づいた。


「大丈夫か? ゴードン」

「お前よりはマシだろうな」

「それくらいの減らず口が叩けるなら心配ないな」


 俺は右手を差し出す。

 ゴードンはその手を握って起き上がった。

 所々痣や擦り傷などがあったが、これなら左肩を脱臼させた俺の方が重傷かもしれない。


 俺達は揃って闘技場を出る。

 クレア曰く、ここは闘技場として建てられた建物で一種の観光地だったらしい。腕に覚えのある魔法使いが封魔戯闘や通常の魔法戦を行うものだったらしいのだが経営難で潰れ、今では建物だけが残っているのだとか。


 それをディアレス学園がこのような対戦形式の訓練場として使っているとのこと。


 成程、得心がいった。

 あのリングの砂に染み込んだ血と怨念。それはきっと闘う者たちの残滓と情念だったのだろう。


 闘技場を出て暫く歩くと、サリーがいた。

 ごつごつとした岩場に座り、ソバージュの髪を風に靡かせている。どこか外国の高名な画家が描いたような絵画のようでその姿は儚くも美しい。


「あら、皆さん」


 その声はいつものサリーだった。

 サリーは岩から立ち上がる。

 今、彼女は制服だった。


「サリー、大丈夫?」


 クレアが尋ねる。その声色は憂いを帯びていた。


「問題ありませんよ」


 サリーは答える。その声色もまた憂いを帯びていた。


 強い海風が潮の香とともに吹き抜ける。

 遠くで海鳥が鳴いていた。

 穏やかな水面がキラリと光る。


 このとき、きっと四人の視線はバラバラだったはずだ。だが、見据える視線の先が遥か遠くなのは一緒だったのだろう。


 まだまだ及ばない。

 それは天才も凡人も同じだ。


 当たり前と片付けるには、俺達は若すぎたのかもしれない。

 だから歯痒い。

 敗北の味は未だ俺の心にこびりついたままだった。

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