第144話 オリエンテーション 28

 太陽が蒼穹の頂点で輝く。

 俺は今、海に浮かんでいた。


 赫灼かくしゃくの太陽と睨めっこをしながら波に身を任せている。耳に潮騒が、身体に波が、打ち寄せた。


 敗北の味は未だ俺の中で渦巻いている。それは蜷局とぐろを撒きながら俺の心を騒めかしていた。

 薄れることなく、消えることなく、只管に心を締め付ける。


 テレサ先生に自由時間と言われたが、皆どこか思うところがあったのだろう。海辺で各自解散となった。


 サリーは岩場に腰かけ黄昏ている。


 ゴードンは「軽く走ってくる」と言って、森の方へとジョギングしていった。


 クレアは浜辺でパラソルを立ててそこに座っている。

 俺は闘いによって火照った身体を冷ますため、そして心に蔓延る敗北を忘れるため海に入った。


 最初は体力の限界まで泳ぐつもりだったが、脱臼した左肩のダメージを考慮してただ浮かぶだけとなったのだ。


 何分、何十分、それとも何時間か。時の流れは分からないが長時間、海に浮かび続けたことは無駄ではなかったようだ。

 それは瞑想に近いものがあったのかもしれない。


 身体が冷えていくにつれ、心は落ち着いていった。

 それでも敗北の苦みはあるのだから始末が悪い。


 俺は一度深く息を吸い込み、海へと潜った。

 蒼い海の中は静かだった。澱みや汚れなどなく、ありのままに澄み切っている。


 沈みゆく己の身体。まるで自分が海と同化していくようだ。

 苦しい。だが今はそれが心地よかった。


 俺は海の中で目を開き、その光景を望む。

 無数の魚が泳いでいた。名も知らない魚たちだ。


 深く暗い底には小さな貝や揺れる海草があった。

 紛れもない自然の姿がそこにあったのだ。


 それが溜まらなく美しかった。痛んだ心を浄化するほどに。


 俺は勢いよく海上に顔を出す。

 数秒ぶりの空気は旨かった。

 敗北の味は薄まってくれていた。そう思い込むことにした。


 苦しむのは悔しいと思っているからだ。

 次こそ勝つ。必ず勝つ。

 俺はそう誓い泳いで海岸に戻った。


 そしてパラソルの下に座るクレアに駆け寄る。


「あ、アイガ、もういいの?」

「あぁ」


 クレアは立ち上がり、パラソルを片付けた。

 同じタイミングでサリーもこちらに来る。


「サリーも大丈夫?」

「えぇ。大丈夫ですわ」


 サリーの顔は先ほどとは違い、少し晴れ晴れとしていた。彼女もどうやら自分の中にある感情を昇華できたようだ。


 暫くしてゴードンも戻ってきた。

 ずっと走っていたのか、ゴードンは汗だくだ。

 そして俺達を尻目に勢いよく海にダイブする。汗を流したかったのだろう。それとも他のなにかを流したかったのかもしれない。

 海から上がったゴードンがこちらにやって来る。


「お疲れさん」


 俺が声を掛けるとゴードンは顔の水を拭いながら「あぁ」と小さく呟いた。

 その顔は精悍だった。ゴードンもまた自身の感情と折り合いを付けられたようだ。


 クレアがパラソルを闘技場の横にあった倉庫に戻す。倉庫にはそうした備品が幾つかあるらしく、チラリと覗くと他にも折り畳み式の机や椅子が見えた。


「じゃあ、行こうか。そろそろお昼だし」

「そうだな」


 斯くして俺、クレア、ゴードン、サリーの四人は普通科の面々がいる海岸を目指した。

 朝は涼風だった森の道も昼時となれば熱波を伴う風になっていた。


 そしてそれは海で濡れた身体を温めるには充分だ。身体は自然と乾いていく。

 森の道を出ると浜辺でへたり込む普通科の皆が見えた。


 どうやらパーシヴァル先生に相当しごかれたようだ。


 その時。

 俺は発見した。

 自然と駆け足になる。


「ロビン!」


 そう、ロビンだ。ロビンがいたのだ。


「あ、アイガ君」


 ロビンはいつもと変わらない笑顔を俺に向けてくれた。


「もう大丈夫なのか?」

「うん、ごめんね心配かけて……ってアイガ君も怪我してるよ! 大丈夫なの?」

「俺は平気さ」


 ロビンは俺の身体にある痣を見て驚いたようだ。

 昨日脳震盪で気絶し、今日の午前中丸々療養していたにも関わらず他者を慮れるロビン。そんなロビンだからこそ俺は友人になりたいと思ったのだ。それを思い出した。


 ロビンは優しい。優しすぎるのだ。


「僕も平気だよ。たっぷり寝られたからね。午後からまた合宿に参加するよ」

「そうか、よかった」


 俺はロビンの復帰が心から嬉しかった。

 ただ、まだ心の奥底にある一抹の不安は拭えていない。


 だが、今はそれを忘れようと思う。

 ロビンが笑顔でいてくれるなら。それでいい。


 現実逃避だと思っていても今はこの不安を言葉にするのが憚られたのだ。

 それを言ってしまうと現実になってしまいそうだから。それが途轍もなく怖かった。


「お前ら、戻ったか。なら、さっさと昼飯を食っとけ。午後からまた試練を続けるぞ!」


 パーシヴァル先生の声が響く。その近くには昨晩と同じく弁当があった。

 今回もどうやら昼飯は支給されたようだ。

 俺達はそのまま五人で昼飯を食べることにした。


 浜辺でグロッキーになっていたクラスメート達もゆっくりと立ち上がり弁当を受け取っていく。

 俺達は適当な場所に座り弁当を食べようとした。


 そんな折、不意に背中に何か柔らかいものがあった。

 暖かい。柔らかい。吸い付くような感触だ。

 俺が振り向くとジュリアがいた。


「ジュリア!?」


 あまりにも近くに綺麗なジュリアの顔が現れたので驚き変な声が出る。


「今日のお昼ご飯は何かな~って思ってぇ~」


 艶やかな声だった。ジュリアはそう言いながら視線が俺の弁当に向いているのだが、未だ背中には大きな胸が当たっている。


 この魔力にはやはり抗えな……

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