第113話 踊り子-その三

 曇天の下、畦道を歩いて俺は寮に戻った。心にはシコリが残ったままだ。

 そのシコリが心を腐す。


 寮に入ると遠雷が轟いた。窓の外から見える空は灰色に時折青白い閃光が走る。

 雨が降るのだろうか?


 そんな思考はすぐに消える。

 俺の脳内では昼間見たミリアの見事なダンスがリフレインしていた。それは優雅で美しい踊りだった。感嘆に値するほど。

 今もまだその残影が俺の脳に残っているくらいだ。


 だが、最後にはミリアの言葉が、滓の如くこびりつく。


「あ、アイガ君」


 階段を上がると丁度、廊下にロビンがいた。

 何故だろうか、ロビンの顔を見ると心の滓が少しだけ薄まったような気がする。


「あ……ロビン、今いいか?」


 俺は咄嗟にロビンを呼び止めた。


「ん? アイガ君? ちょっと待っててね」


 ロビンは手に持つ分厚い本を一旦自室に置きに行く。


「済まない、ちょっと聞きたいことがあるんだ」


 ロビンをそのまま俺の部屋に招いた。

 中に入るとロビンは勉強机に備わっている椅子に腰かける。

 俺はベッドに座った。


「何? 聞きたいことって」


 俺は少しだけ考える。

 心には昼に会ったミリアの言葉がずっと引っ掛かっていた。


『私……魔力とお金が無かったんです』


 それで彼女は回復魔法を受けなかった。

 その時の笑顔が俺の心を穿った。


 そしてその穿たれた周りに何かがべっとりと纏わりついている。それが俺を苦しめていた。


 理由を知りたかった。

 彼女が回復魔法を受けなかった理由を。


 そうすれば俺の心に蔓延るこのシコリの謎が解けるかもしれない。

 俺の思考はそう帰結した。


「回復魔法について聞きたいんだ」


 ロビンはポカンとする。が、すぐに何か納得した表情になった。


「そうか……アイガ君、異邦人だから知らないんだね」


 ロビンの言うとおりだ。

 俺はこの世界の人間じゃない。だから無知だ。


 まぁ理由はそれだけじゃない。

 ド田舎で修練に全てを費やした結果、この世界で必要な常識が欠落している。

 その所為でこの世界のことを俺は知らなさすぎた。


「まず基本的なことなんだけど回復魔法には二種類あるんだ」


 ロビンの説明に俺は耳を傾ける。

 恐らくこれはこの世界の常識だ。

 しっかりと学ばなくてはならない。


「二種類?」

「そう、治癒魔法と再生魔法。それらを総じて回復魔法っていうんだ」

「治癒魔法? 再生魔法?」


 確かに聞いたことがある。

 俺は混同して同一のものだと思っていたが、実は違っていたのか。

 それすらも知らなかった。


「簡単に言うと、治癒魔法は自分の傷を治す魔法で、再生魔法は相手の身体の傷を治すんだ」


 ふむ。自分で自分を治すのが『治癒』。他人を治すなら『再生』か。


「成程」


 口から感想が漏れる。

 ロビンは説明を続けた。


「まぁ治癒も再生もそこから更に細分化することもあるけど、大まかにはその大別で大丈夫だと思うよ。それ以上は医療魔術師か医療魔導士の領分だからね」

「医療魔術師? 医療魔導士?」

「医療魔術師も医療魔導士も殆ど同じ意味合いだよ。回復魔法を専門にしている魔術師と魔導士のことさ。うちの学校だと保険医の先生は全員高名な医療魔術師だよ」


 医療魔術師、医療魔導士とは俺がいた世界でいう医者ということか。


「レオノーラ先生は確かにモロ医者ってイメージだもんな……」


 脳裏に白衣を着たレオノーラ先生が浮かんだ。


 ロビンは俺の独り言にポカンとしていたが、笑顔のまま説明を続けてくれる。


「回復魔法って本当に難しいんだ。演算式が複雑すぎて。それこそ専門職だから膨大な知識がいるしね。人体の構造を把握しているのは当たり前。そこからどうやれば治るかを計算しなくちゃならない。めちゃくちゃ難しいんだよね。下手をすればダメージになっちゃうし、なんなら発動すらしないなんてことのほうが多いし」


 確かに俺がいた世界でも医者になる人間は飛びっきり頭が良い人間が、勉学に励んでやっとなれる職業だ。

 こちらの世界でもそれは同じことなのか。


 ん?

 待てよ、アルノーの森で俺はクレアの回復魔法を受けた。

 あれはどういうことだ?


「なぁ、俺、クレアの回復魔法を受けたけど、クレアもそんな専門的な勉強をしているのか?」

「いや~多分してないと思うよ。どんな怪我を治してもらったの?」

「骨折……だったかな」


 俺は右腕を見る。

 アサルト・モンキーとの死闘で俺は右腕を砕かれた。

 獣王武人の副作用である程度治癒していたが最終的にはクレアの『愛しき炎』という名前の回復魔法で治してもらったのだ。


 そのお陰か古傷すらない。

 見事に綺麗な右腕だ。


「骨折程度なら多分クレアさんだったら演算式を飛ばして発動できると思うよ。クレアさんは大天才だからね。でもそれが限界だと思う。手足が千切れるとか臓器の再生とか、そこまでのレベルは絶対専門の人じゃないと無理だもの」

「そういうことか……」


 クレアの天才ぶりをここでも実感するとは。

 クレアだからできる。

 相変わらず凄い才能だ。

 しかし、クレアの才能に驚くことにも慣れてきてしまった。


 ついでに言えば、この世界ならある程度の大怪我も医療魔術師か医療魔導士がいれば治せる、ということか。

 この事実にも驚いてしまう。


「説明に戻るね。治癒にしても、再生にしても、魔力を消費する方が演算の処理をするからちゃんとした知識がないと魔法が発動しないんだ。まぁ受ける側が演算処理を肩代わりする方法もあるらしいけど、結局それってどちらかに専門的知識が必要なんだよね」


 医者が自ら怪我をしたから指示をする代わりに手術してもらう、そんな想像が脳内に起こった。

 回復魔法には専門職の知識が必要。

 それはわかった。


 この世界といえども、誰でも彼でも使えるという類の魔法ではないようだ。


「なぁ、ロビン……この世界で手足が切断された場合はどうするんだ?」


 俺はいよいよ疑問の核心をロビンに尋ねた。


「病院に行って、医療魔術師の人に治してもらうしかないだろうね。一般の人でそんな大怪我を治せる魔法使いがいるとは思えないし。でも切断された部位が無いと無理だと思うけど。流石に喪失した部位を新たに生やすなんてレベルの魔法はないからね」

「それには金が掛かるのか?」


 俺は玉のような冷や汗をかいていた。

 今までロビンの説明を聞いてとある可能性に気付いていたからだ。

 いや、きっとその答えに俺は気付いていたんだ。それに気付かないふりをしていたんだ。


 ミリアが言ったあの言葉に全ての答えがあった。


 しかし、俺は気付かないふりをしていたんだ。

 己の浅慮と後悔に眼を背けたんだ。

 そうであってほしくない、と今も思っている。


 つくづく俺は浅はかで愚かだ。

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