第115話 踊り子-その五
天気は曇天。
生暖かい風がねっとりと吹いている。それはまるで
雨はまだ降っていない。
しかし、いつ降り出してもおかしくない空模様ではある。
俺は公園に向かって走っていた。
分厚い雲はそのまま俺の心に蔓延る悔恨と同じだ。
晴れない。
俺は懺悔を抱えながら、レクック・シティを目指す。
服はジャージだ。制服では走りにくい。
息を切らして、全身を駆動させ、走り続けた。
この苦しみは宛ら罰なのかもしれない。いつも以上に息が切れる。
やっとの思いで俺は街に入った。
息を整えつつ街の様子を眺める。まだ午前中の早い時間のためかいつもより人は少ない。
俺は市場を抜け、公園を目指した。
一抹の不安があった。もう彼らはいないのでないか、と。
だが、その思考を端に追いやる。今はそれを考えても仕方がない。
走り抜けた先、公園の入り口が見えた。そこにあのピエロがいた。
俺は安堵する。まだ、サーカスが駐屯していてくれたことに。同時に端に追いやっていた不安は露となって消えた。
俺はピエロに軽く会釈する。
ピエロは笑ってオーバーリアクションを返してくれた。
公園の中では、昨日と同じくサーカスの人たちが真剣にジャグリングをしている。
俺はミリアがいた場所を探した。
昨日は適当に広い公園を歩いていたため記憶があやふやだ。それでも迷うほどではない。
そうして、やっとミリアがいた場所に辿り着く。
ところが、彼女はいなかった。
昨日そこにあった場所は無人だ。
誰もいない。彼女が踊っていたと思われる形跡だけが悲しげに残っている。
俺は辺りを見渡した。
今日は場所を変えて踊っているのかもしれない。そんな小さい希望を抱いて。
だが、ミリアの姿は見つからない。
仕方なく俺は手当たり次第、公園内を探すことにした。
結局、彼女は見つからなかった。
温い風が俺を嘲笑うかのように撫でる。
遠くから雨の匂いがした。雲の隙間から雷鳴が響き渡る。
焦りが俺の額を汗となって落ちた。
俺は深呼吸する。
己を落ち着かせるために。
俺は走って入り口に戻った。
かなり距離があるが、そんなものは気にならなかった。
今だけはこの馬鹿でかい公園が少し恨めしい。
入口に戻るとあのピエロが子供に風船を渡しているところだった。
俺は呼吸を落ち着かせてからピエロに近づく。
「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが……」
ピエロは満面の笑みで振り返った。
「なんでしょうか?」
派手なメイクから表情は全く分からない。
「昨日、奥の方で踊っていた……ミリアさんは……今日はどこで踊っていらっしゃいますか?」
ピエロの顔が嘘くさく変化する。
「なんと! ミリアにファンが! これは大変喜ばしいことです!」
話が微妙に噛み合わない。
俺は少しイラつく。
「はい。もう一度彼女に会いたいのですが……」
ピエロの顔が悲愴になった。
見ていてわかる表情の変化。分厚い化粧を施した上でそれが見て取れるのは、凄いことなのかもしれない。
しかし、同時に苛立ちが燻る。
「それはありがとうございます! しかし……ミリアは今日おりません」
衝撃が走った。
雷が落ちたかのような気分だ。
そしてその心に落ちた雷はしこりを伝って俺の心そのものを震わせた。
それに呼応して懺悔と後悔が強く心を叩く。
「いない……スワロス・シティに戻ったのですか?」
「いえ、ミリアは次の街へ行く予定です。彼女は足が……不自由ですので皆とは別行動をとることが多いのです。次はですね……」
ピエロはポケットからメモを取り出した。
足が不自由。その意味はわかる。
彼女は両足が義足だ。
確かにここにいるメンバーと同じ行動は大変だろう。
だから別行動なのか。
俺は納得した。
また、自分の浅慮が妬ましい。俺は何処まで浅はかだ。
「クレー・タウンですね」
「クレー・タウン……」
それはガイザード王国の東の果てにある村だ。
村にしては大きいと聞いたことがあるが、一度も行ったことがない。何となく、あの辺にある、そんな知識しかない場所だ。
わかることは、このレクック・シティから途方もなく遠いということだけ。
眩暈がした。
実質もう彼女には会えない。
いや、いつかは会えるかもしれないし、金を使えば彼女に会いに行けるかもしれない。
ただ、少なくても今はもう会えない。
それが悔しかった。
「そうですね……でも、今はまだ馬車乗り場にいるかもしれませんね」
ピエロは唐突にそう言った。
顔は笑っている。
それは単純な笑みなのか、哄笑なのか。
「え?」
「馬車でクレー・タウンに向かうのですが、彼女の出立は正午前の予定です。まだギリギリ間に合うかもしれません……」
ピエロが話し終えるよりも先に俺は走っていた。
ありがとうと言葉を残して。
駆ける。
只管に駆ける。
肺の中の空気を全て吐き出すように、全身の筋肉が弾けるように、走った。
間に合わないかもしれない。ミリアはもういないかもしれない。
その思考を無理矢理叩き潰す。
脳に回す栄養すら無用だ。
俺は全ての力を走ることに注いだ。
この世界の移動手段は基本的に徒歩か馬車だ。
ワープ魔法陣はあるが通常の移動で使う人はあまりいない。
金が掛かる。魔力がいる。そして国に管理されている。
そうした点から使用を控える人間が多い。らしい。
ギルドからの依頼の場合は金の問題はクリアできる。ギルドの許可証があれば無償で使えるからだ。無論学校からの任務も同じである。
魔力の面は仕方ない。俺の場合は『マジック・ストーン』で代用している。
ただ、これは恐らく誰でも彼でも使えるモノではないのだろう。何故なら俺以外にこれを使っている奴を見たことがないからだ。
国に管理されている、というのを嫌うのは悪人だけか。まぁ気持ちはわからなくもないが。
それ以外にも理由はあるかもしれないが、基本的に普通の人間はあまりワープ魔法陣を使わない。それが事実だ。
そして魔力が乏しい故に義足になったミリアなら尚更ワープ魔法陣を使わないだろう。だから馬車で移動するのもわかる。
公園を出て、既に十分ほど走った。
息が切れる。肺が痛い。
筋肉に負荷がかかる。爆発しそうだ。
それでも俺は走り続けた。
後悔がエネルギーになって俺を動かす。
不意に鼻の頭に水が落ちる。
雨だ。
とうとう、降りだした。
だがまだ本降りではない。
二、三滴の雨が落ちていく。
地面が微かに濡れて色が変わった。そのたびに雨特有の匂いがする。
俺はそれらを忘れるように、さらに加速するように、走った。
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