第188話 不死鳥花-その三
突如、学長室に来訪した兄貴はシャロンに軽く頭を下げ、クレアの隣にドカッと座った。
今、空いている場所がクレアの座る長椅子しかなかったのだ。
クレアはひょいっと腰を浮かせ端に寄る。
それはスペースを譲ったのではなく、嫌いな相手からパーソナルスペースを確保するための行動だろう。
実際、クレアの貌は無表情になっていた。恐らく不機嫌が限界値になっている。
ただ、兄貴はそんなこと微塵も感じ取れていないだろうが。
「アンドリュー隊長、時間は守ってくださいね」
「申し訳ないな、シャロン殿。道に迷ってしまってね」
シャロンの皮肉に兄貴は対して悪びれもせず、ケラケラと笑っていた。
そして目の前にある紅茶をグイっと飲む。それは元々クレアに用意されたものだ。
まぁクレアは手を付けていなかったが。
それにしても三つしかないティーカップを即座に己のものと思う胆力と粗暴さは横暴だが凄いとしか思えない。
クレアは無表情のままだった。
ところで……何故兄貴がここに?
そういえばさっき兄貴に会った時もシャロンに挨拶しにきたと言っていたが。
今の兄貴の雰囲気から察するに挨拶という感じには見えない。
それにどうしてこのタイミングで?
疑問が膨らむ。
「まぁいいです。さて話の続きですが、本来このレベルの任務は三年生が学園の教師を伴ってチームを組んで行ってもらうものになります。それほどの難易度ですが、貴方がたなら大丈夫でしょう」
シャロンは指を鳴らす。
瞬間、クレアの前にティーカップが現れた。同時にティーポットも。
クレアは「ありがとうございます」と謝意を伝え、そのティーポットから熱々の紅茶を用意されたカップに注ぐ。
仄かにレモンのような柑橘系の香りがした。
「問題は引率していただく教師の選定です。本来ならパーシヴァル先生にお願いしようと思っていたのですが、まほろばの件でパーシヴァル先生も現在、手が空いておりません。他の先生がたも多忙でこちらの任務の引率は不可能です」
シャロンは深く嘆息する。
嘘くさい演技に見えるが、それは本心に思えた。
「火急で任務は熟したい。しかし引率者が見つからない。困りました。これでは任務が行えません。が、妙案を思い付いたのです。丁度、レクック・シティに五番小隊が常駐部隊として赴任してきました。これも何かの縁。五番小隊の方をお一人……引率者としてお借りすることにしたのです」
教員の代わりに軍の人間を使うか。
シャロンのコネ在りきだが、凄いことを思いつくものだ。
そしてそれを実行するシャロンの力。
魔法だけじゃない。
こいつにはこうした権力という力も持っているのだ。
だからこそ厄介なことこの上ない。
「そういうこと! で! 俺が来たんだ。今回はなんと! 俺が引率者だ!」
兄貴は自信満々の笑顔でそう言い放った。
瞬間、全員が固まる。
あのシャロンも、だ。
「あ……貴方に頼んだのは引率者の選定で、なにも貴方自身が引率されなくてもいいんですよ……」
シャロンの眉が引きつっている。困惑と焦燥だろうか。これは演技に見えない。
ただ、俺も同じことを思っていた。
現職の王都護衛部隊隊長が不死鳥花の採取程度に引率だなんて……
だが兄貴は椅子の背凭れに凭れ、己の胸を自信満々に叩く。
「こんな面白そうなイベント、他の奴に任せられるかよ。俺がやるよ。それに五番小隊隊長自ら引率するんだぜ。今回の任務は成功したも同然だ」
シャロンが、がっかりした顔で項垂れた。
困惑と焦燥の色がさらに濃くなる。
シャロンのこんな顔が見られたのは僥倖だったのかもしれない。
愉悦が心に広がる。無意識に口角が上がっていた。
俺はそれを必死に隠す。
その時だった。
コンコン。
と、またノックの音が響く。
俺はシャロンの顔を見る。
シャロンは少し驚いたような顔をしていた。
どうやらシャロンも予期せぬ来訪者のようだ。
「え……と……今日は客人が多いですね。何方ですか?」
「クレスです。王都護衛部隊五番小隊副隊長、アマンダ様がお目見えになられました」
その言葉に兄貴の顔が固まった。
「どうぞ」
シャロンは少し息を吹き返したのか態度が戻っている。
扉を開けて入ってきたのは眼鏡をかけた女性だ。その後ろにアマンダさんがいた。
ちらりと兄貴の顔色を見ると蒼白になっている。
アマンダさんは部屋に入ると兄貴の後ろに立った。
クレスという人はそのまま部屋に入らず扉を閉めて帰っていく。
「失礼します。王都護衛部隊五番小隊副隊長、アマンダ・スタンフィールドです」
アマンダさんは丁寧に頭を下げた。
シャロンはにこやかな顔になっている。もう先ほどの混乱や焦燥は消えていた。
一方で兄貴はどんどん顔色が悪くなっている。
「この馬鹿が失礼しました。直ちにこれは回収させて頂きます」
「な! おい! アマンダ!」
「黙れ!」
慌てる兄貴にアマンダさんが鉄拳をお見舞いした。
脳天に金槌の如く降り注いだ一撃に兄貴は床に転がりながら悶絶する。
「お前はまた皆さんに迷惑をかけて! 何度言えばわかるんだ! 他人に迷惑をかけるな! それに! 隊長の仕事を全うしろ! ちゃんと仕事をしてから文句を言え! だいたい今も仕事をサボっているだろうが!」
正論による猛攻で兄貴は完全に意気消沈していた。
俺たちは目を丸くしながらその光景を眺めるだけだ。
「本当に申し訳ありません。引率者の件ですが、うちの部隊の人間を一名そちらにお貸しします。それで宜しいですか?」
「えぇ、構いません。元々そのつもりでしたから」
シャロンは朗らかに言う。その笑顔には偽りの色は見えなかった。
「手練れを用意しておきます。今回は本当に申し訳ありませんでした。後日改めてお詫びに伺います。それでは、失礼致します」
アマンダさんはまた頭を下げ、兄貴の首根っこを掴んで部屋を出ていく。
残った俺たちは嵐が過ぎ去ったかのような静けさのなか、呆然とするしかなかった。
ただ俺だけはシャロンの狼狽えた姿が見られたので満足していたのだが。
ある意味でグッジョブだったぜ、兄貴。
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