第141話 オリエンテーション 25

 柔軟性は武術家にとって最も必要なものだ。

 しなやかさは攻撃の幅と威力を底上げする。

 また怪我の回避にも繋がる大切な要素だ。


 そしてこの技はそんな柔軟性がとても重要な技である。

 まず百八十度に足を開閉し相手の攻撃を避ける。次に地面に着いた手を軸に横に開いた足を一気に前方で重ねる。


 両足で挟み込むように蹴ることで相手の軸足を破壊するのだ。

 まさに罠。獣が山の野道でトラバサミの罠によって足を壊すように。


 狙いはデイジーの攻撃の起点になった軸足! 右足だ!

 踏み込んだままの無防備なデイジーの右膝に向かって、俺の両足が挟み込む。


「その膝、貰ったぁ!」


 会心の一撃だった。タイミングも完璧だった。


 それでもデイジーは避けた。

 無理な体勢ながら軸足に強化魔法を重ねたのか、そのまま上空に飛んでいたのだ。


 その貌には密かに苦痛が滲んでいた。流石にノーリスクでの回避は不可能だったらしい。


『響月挟罠』を躱せるのは空中しかない。

 よもやこれが躱されるとは。流石だ、デイジー。


 だが、予定通り。ここまでは予定通りだ。

 俺は即座に腕だけで身体を立て直す。それはまるでブレイクダンスの如く。


 魔人の証明を発動しながらも自身の筋肉が軋み、限界の悲鳴を上げた。

 その上で俺は腕だけで身体を支える。


 今の身体の姿勢は足を屈伸した状態の倒立だ。腕と頭部で全身を支えている。

 その状態で身体を捻転させた。『崩月蓬廻』の時と同じ要領で。


 限界まで捩じれ! それが力になる!


「は!」


 俺は一気に身体を伸ばした。捻転した身体を元に戻す。そのまま一気に腕の力で飛んだ。


 それはミサイル。対空ミサイルのイメージだ。

 捻転の力も加わった上空へのドロップキック。

 宵月流殺法術上位の奥義!


「『穿月戦弩せんげつせんど』!」


 微かに視線の端でテレサ先生が立ち上がったのが見えた。

 その意図はわからない。

 俺は眼前のデイジーに集中する。


『響月挟罠』で仕留められれば良かった。が、そこから『穿月戦弩』への派生は宵月流の黄金パターン。


 寧ろ、『穿月戦弩』の前段階が『響月挟罠』といっても過言ではない。

 俺は全身全霊で『穿月戦弩』を撃ち込む。


「しゃあああああああ!!」

「ちぃぃいいいいいい!!」


 デイジーは右腕を折りたたみ俺の『穿月戦弩』をガードした。

 しかし、両足に伝わる確かな衝撃と感触。


 ここにきて防御されるとは思わなかった。が、少なくてもその腕は貰う。


 俺は一気に氣を流し込んだ。

 瀑布の如き氣の脈動を感じる。


 瞬間、デイジーの右肩と背中が爆ぜた。そして黒い血が噴出する。

 氣外しか。

 それでも全てを外せていない。


「ごふ!」


 デイジーが吐血した。

 氣が内臓に入ったのだ。


 空中でお互いに姿勢を戻す。


 俺は地面に着地すると同時に転がりすぐに立ち上がった。

 デイジーも落ちながら受け身を取って立ち上がった。


 彼女の右腕はどす黒く腫れている。折れているはずだ。手応えもバッチリだった。


『穿月戦弩』は氣に関係なく相手を破壊する大技。本来ならデイジーの胸骨と肋骨を破壊して勝負を決めていたはず。


 それを右腕一本の犠牲で済まされた。

 また、流し込んだ氣は氣外しによって八割がた回避されている。


 ただ二割は入った。それで充分だ。


「はぁはぁはぁはぁ……」


 デイジーの右腕は上がっていない。

 戦力は削いだ。


 いける!

 俺はチャンスとばかりに一気に勝負に出た。

 右腕に氣を込める。


「は!」


 渾身の右ストレート。

 デイジーはそれを容易く躱す。


 俺は左でアッパーを撃った。

 デイジーはそれも躱す。


 そして彼女の背がリングの端にあった鉄柱にぶつかった。

 来た! もはや逃げ場はない。上手く誘い込めた。


 俺は勝利を確信して右ストレートを撃つ。

 この瞬間、自然と嗤っていたかもしれない。


 それがいけなかったのか。

 デイジーの姿が消えた。


 右でも左でもない。ましてや上でもない。

 下に落ちるのが見えた。


 デイジーは足を前後に百八十度開閉して俺の攻撃を躱したのだ。

 彼女もまた凄まじい柔軟性を体得していた。戦士としてなら当然か。


 しまった。これは意趣返しだ。

 俺の時とは違って足は前後に開いている。つまり『響月挟罠』ではない。

 しかし、言い様の無い悪寒が俺の背中を這った。


「しっ!」


 デイジーは俺の軸足をその左手で払う。

 踏み込んだばかりの右足が滑った。

 バランスが崩れ、俺は倒れる。


「ちぃ!」


 だが、ただで倒れるものか!


 俺は左肘をデイジーに向かって突き立てた。

 体勢は不十分だ。ただ、道連れにするにはこれしかなかった。


「しゃあああああ!!」

「はぁあああああ!!」


 お互いの身体がぶつかり合う。そして魂もぶつかり合った。

 お互いに矜持を賭けてぶつかり合う。そう感じ取れた。


 それは千を超える言葉よりも雄弁だ。

 お互いがお互いに本気で、ぶつかり合ったのだから。


 教師とか、生徒とか、試練とか、そういったものを全て忘れていった。


 勝ちたい。その一念だけが最後に残った。

 だからこそ俺はこんなにも貪欲に勝利を欲していたのだと思う。

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