第112話 踊り子-その二

 俺は驚いていた。目も丸くなっていたかもしれない。

 突然、声を掛けられたからだ。


 声の主は先ほどまで優美に、優雅に踊っていたあの義足の美人だった。

 松葉杖を使いこなして見事に歩いている。


「あの……お隣……いいですか?」


 同じセリフだ。俺が呆けているので聞こえていないと思ったのだろう。


「あ! あぁ……どうぞ」


 俺は間抜けな声で遅れながら反応した。自分でも驚くほど愚鈍だ。

 彼女は微笑みながらゆっくりと俺の隣に腰かける。


「ふふふ、私の踊りどうでした?」

「とっても……素敵でした……」


 俺はまたたどたどしい言葉で返した。

 どうにも美人に弱い。

 顔が赤くなっていないことを願う。


「私、ミリア。ミリア・ジョンソンです」

「あ、どうも、俺はアイガ・ツキガミです」


 ミリアは笑いながらポケットから金貨を取り出した。それは俺が支払ったものだ。


「これ……あなたが置いてくれたものですよね?」

「えぇ」


 彼女の顔が近づく。

 馨しい匂いがした。


「何かの間違いなのかなぁって思ったんですけど」

「いや、間違いじゃないですよ」


 俺は即座に否定する。


「いいんですか? 金貨ですよ」


 ミリアは俺をマジマジと眺める。

 一応、ディアレス学園の制服であるローブを着ているので変な恰好ではない筈なのだが。


 あぁ、そうか。

 一般の学徒が金貨なんて高価な貨幣を置いたことが不思議なのか。

 やっと合点がいった。


「それは貴方の踊りに対する対価です。俺はその金額が相応しいと思ったから支払ったんです。嘘でもお世辞でもなく貴方の踊りは本当に素晴らしかった」


 俺の言葉にミリアはニッコリと笑う。

 美しい、眩しい笑顔だ。


「じゃあ、遠慮なく頂きますね。いや、私と同い年くらいの人がいきなり金貨なんてくれるから吃驚したんです。本当はそのまま貰っておいても良かったんですけど、なんか一応お話してみたくて」


 ミリアは金貨をしまうと無邪気に背伸びした。

 その動きすら綺麗に見える。


「その……素人が何を言うんだ、とお思いでしょうが……とても優雅でした。洗練されていて……とても美しかったです」


 ミリアは笑った。


「ははは。ありがとうございます。そんなに褒めて頂けて光栄です。まだ練習中の身なんで覚束ない踊りなんですけどね」


 謙遜、ではないだろう。

 俺からすれば完璧と思えるあの踊りも彼女からすればまだ発展途上なのかもしれない。


 俺は無意識にミリアの義足を眺める。

 義足は人の足と変わらない造りだ。

 しかし、木製であるため質感も色合いも人のそれとはやはり異なる。


「珍しいですか? 義足」

「あ! いや……その……すみません」


 俺の視線に気づいたミリアはそっと自分の義足を撫でた。

 そして俺は自分の無礼に気付く。


「ふふふ、別にいいですよ。これでご飯食べてますから」


 そう言ってミリアは義足をポンッと叩く。


「五年前に事故に遭ったんです。まぁ、今となっては生きているだけマシだと思ってますけどね」


 ミリアの表情には一切曇りが無かった。

 眼も、口も、何も変わらず、そう言い放った。

 表情が読めない。だからこそ、彼女の台詞はどこか台本を読んでいるような感じがした。


 だが、それは当たり前なのかもしれない。

 足を失うほどの事故を嬉々として話す方がどうかしている。

 本心を隠すことも当然。ただでさえ彼女はパフォーマーだ。

 他人を悲しませるようなことをするとは思えない。


 ただ、俺には気になることがあった。

 聞くべきか否か。

 一瞬の逡巡。


「不躾な質問ですが……回復魔法は掛けなかったんですか?」


 生まれつきでなく、事故なら回復魔法の力で足は治らなかったのだろうか。

 俺もこの世界に来たばかりの時、魔獣と戦って瀕死の重傷を負った。

 その時、回復魔法、厳密にはそれだけではないが、その恩恵によって回復したことがある。


 魔法の世界だからこそ俺は助かった。

 だからこそ何故、彼女は回復魔法を受けなかったのか。

 素朴な疑問だった。それがずっと気になっていた。


 ミリアは目をパチクリする。

 俺は変なことを言ったのかもしれない。

 言葉を吐いてから後悔が押し寄せた。


「え……と……ふふふ、そうですよね。そう思いますよね」


 ミリアは笑う。


「おーい! ミリア! 次の出番、頼むわ!」


 遠くからミリアを呼ぶ声が聞こえた。


「はーい!」


 ミリアは返事しながら松葉杖を使って立ち上がる。


「私……魔力とお金が無かったんです」


 意味が分からなかった。

 ミリアはそのまま松葉杖を使って持ち場へと帰っていく。


 途中で振り返り、器用に頭を下げた。

 松葉杖が手のようになり、舞台が終わった女優のように、華麗に頭を下げる。


「本日はありがとうございました。またの機会があれば良しなに。では」


 そしてミリアは持ち場へと引き上げて行った。

 彼女の笑顔が楔のように心を穿つ。


 俺は彼女の言葉を反芻した。

 夕暮れの空が俺の心と同じように分厚い雲が覆いだす。


「帰るか……」

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