第189話 不死鳥花-その四
気持ちいいくらいの晴天だ。雲一つない。
遥か高く拡がる空はどこまでも青い。透き通るほどの青。それは怖いと思うほどに淀みがなく澄んでいた。
一瞬、爽やかな風が吹く。春の終わりを告げるかのような風が、夏の匂いを伴って俺を撫でていった。
今日は土曜日。こちらの世界でいうところの第六日。
授業は休みで絶好の任務日和だ。
兄貴の来訪から二日経っていた。
シャロンの狼狽えた姿はあの日だけだったが今でも思い出すとほくそ笑んでしまう。自分の性格が歪んでいるとは思うがこの愉悦だけはやめられない。
思い出すだけで溜飲が下がる。
そして、昨日。
俺はもう一度シャロンに会っていた。
授業が終わった放課後。
いつもの如く、舞台は学長室だ。
「シャロン、貴様どうして五番小隊の隊員を引率者に選んだ?」
逢魔が時。
紫色の空、黒く澱んだ赤い日の光が部屋の中を染める。
そこで俺は壁に凭れながらシャロンに問うた。
「どうして、とは?」
シャロンはいつものように紅茶を飲みながら優雅に佇む。
甘ったるい匂いが鼻孔と脳を擽った。
「氣術の存在はいい。それは隠すつもりはない。だが、獣王武人は違う。外部の人間と接触する機会が増えればそれだけ露呈する機会が増えるということだ。何故、五番小隊を巻き込んだ。お前の権力ならもっと融通の効く子飼いを用意できたんじゃないのか?」
シャロンは未知の言語で呼びかけられたかのようにキョトンとしている。
それがまた腹立たしい。
「言っている意味がわかりませんね。別に露呈する機会が増えてもいいじゃないですか」
逆鱗というものがあるなら今、シャロンは俺の逆鱗を不躾に触ったのだろう。怒りの炎が燃え盛る。それでも俺はその怒りを飲み込んだ。
口の中に血の味が広がる。
「貴様……
シャロンはゆったりと紅茶を飲んだ。
西日がシャロンを妖しく照らし出す。
「別にいいじゃありませんか。というか、私は白日に晒してほしいくらいです」
「何!?」
飲み込んだ怒りが再び迸った。
こいつは本当に俺を苛立たせる。
「研究者としては己の研究の成果が発表されるのはこの上ない喜びですからね。貴方が何故か
「化け物の姿をか!?」
「化け物? あれは化身ですよ。進化の化身。決して化け物ではありません」
いつの間にか俺は壁から背を放していた。
拳を握り、氣がこの身に宿っている。
あとは獣化液を刺せばいつでも獣王武人を発動できる。
勝つイメージは湧かない。
嘗て挑み、敗れた記憶が蘇る。
それでも俺の中に蠢動する憎悪、憤怒が複雑に絡みながら溢れ出ていた。
拳に血が滲みだす。
「貴様……」
シャロンは一瞬笑い、紅茶の入ったティーカップを魔法で消した。
「止めておきなさい。また敗北するのも嫌でしょう」
窓が震える。
大気が痺れる。
殺意が蔓延る。
一触即発。
俺は既に臨戦態勢を終えていた。
「まぁいいわ。隠したいなら隠しなさい。五番小隊の方に……他人にバレたくないのなら。隠し通せばいいのよ。全ては貴方次第。獣王武人を使うも使わないも、貴方が決めなさい。そう使えない……も含めて、ね」
シャロンはニッコリと笑い、緊張していた空気を無理矢理戻す。
俺が慄くほどの強烈な闘気をもって。
圧倒的な力の差が俺を強制的に黙らせたのだ。
悔しい。そして自分が情けない。
例え、全てを差し出してもまだ俺はこいつに勝てないのだ。
己の全てを出し切ってもなお、まだ届かない。
だが……
いつか必ず……
その喉元を食い千切ってやる。
「どうしたの? アイガ……怖い顔してるよ」
不意に後ろから声を掛けられた。
クレアだ。
シャロンとの回想の中にいた俺は現実に戻る。
「いや……なんでもないよ」
俺は嘘くさい笑顔を顔に張り付けて応えた。
クレアはそんな俺の表情を見て、不思議そうな顔になっている。
「大丈夫? 体調悪い?」
クレアのその優しさが俺のくすんだ心を癒してくれた。
「心配ないよ。ちょっと緊張してるだけさ」
適当な言い訳だと、我ながら思う。
「緊張? アイガでも緊張するの?」
「するよ。こう見えても俺はナイーブだからな」
「ハハハ。ナイーブって。アイガとは正反対の言葉だよ」
よかった。
どうやらクレアの杞憂は消えたようだ。
そう、今から任務が始まる。
こんなどうでもいいことでクレアに心配を掛けたくない。
俺は軽く深呼吸をして気持ちをリセットした。
心の最奥に負の感情をしまう。
もう大丈夫だ。
任務に集中できる。
五番小隊の誰が来るのかは、わかっていない。
今日、落ち合いそのまま任務に赴くことになっているのだ。
だが、まぁ兄貴はもう来ないだろう。アマンダさんにきつくお灸を据えられていたのだから。
今、俺たちは学園の正門前にいる。
ここが集合場所だ。
俺、クレア、ジュリア、そして引率者。この四名で任務に挑む。
内容は『不死鳥花の採取』。
難易度はいつもより高い。
緊張はしていない。と、言ったがそれは嘘だ。
薄らと俺は緊張している。
きっとそれは獣王武人のこともあるだろう。
それ以上にランチャー・ベアの存在が大きい。
どうしても、俺の中でランチャー・ベアは思い入れがありすぎるのだ。
気負うのはよくない。それはわかっている。
わかっているのだが、どうしても心が逸るのだ。
「おまたせ~」
そんな折、ジュリアの声が響く。
俺は声がした方を向いた。
ジュリアの到着だ。
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