第137話 オリエンテーション 21

「あれか」

「で、あろうな」


 俺とゴードンはその建物に入る。

 観音開きの扉は施錠されていなかった。

 中は涼しい。外より三、四度温度が低く感じられる。これも恐らく魔法だろう。


 室内も煉瓦と石だ。

 一本道の廊下。五メートルほどですぐに別の扉が現れた。


 その扉を開ける。

 眼前にあったのは闘技場だった。

 部屋の中はやや擂鉢状に下がっている。そこに椅子が円形に並べられていた。それが数列ある。


 中央には八角形のリングがあった。大きさは十五メートルほどか。

 土俵やボクシングのリングよりもでかい。

 八角の頂点にそれぞれ支柱があるがロープは張られていない。


 地面は砂だ。


「ん?」


 ここで初めて俺は気付く。

 血の匂いだ。

 このリングから血の匂いがした。

 同時に血腥い呪いのような、人の怨嗟のような気配も感じた。

 冷汗が頬を伝う。


 外観は教会のような姿をしながらその中は血の匂いと人の怨みが立ち込める闘技場。

 これを作った人間の倫理性を疑わずにはいられなかった。


 俺たちが入ってきた入り口の真反対には祭壇のようなものが設置されていて、その上の壁にはステンドグラスが張られていた。

 祭壇は宛ら、この呪いに救いを求めたのか。だとしたらとんだ皮肉なのかもしれない。


 その祭壇の上のステンドグラスからは、荘厳に太陽光が降り注ぎ、虹色の光となってリングに降り注いている。

 リングの左右には花道のような道があり、それぞれ右と左の部屋に続いていた。

 動線を考えるにあそこから闘士が登場するのか。


 俺は建物内を見渡す。


「あ! アイガ! こっち、こっち」


 不意にクレアの声が響く。

 俺がその声の方を見ると、クレアがこちらにむかって手を振っていた。

 俺とゴードンはそちらに赴く。


 クレアは今日も水着だ。しかし、その上に薄いピンクのパーカーを羽織っていた。そのパーカーの前は開けており、可愛い水着が見えている。


「おはよー、アイガ、ゴードン君」

「おう、お早う」

「お早う」


 俺達はクレアに促され隣に座った。


「何か飲む。オレンジジュースとかあるよ」


 クレアが座る椅子の横には氷の塊があった。それは丁度クーラーボックスくらいの大きさだ。中央は刳り貫かれそこにジュースの入ったコップが置かれていた。


 コップには蓋がない。その上で横を向いていた。それでいて漏れていないのだ。コップの底には魔法陣が描かれている。

 このコップ自体に何かしらの魔法が掛かっているのだろう。

 こういうものもあるのか、本当に魔法とは便利なものだ。


 もう、この程度では俺は驚かなくなっていた。驚かない自分にある意味で一番驚いている。


 俺はクレアからオレンジジュースを貰った。

 ゴードンはお茶を所望する。


「ロビン君大丈夫?」

「いや、まだ会えてないんだ。リチャード先生が言うには午後から試練に参加するらしいけど……」

「そうか。心配だね。大丈夫だといいんだけど」

「あぁ」


 クレアがロビンを気にかけてくれているのはなんだか嬉しかった。


 俺はまた辺りを見る。

 サリーとジュリアがいなかったからだ。


「クレア、サリーとジュリアは?」

「ん? サリーはいるよ。ジュリアは別メニューだけど……何? 二人に会いたかったの?」


 クレアの目に何か負の感情の色が混じる。

 背中に汗が流れた。


「ち……違うって。こっちで特別科の試練があるからって言われたのに二人がいないのがおかしいな、って思っただけだよ」


 我ながらたどたどしい。


「ふ~ん」


 クレアの目が怖い。


 チラリとゴードンを見ると、さっと目を背けた。

 おい、助けてくれよ。


「あらあら、美味しそうね。お三人さん」


 不意にテレサ先生が現れた。

 この人の登場は毎回ドキリとする。


「クレアさん、私にもジュースを頂戴。その緑色のやつ、私のなのよ」


 氷の箱の中にあるひと際気持ち悪い緑色のジュース。健康には良さそうだが、見た目はかなりマイナスだ。

 それをクレアがテレサ先生に手渡す。


 室内ということもあってかテレサ先生は、今回マスクもサングラスも帽子もしていなかった。

 足元がちらりと見えたが花柄のサンダルを履いている。


 しかし背が高い。

 サンダルでありながら昨日と身長が変わらないということは、テレサ先生は素で百八十五センチ以上あるのだろう。


 先生は受け取ったジュースに軽く人差し指をあてた。瞬間、底の魔法陣が淡く光る。

 そしてそのコップを口に運んだ。あれで飲めるようになったのか。


 テレサ先生は俺達の後ろの椅子に座った。


「アイガ君、ゴードン君、ようこそ特別科の試練へ。まぁ試練の内容は今から始まるから見てて」


 テレサ先生がそう言うと、突然熱気が部屋の中に溢れた。


 それは鬼気迫る覇気を伴っている。

 俺はリングに釘付けになった。


 そして。

 俺達の右手側にあった扉が開く。


 そこからサリーが現れた。

 サリーは水着ではなく、制服だった。

 ローブが風に靡いてはためく。


 その顔は凛々しく勇ましい。

 ソバージュの髪を後ろで束ね、赤い眼鏡でリングを睨む。宛らジャンヌダルクのようだ。


 続いて、反対側の扉が開いた。

 そこから現れたのはデイジーだ。


 デイジーも水着じゃない。鎧? あれは……

 王都護衛部隊の鎧だ!


 嘗て俺達を救ってくれたハンネさんが来ていたのと同じ右肩と右手、胸と腰に白銀の鎧を付けたあの装束。


 さらにデイジーは右手に黒い両刃の剣を持っている。

 表情も鋭い。


 明らかにいつもとは違う。それは戦う者の貌だ。

 戦慄が走る。


 二人の登場に空気が完全に変わった。

 リングの中央まで歩く二人。砂地がじゃりじゃりと二人の足に合わせて音を奏でる。


 二人は充分な間合いを取って止まった。そしてその視線が交錯する。


「さぁ始まるわ。試練の名前は『手合わせ』。教師対生徒の本気の闘いよ」


 俺は耳を疑った。

 本気の闘い?


 俺はパーシヴァル先生との封魔戯闘を思い出す。完膚なきまで叩きのめされたあの苦い記憶が脳を駆け巡った。

 それと同じことが今から行われるのか。


 いや、封魔戯闘は魔法を使わないが、今回は違うはずだ。ならば俺とパーシヴァル先生のときよりも苛烈になる。


 異常とも思えるこの学園の常識がまた俺に叩きつけられた。

 リング上の二人の闘気はフルスロットルで加速していく。


 それに呼応してか、一層血の匂いが濃くなった気がした。そして、怨嗟の声もまた耳鳴りのように響き渡っていた。

 これはきっと気のせいじゃないはずだ。

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