第114話 踊り子-その四

 俺の問いにロビンは少し考えていた。

 余りにも常識的な質問をしてきた愚者に優しく諭す言葉でも探してくれているのだろうか。


「うん。それこそ手足の再生なんて凄いお金が掛かると思うよ」

「そうか……」


 想定していた答えがそこにはあった。

 ロビンの口調は優しい。それなのに、そこにあった言葉は凍てつくほどに冷たいと感じた。 

 

 俺は無意識に溜息を吐く。


 やっぱり、金が掛かるのか。

 保険というものが存在した日本ではあまり考えたことがない。大怪我を負っても日本なら治療をしてもらえる。


 しかし外国は違う。

 アメリカなどでは大怪我をした場合、金が無ければ助からないと聞いたことがある。

 それと同じだ。


「稀にボランティアで大怪我をした人を治してくれる医療魔術師はいるんだけど一つ問題があるんだよね」

「問題?」

「結局のところ傷を癒す側の魔力が必要なんだ」

「どういうことだ?」


 俺の頭に疑問符が沢山浮かぶ。


「治癒にしても、再生にしても、触媒になるのは傷を治す側の魔力なんだよね。本人の魔力を触媒にして本人の身体を治すから。勿論、再生魔法の中には自分の魔力で相手の身体を癒すっていう魔法もあるけどそれこそクレアさん並の膨大な魔力か超複雑な演算式を熟せる技術があって初めてできることだからね。誰でも彼でもできるわけじゃない」


 クレア並の魔力。それはこの世界じゃあそうそうあることじゃない。

 それと並ぶ技術の壁。

 現実を知ると残酷な真実が笑っているイメージが沸き上がった。


「そうか……」


 小さく呟いた声がやけに耳に張り付く。


「まぁそうした問題を解決する方法がないわけじゃない。そこで登場するのが医療魔道具さ」


 全く聞きなれない言葉が出てきた。

 希望の灯が薄っすらと燈る。


「医療魔道具?」


 俺は前のめりになってロビンの言葉に耳を傾けた。


「医療魔道具っていうのは医療魔導士が造った魔道具なんだけど、これを医療魔術師やそうした知識を持つ人が使うことで魔力の消費を抑えたり、魔力の代わりそのものになったりする便利な魔道具だよ。ただ……」

「ただ?」


 ロビンの顔が曇る。

 希望の灯は容易く掻き消えた。


「医療魔道具はどれも莫大な費用が掛かるんだ。おいそれと使えるモノじゃないんだよね」


 俺は思い出す。

 ここへ来たばかりのあの時。

 ブレード・ディアーに敗北し生死の境をさまよった時だ。


 あの時、俺の身体にくっ付いていた大量の液体。

 あれか。

 あれが医療魔道具だったとは。


 それもそうだ。何故気付かなかったんだろうか。

 俺には魔力が無い。

 そのため俺は回復魔法を受けられない。


 だが、あの時俺は復活している。

 つまり、それはあの大量の液体のお陰。あれが俺の魔力の肩代わりをしてくれたのか。


 膨大な費用……

 俺はそんなもの払っていない。

 この国が用意してくれたのか?

 それともシャロンか?


 否、それはない。あの利己的な女が見ず知らずのガキにそんな金を出すわけがない。

 どちらにせよ、俺はその医療魔道具の恩恵に与かれた。


 それは俺が異邦人だからか?

 それともシャロンが本当に手配したのか?

 どちらにせよ俺はその高額な医療道具と誰かわからない医療魔術師の力によって回復することができたのだ。


 恐らく、それは奇跡。

 うまい具合に奇跡が起きた。


 しかし、彼女には……ミリアには……奇跡が起きなかった。

 そしてその結果があの義足。


『魔力とお金が無かったんです』


 その言葉の意味に向き合った時、俺の心に深い悔恨と激しい懺悔の波が押し寄せた。

 穿たれた穴が拡がる。

 周りにこびりつくそれはドロドロと溶けて、より複雑に絡まっていく。


 俺は無知で浅慮な己を呪った。


「大丈夫? アイガ君?」


 ロビンが心配そうに俺の顔を覗き込む。


「あぁ、大丈夫だ。ありがとう」


 そう振り絞るのが精一杯だった。

 この世界はアメリカと同じだ。

 いや、イメージの中のアメリカで、本当は違うのかもしれないが……


 結局この世界では大怪我をしたら金が、それも大金が必要になる。

 もしくはボランティアの医療魔術師を探すことか。

 いや、それも自身の魔力が乏しきれば意味がない。


 高額な医療魔道具に頼らざるを得ないがそれを捻出する費用が無ければ同じことだ。


 ロビンに礼を言って、俺は寮の屋上に出た。


 夜の帳が降りた天頂には曇天が覆い、月も星も見えなかった。

 遠くで今も稲光が奔り、地鳴りのような音が轟く。雨はまだ降っていない。


 この世界の現実が俺の心に何かを刻んだ。

 その何かは紛れもない事実であり、そして冷酷なまでに正しいものだった。

 また抗いようのない真実である。


「ふぅ……」


 無意識に溜息が漏れた。


 明日も休みだ。

 俺はもう一度あの公園に行くことを決めていた。

 非礼を詫びなくてはならない。絶対に。


 無知とはいえ、俺は彼女の心に土足で踏み込んでしまった。そして荒らした。

 悪意が無い悪行こそ最も性質たちが悪い。悪意が無いからこそ顧みることがないからだ。


 俺は猛省する。

 もっとこの世界を知らなければならない。

 常識を身につけねばならない。


 悔恨の中で俺はそう決意した。


「明日は雨……降るかな……」


 呟いた言葉が虚しく響き渡った。

 静かな夜に生暖かい風が吹く。

 心には依然としてシコリが残ったままだ。

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