第142話 オリエンテーション 26
砂煙が舞う。
顔面に痛みが走った。
口の中に砂利が入る。
巻き上がる砂に混じって仄かに血の香りがした。
この砂には数多の血が染み込んでいるのだろう。そして、またあの怨念めいたものを感じた。
感慨に耽ったのは恐らく一秒もない。
意識が現実に戻る。
俺は蹲っていた。左腕を搦めとられた状態で。
デイジーは俺の左腕を片手ながら警察官のように極め、後ろにいる。
あの攻防の最中、咄嗟に撃った肘打ちの肘を掴まれたのだ。
そしてデイジーは身体をうまく入れ替え俺の腕を極めてしまった。
これは彼女の筋書き通りの展開なのか。それとも俺と同様咄嗟に行った行動なのか。
しかし、見事な体捌きだった。惚れ惚れするほどに。
「さぁ! アイガ! 降参しろ。チェックメイトだ」
ガシっと腕を極めるデイジー。
痛みと電気が身体に走る。
屈辱とは感じていない。
だが敗北の嫌な苦みが僅かに感じられた。
「さぁ!」
尚もデイジーがギブアップを薦める。
どっちにしろ、普通ならこれで終わりだ。
腕を極められ、相手に背を見せているのだから。
生殺与奪の権利は向こうにある。
そう、普通なら。
あの攻防。俺が倒れながら肘打ちを行った時、デイジーが取れた選択肢はおそらく三つ。
一つは今のように腕を取る。
次に払った軸足の右足を取る。
最後は首を取る。
腕の場合は今の状態だ。
足を取られていたら終わりだったかもしれない。足の場合、骨ではなく膝の靭帯を切るだけで決着がつく。が、魔人の証明中なら、そして俺なら、靭帯を切られても十秒は耐えられると思っている。
その十秒で次なる手を打てたかもしれない。
この辺りは想像だ。若しかしたら激痛でのたうち回り敗北していたかもしれない。
わからない。
首の場合なら問答無用でデイジーの勝ちだ。
痛みもなく、首を絞められて気絶するだけ。抗うことは不可能だろう。
そして今の腕の場合。
教師としては正解だ。生徒を一番安全に降参させることができるのだから。
しかし、戦士としては不正解だ。
腕なら、ましてや利き腕じゃないほうの腕ならいくらでもくれてやる。
まぁ、その必要もないが。
宵月流使いにとって腕を極められた程度では敗北ではないのだ!
「抵抗する気か!」
デイジーは俺が微かに動いたことに反応して極めている左腕に圧を掛けた。
さっきの闘いで俺の技によって右腕を破壊されながらも、俺の左腕を彼女は片手で極めている。その上で俺の動きに合わせて力を加えた。見事だ。
だが、その程度では俺は止まらない。
まだだ。まだ決着じゃない。
俺はもう敗北の味は嫌なんだ。
ましてやクレアの前で何度も敗北するなど!
言語道断!
「しゃ!」
俺は気合と共に己の左肩の関節を外した。
「な!?」
デイジーの驚く声を聴きながら、俺は窮地を脱する。
宵月流殺法術、躯体式、回避術『
己の関節を自在に脱着させる技……というよりは技法だ。
魔人の証明や強化魔法ありきだが、それによって強化されている靭帯と筋肉を行使して関節の骨を外す。
俺はまだこの躯体式が苦手で強い支え、今でいえば相手が極めている状態などで肩と手首、足首しか外せない。
師匠はさらに肘、膝、股関節、そして首も外せるのだから凄い。
俺はこの『剥月』によってデイジーの技から逃れた。
自ら骨を外す、などという奇策はデイジーの中になかったのだろう。さらに彼女は今片手しか使えない。
そのため、関節を外して逃げた俺を再び捕まえることはできなかった。
俺はすぐさま立ち上がる。
デイジーより先に攻撃の軌道に入れた。
この距離ならまだいける!
頭に無数の選択肢が浮かんだ。
秘奥義は不可だ。あれは獣王武人状態でしか使えない。
俺は右腕に氣を送る。
掌底を構え、一気に、打ち込む。
狙いはデイジーの心臓だ!
「宵月流奥義! 『
強く踏み込み、デイジーに掌底が当たる直前に腕を回転させ、氣と共に俺は彼女の心臓目掛け右腕を打ち込んだ。
直前、身体を振り回したためか外れた左肩に激痛が走る。その所為か踏み込みがずれた。
それでも問題ない。
氣がそのズレをカバーする。
右の掌底がデイジーの胸部に直撃した。
同時に氣が入った確かな感触が伝わる。
『心月震砲』は大技だ。
強い衝撃で相手の心臓を打ち抜く技である。
シンプルながら決まれば凄まじい力を発揮した。
回転の度合い、踏み込みの強さ、そしてタイミング。これらが揃わなければ技としての威力を有さない難しい技でもある。
成功率は今でも八割あればいいほうだ。
だが俺には氣がある。
技術の甘さは氣術でカバーすればいい。
タイミングのズレも、踏み込みの甘さも氣が心臓に到達すれば同じかそれ以上の効果が見込めるのだから。
そして、渾身の一撃がデイジーに炸裂した。
決まった!
氣が入……ん?
なんだこの感触は?
氣は入った。が、そこで止まった。皮膚にしか通っていない感覚だ。
なぜ?
氣が入らない?
そんなことは今まで一度も無かった。
あり得ない!
あり得ない……はずなんだ……
頭に蔓延る疑問符。
我に返った時、デイジーの拳が見えた。
それが俺の顎を穿つ。
「が!」
脳が揺れる。
しまった……
油断……ではない。ただ不可解だった。
俺は気合を入れ、耐える。
しかし……
二撃目の拳が再び俺の顎を再び穿った。
記憶が……
意識が……
消え……
……
…
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