第118話 オリエンテーション 2

「ほら、クレア様。いつまで隠れているんですか」

「う……うん」


 クレアがサリーに促されてひょこっと前に出てきた。

 赤銅の髪が後ろで束ねられている。

 彼女が着ていたのはピンクのビキニだった。フリルがついていて女の子らしい。下はスカートのような形だった。


 あぁ、可愛い。

 その言葉以外出てこない。


 透き通るような、それでいて触れてしまうだけで割れてしまいそうな、繊細なガラス細工を思わせるクレアの素肌にそれはよく似合った。

 ダイヤモンドは人の手でカットすることで原石から宝石に進化する。


 それと同じだ。

 水着を着ることでクレアの美しさが、可愛さが確固たるものになるのだ。


「どうかな……アイガ……」


 やや上目遣いで問うクレア。

 あぁもう思い残すことはない。

 塵埃ほどの未練も悔いもない。

 例え、ここで死のうとも……


「アイガ君! 大丈夫!?」


 横でロビンが俺を揺さ振る。

 それで俺は正気を取り戻した。

 危なかった。危うく天に召されるところだった。


「あ……あぁ、大丈夫だ」


 俺は心で『心頭滅却』と呟く。

 心を強く保たなくてはこの僥倖に敗北してしまいそうになるのだ。膨大な幸福の荒波で幸せ死しそうだった。

 そんな言葉があるかどうかは知らないが。


 クレアの水着姿をもう一度見る。

 あぁ何度見ても美しい。

 眼福である。


「ん?」


 そこで俺は気付いた。


 そうだ、クレアの腹部。

 そこは嘗てブレード・ディアーに抉られた疵があるはずだ。

 俺が敗北したせいでクレアが負ってしまった傷。

 それに気づいて俺の心に楔が穿たれた。


 つい、視線がそこに向く。傷跡が残っているかを確認するために。


「ちょっと! アイガ! 変なとこ見ないで!」


 俺の視線に気づいてクレアが自分の腹部を手で隠す。


「いや! そんなつもりじゃないんだ」


 俺はつい弁明を試みるがあまり言いすぎてもおかしいと思い、謝罪だけに止めた。

 クレアはまたサリーの後ろに隠れてしまう。


 しまった。

 まだ足りないのに。

 俺は反省する。


 しかし……

 何故だろうか。この違和感。

 俺は過去に一度、アクシデントではあるが、クレアの半裸を垣間見た。


 その時の記憶と今、目の前にいるクレアの姿が合わない。

 それが何故なのかがわからない。

 ただ……それを問いただしてはいけないのはわかる。あと、何故か脳内の奥の方から『絶対に聞くな』と本能に近い警報も鳴り響いていた。

 俺はこの疑問を心にしまうことにする。


「アイガ君、すごーい」


 不意に俺の右腕に柔らかい感触が。

 それは程よく、そして優しい。

 心が柔和になる。

 振り向くとピンクと水色の髪をいつものようにツインテールにしたジュリアがいた。その豊満な胸を俺の右腕に絡ませて。


「ジュ……ジュリア……」


 つい視線がその胸に行く。

 抗えない。

 いつもは着崩しているとはいえ、制服の上からだ。


 ところが今は違う。

 水着なのだから。

 白い陶器を思わせる肌によく映えるオレンジのビキニを着ていた。


 豊満な胸が強調されている。

 さらに横の部分がブーツのように紐で括られていた。艶めかしいが彼女らしいといえば彼女らしい。


 ただ水着の色のオレンジは健康的なはずなのにジュリアが着ているとどこか妖艶さが醸し出される。

 太陽を彷彿とさせるオレンジの色合いが、バーで出されるカクテルの色に見えてくるのだ。


 その水着のままで右腕に絡みつく胸の魔力たるや……

 抗うことができないのは自明の理。


 さらに今回は直接的な感触が俺の右腕に伝う。

 全神経が容易くそちらにいってしまっても仕方のないことだ。


「アイガ……見すぎ……」


 地獄の淵から轟くようなクレアの低い声に俺は慄く。

 視線をクレアに戻すと、その眼から純然たる怒りが俺に向けられていた。

 俺は咄嗟にジュリアから離れる。

 そして心で『心頭滅却』と繰り返した。


「も~怖いなぁ~枯れ果てた大地の人は……」

「だ! 誰が! 枯れ果てた大地よ!」


 二人の視線が交錯する。その間には火花がバチバチとなり始めていた。


「だいたい、何枚パッド仕込んでんのよ。あんたがそんなに胸あるわけないじゃいない。枯れ果てているんだから」

「な! だから! 誰が! 枯れ果てているのよ! それに……パッドなんか……しこんでないし……」


 怒るクレアの声がか細くなった。


 パッド……

 それは俺でもわかる。確か女性が胸にいれるものだ。


 そうか!

 それでクレアは胸を少し大きくしていたのか。

 だから脳内のクレアと現実のクレアで乖離があったのか。


 合点がいった!


「アイガ……何か失礼なこと考えてない?」


 突然クレアの射貫くような視線が俺に向いた。


「い……いえ、何も……」


 そう答えるしかなかった。

 うん? この世界の魔法使いはやっぱり読心術が使えるのか?


「とにかく! 私はそんなもの使ってません! これは天然ものです!」


 胸を張るクレア。

 徐に俺の脳裏に『虚勢』の二文字が浮かぶ。が、すぐにそれを忘却の彼方へと送った。


「天然って……あんたは偽装でしょうに」

「な!?」

「それに天然ってのは私やサリーみたいなのをいうのよ」

「え?」


 クレアの視線がサリーに向いた。

 サリーはバツが悪そうにその視線を躱す。


「サリーは多分Cくらいじゃない。それもパッド無しで」


 ジュリアの一言にクレアの顔が少し青くなる。


「嘘……サリー……パッド入れてないの? え? C? どういうこと? 裏切ったの?」


 クレアの言葉に悲壮感が籠る。


「いや……その……これに関しては裏切るとか、そういうものでは……」


 サリーは困り顔で蟀谷を掻いた。


「仕方ないことよ、クレア。私達は肥沃な大地だから。それにまだ私達ってあんたと違って成長中だし」

「はぁ!? 私だって成長してるわよ! 将来性なんて無限大よ!」


 クレアの言葉にジュリアはニッコリと笑う。

 その笑顔はあまりにも余裕だった。


「あのね、無限大の将来性は私達だけよ」


 そう言ってジュリアは自分の胸を両腕で寄せた。ひと際大きく見える。まさに圧巻だ。


「ぐ……」


 クレアから敗北を告げる鐘に似た呻き声が漏れる。

 それを見てジュリアはこの上なく満足そうだった。


「あ、アイガ君、因みに私はFカップだからね」


 そう言ってジュリアは俺にウィンクをした。


 F……

 Fか。A、B、C……


「数えてる? アイガ」


 クレアの視線が俺を貫く。

 そこには怒りのほかに仄かに殺意が混じっている気がした。


「いいえ……」


 背中から尋常ではない冷や汗があふれ出る。

 やっぱり読心術が使えるのではないか。

 そう思わずにはいられなかった。


 ふと、空気が変わる。まるで、潮が引いていくように。

 自然と全ての視線がそちらへ向いた。


 その衝撃たるや……

 俺は畏怖を覚えた。

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