第187話 不死鳥花-その二
学長室の窓辺から斜陽の光が差し込む。部屋全体が橙色に染まる。
感慨に耽るには丁度いい。
ランチャー・ベア……。
懐かしい名前が出たものだ。
俺がこの学園に来る少し前……
卒業試験として屠った個体が……ランチャー・ベアだ。
あの魔獣を斃すことができたから俺は今、ここにいる。
ふと、気が付けば俺は己の拳を眺めていた。同時に蘇る。ランチャー・ベアの骨を砕いた感触が。
「特別上級魔獣ってなんですか? 普通の上級魔獣とは違うのですか?」
クレアがシャロンに問うた。
そうか、クレアは知らないのか。
ランチャー・ベアは通常なら『上級』に分類される魔獣だ。
背中にヤマアラシの如き棘を持つ。それを発射して獲物を串刺しにするのだ。
発射した棘はランチャー・ベア固有の魔法によって瞬時に生え揃う。
大型で獰猛。
俺がいた世界の熊よりも巨大だ。全長はだいたい三メートル弱。
尤も、大きさだけならアメリカ北部に生息しているグリズリーと同じかやや大きいくらいだが。
ただ、日本に住んでいた俺はグリズリーなんて見たことがないからテレビの情報でしか知らないのだけれど。
重量は恐らくそのグリズリーよりは重いはずだ。全身が殺戮に特化した筋肉で覆われているのだから。
凡そ五百キロが平均値だったはず。
宛らランチャー・ベアは重戦車だ。
背面の棘が砲台。放たれればミサイルの如き威力を持つ。
発射した棘で相手を殺し、その血肉を貪る忌むべき魔獣。
それが通常のランチャー・ベアだ。
それとは異なる特殊なタイプのランチャー・ベアがいる。
こいつは背面の棘を発射しない。加えて棘の再生能力も有していない。
それらの力を失う代わりに身体の性質そのものが通常の個体とは異なっていた。
体躯や重さは他の個体と変わらない。外見上の違いは殆ど無い。
脳味噌の造りだけが違うのだ。
獰猛さに加え、獲物を嬲る冷酷さを併せ持つ。
また魔法は単純な強化魔法しか使えないが、その分攻撃力に特化していた。
筋肉の作り方が違うのだろうか、その腕の一振りはまさの暴風。
通常個体ですらこの特殊な個体の前では容易く殺されてしまう。
大人と子供。それくらいの差があるのだ。
超級に分類される種はランチャー・ベア・ワイルドと呼称される。
そして、そのワイルドを俺は葬った。
ワイルドは稀にしか出現しない。が、その確率は高いほうだ。
通常のランチャー・ベアしかいないと思っているところにその個体が混じっていればそれだけで部隊は壊滅しかねない。
外見からの判別は不可能となれば対処の難易度は跳ね上がるだろう。
そう、外見から判別できない。
厄介この上ないこの理由が、ランチャー・ベアが特殊型上級魔獣というタイプに分類される理由だ。
シャロンはその説明を丁寧にクレアにしていた。
クレアは驚きながら頷いている。
ふむ……ヴォルタン火山にはランチャー・ベアが生息しているのか。
俺はシャロンの背後に映し出されているその火山を眺めた。
当然だが茶色の素肌が見える山は何も語らない。
「と、言うわけでその危険な魔獣がいるため中々難しい任務なんです。あとこれは直接的に関係がある話ではないのですが……」
説明を続けていたシャロンの口調が変化する。
俺の視線はシャロンに移動した。
「不死鳥花の採取は特に不人気なのですよ。民間ギルドで高額な依頼金を用意しないと請け負って貰えません。国営ギルドではまず無視されてしまうでしょうね。依頼者の方の事情としては早急に請け負ってほしい任務ですが、これがなかなか難しいものでして……金額だけが吊り上がってしまうのですよ」
シャロンはそう言って紅茶を飲んだ。
俺たちの眼前にもいつの間にか紅茶の入ったティーカップが置かれている。
仄かに桜の匂いがした。
湯気が漂うその紅茶をジュリアが一口飲む。
「実はね、不死鳥花って珍しいけど代用が効くものなの。それこそ安全に、安価に、代用できるものばかり。だから危険を冒してまで……ランチャー・ベアなんて厄介な魔獣を相手にしてまで手に入れるなんてやってられない、ていうのが普通の魔術師の考えなの」
ジュリアが突然説明してくれた。
その表情はどこか物憂いに見える。
「ジュリアは不死鳥花を知っているのか?」
「えぇ。まぁね」
ジュリアはまた紅茶を飲んだ。やはりその顔はいつもの彼女とは違うように見える。
また、彼女が発した『普通の魔術師』という部分が気になった。
「そうなのです。しかし、依頼をずっと置いておくわけにもいかない。と、いうことで貴方がたにこの不死鳥花の採取をお願いしたいのですよ」
シャロンはニッコリと笑う。いつのものように嘘くさい笑顔だ。
俺は脳内で内容を纏める。
ふむ、今回の任務の要件がだいたい理解できてきた。
採取の場所が火山という危険地帯。
加えて、外見から危険性が判断し難い……最低でも上級、最悪が超級に分類される魔獣が生息していること。
難易度が高いというのも頷ける。
さらに採取の目的である不死鳥花が不人気。危険を冒してまで手に入れるべきではないものときているのだ。
面倒だな。
それが率直な感想だった。
だが、やるしかない。
俺に拒否権など最初から存在しないのだから。
ん?
ここで俺は疑問が浮かんだ。
「おい、前に言っていたが本来学生がやる依頼は簡単なものじゃなかったのか? ランチャー・ベアが生息している火山にいくことが簡単なのか? 矛盾しているぞ。この依頼、おかしくないか?」
そう、確かにシャロンは言ったはずだ。
俺とクレアがアルノーの森に行く前に。
『我々のような優秀な魔法使いを育成する学園が国立ギルドにやってくる依頼の中から比較的簡単なものを国に代わって着手しているのです』
あのセリフが頭の中で木霊する。
俺の問いかけにシャロンは笑顔を崩さない。
「簡単ですよ。山に登って花を採るだけですから」
シャロンの言葉に冷酷さを感じた。
同時に怒りが薄らと迸る。
「ただ、まぁ、学生だけで行かせるわけではありません」
「何?」
学生だけじゃない?
どういうことだ。
そう疑問に思った時だった。
コンコン、とドアをノックする音が部屋に響き渡った。
「どうやら到着したみたいですね。お入りください」
ドアがガチャリと開く。
「あ!」
「な!」
俺とクレアは同時に驚く。
入ってきたのは……
「よぉ」
兄貴だった。
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