第129話 オリエンテーション 13
『危険です』
その言葉に彼女の優しさを感じた。
本当はもっと汚い言葉を使いたかったのだろう。
恐ろしい言葉で俺を詰りたかったのだろう。
でも、彼女はしなかった。
きっとそれはサリーが優しいから。まだ俺を人と認めてくれているのかもしれない。
だから危険という曖昧な表現で止めてくれたのだろう。こんな化け物相手に。
サリーは右手を俺に向ける。
後ろのアルラウネが小さく吠えた。
そして、地面から無数の刃が俺に向けて射出される。
俺は構えを解いた。
魔人の証明も氣も全て解除した。
無数の刃は無防備な俺を突き刺す。
だが、全て露となって消えていった。
「何故ですか! 何故! 反撃なさらないのですか! 今も! どうして! 構えを解いたのですか!」
サリーは泣いていた。もう隠そうともしていない。
「俺の矜持だ。例外はあれど、俺は女とは闘わん。時代錯誤と言われても曲げるつもりはない。ましてや、殺意なき攻撃をしてくる……泣きながら闘う女性と闘う拳はもっていない」
そうだ、サリーの攻撃全てに殺意がなかった。
怒気はあった。闘志もあった。敵意もあった。
だが、殺意が無かった。
明確に人を殺そうとしていない攻撃だ。
そんな攻撃なら大したことはない。
それに泣きながら闘う彼女の姿は余りにも儚く、悲しく……
まるで殉教者のようで居た堪れなかった。
「う……う……どうして……」
サリーはそのまま崩れ落ちる。
後ろにいたアルラウネは悲しそうな顔のまま消滅した。
暫く彼女は泣いていた。
大粒の涙が、枯れそうな声が、慟哭が、ウィー・ステラの森に木霊する。
やがて泣き疲れた彼女はその場で俺に頭を下げた。
「本当に……申し訳ありませんでした……謝って済む問題でもないのですが……」
「やめてくれ。俺は何とも思っちゃいない。それにサリーが俺をよく思わないのもわかる。化け物が急に友人の知り合いだといって現れたんだからな」
化け物。
その言葉にサリーはまた泣きそうになってしまった。
あまりこのワードは言わない方がよさそうだ。
「貴方は……クレア様が言っていた通りの人でした……私が攻撃してもなお、貴方は一度も私に反撃なさらなかった。私は恥ずかしいです。人を見た目で判断する己の浅はかさが」
サリーの目からはまだ涙が零れる。
彼女は本当に後悔していた。
だが、俺は気にしていない。
俺だって友人の知り合いだと化け物が突然現れたら、同じ行動をとったかもしれないのだから。
それほどサリーはクレアのことを想ってくれているのだ。
寧ろ嬉しいくらいである。
クレアにこれほど素晴らしい友人ができたことに。
それに彼女の攻撃にも迷いがあった。
全ての攻撃が俺に致命傷を与えていない。殺傷能力の高い金属魔法を使っていながら俺が受けたダメージは掠り傷程度なのがその証拠だ。
「本当に申し訳ありません」
サリーはまだ謝罪を繰り返す。きっと彼女自身の心がまだ彼女自身を許していないのだろう。
「謝るのはもういいよ」
「ですが……」
「被害を受けた俺がもういいと言ってんだ。それでいいじゃないか。それでもまだ……蟠りがあるなら……今度旨い飯でも奢ってくれ。それでいいや」
「うぅ……ありがとうございます……」
サリーはまた涙を拭う。
昔からそうだ。俺は女性の涙に弱い。
クレアのときもそうだ。
泣いている女性がダメなんだ。
古臭い考えだと自分でも思うが女性には笑っていてほしい。それだけなんだが。
暫く沈黙が流れた。
「もう少し……もう少ししたら……話すよ。何故俺が化け物になったのか、を。必ず。その時にまた判断してくれ。俺がクレアの横にいるのが相応しいのか、どうかを」
サリーは赤く腫れた眼で俺を見た。
その視線は強く、その瞳は熱く燃えていた。
もう憂いはない。
「わかりました……その日を楽しみにしております」
サリーはそう言って俺の両腕に触れた。
「せめてものお詫びです」
少し、ドキッとしたが、腕の傷が綺麗に癒えていく。
回復魔法だ。
魔力のない俺の腕が治っているのでこれは再生魔法だろう。
傷は完全に癒えた。
「ありがとう」
「いえ……ただ……すみません」
「え?」
サリーは突然俺に向かって転んできた。
その際に足を絡めとられたので一緒に転んでしまう。
俺の下にサリーがいた。そんな状態になってしまった。
この距離で見る彼女の顔はなんとも美しい。
「すみません。やっぱりちょっと悔しいので八つ当たりしますね」
「ん?」
サリーの言葉の意味がわからなかった。
その時、後ろに気配を感じた。
振り返ると、そこにいたのはクレアだ。
「あ……」
「何しているの?」
全く抑揚のない台詞だった。
しまった。
サリーを見るとチラッと舌を出している。
やられた。
「待て! クレア! これは! 違う!」
「何を……慌てているの?」
瞬きを一切しないクレアが一瞬で距離を詰めてきた。
その背後に怒りを具現化したような炎の幻が見える。これは怯えが造る幻だろう。
やばい。やばい。
本能が訴える。
しかし……
もう……間合いだった。
これは……やっぱりダメだ。
完全に目が、据わっている。
激怒されていらっしゃる。
「クレア……」
「いつまで! そうしてんのよ! アイガ!」
強烈な右ストレートが俺の顔面を捉えた。
目の前に幾多の星が飛ぶ。意識が一瞬で遠のいた。
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