第110話 仲直り

 俺はクレアと共に学校の廊下を歩く。 


 そこから見える外の景色はすっかり赤が混じった夕闇だ。夜に染まり切る直前の空はどこか物悲しい。


 既に授業は終わっている。

 静かな校舎を二人で歩いた。


 会話はない。が、重い空気というわけでもない。

 クレアはわからないが、俺は心地いいと思っていた。


 誰もいない校舎を二人で歩く。

 元居た世界で度々あったことだ。


 ただ、あの時は学校そのものが嫌いだった。

 自分たちを取り巻く全てが嫌いだった。

 

 特にクレアは全てを忌み嫌い、全てに絶望していた。

 俺は己の弱さを呪っていた。どう足掻いてもクレアを虐めから守れなかったからだ。

 

 そんな俺がこんな気持ちで学校を歩くことがあるとは。

 あの頃は夢にも思わなかったことだ。


 俺たちは普通科の、俺のクラスを目指していた。

 荷物を取るためだ。

 教室の前に立つとクレアがそっと廊下の壁に凭れる。

 待っているという意思表示だろう。


 俺は教室の扉を開け中に入る

 すると、そこにはロビンとゴードンがいた。

 他の生徒はもういない。

 二人だけだった。


「あ、アイガ君大丈夫?」


 ロビンが立ち上がり、俺の下へ駆け寄る。


「ん? あぁ大丈夫だ。それより二人とも残っていたのか?」

「あぁ、アイガが目を覚ますまでいようと話していてな。良かった。大事ないようで」


 ゴードンが俺の荷物を持ちながら、ロビン同様こちらへ来る。

 そして荷物を手渡してくれた。既に帰宅の準備が済ませてあった。


 不意に涙が出そうになる。

 まさか俺のために残っていてくれたなんて。


 やっぱり友達とはいいものだ。


「すまん、心配かけたな。帰ろうか」


 涙を気合で我慢し、震える声を誤魔化して俺は笑顔で応えた。


「うん」

「うむ」


 三人で廊下に出る。

 そこでゴードンはクレアと目が合った。

 クレアは黙って窓の景色を眺めている。

 夕日に照らされたその顔は美しくも儚い。


「あ……クレア殿もおられたのか」

「えぇ」


 一瞬、変な空気になった。

 ロビンもそれを鋭敏に感じたのか、少し戸惑っている。


 ゴードンは暴走した時、俺を襲った。その場にクレアもいた。

 その蟠りがまだあるのだ。


 俺はゴードンのことをクレアに説明したし、今は友人であるということも伝えている。

 加えて、ゴードンもクレアに直接謝罪している。

 

 クレアはその謝罪を受け入れた。

 しかし理解と納得は別物だ。

 理解してくれてもクレアは納得していないのかもしれない。


 ぎこちない空気の中、どうしようかと思いながら俺達は校舎を出た。


 夕闇は青の濃度が濃くなっている。

 星がチラチラと輝き始めていた。


 誰も何も話さない。

 校舎を出ても四人には重い空気が纏わりついていた。


 もうあと少しで学校を出るという時だった。


「う~ん、やっぱりそうだよね」


 クレアがそう呟いた。

 空気が一瞬で冷えていく。


「ねぇ、ゴードン君」


 クレアがゴードンを呼び止めた。

 全員の足が止まる。


「何か?」


 少しドキリとした表情でゴードンがクレアの方を向いた。

 その表情は硬い。ゴードンは緊張していた。

 そして俺も緊張している。

 恐らくロビンも。


「さっきから余所余所しいわ。空気も重いし。やっぱりこういうことはさっさと終わらせましょう」

「う……うむ……終わらせるとは?」


 クレアはゴードンの前に立つ。

 ゴードンは怯えたような表情だった。その姿が死刑囚のように見えたのは俺の錯覚なのだろうか。


「サリーもそうだけど、なんでカルテット・オーダーってそう硬いのかしら。しんどいわ。私のことは呼び捨てで構わないし、もっと普通に接してくれていいのよ。それにやっぱりゴードン君、ちょっと余所余所しいってか遠慮している感じがするのよ。それがしんどいのよ」

「しかし……その……我は……」

「あれは操られていたんでしょ。じゃあ、いいじゃない。前に謝ってくれた時も『いいわよ』って言ったけど。ちゃんと伝わっていなかったみたいね。さっき会った時も変な表情していたし」


 クレアの言葉にゴードンは黙って下を向いた。

 沈黙は肯定の代わりだ。


「もう一度言うわね。私は貴方を許すわ。それじゃあダメなの?」


 クレアの言葉が静まり返った全員の心に響く。

 それは漣のようにゆっくりとしかし、着実にゴードンの心の奥に届いた。

 そのためだろう、ゴードンの目から涙が溢れたのは。


「貴方がアイガの友達なら私とも友達になれるはずでしょ」


 そう言ってクレアは右手を差し出した。

 ゴードンは少し逡巡し、その手を握る。


「はい、これで私達友達ね」

「忝い」


 俺もつい貰い泣きしてしまいそうになった。

 ロビンは泣いている。


「しかし……言葉は代えられぬ。態度は変えるよう心がけるので許してもらえないだろうか」

「仕方ないわね。何で貴族ってそんなに硬いの? まぁ、サリーで慣れているからいいわ。じゃあこれからもよろしくね、ゴードン君」

「うむ。宜しく頼む」


 ゴードンは握手をしながら深く、深く、頭を下げた。

 気が付いた時、俺の目から一筋の涙が溢れた。


 俺はそっと後ろを向いて、それを拭う。

 爽快な風が心に吹いた。


 その後、クレアたちと別れ、俺は寮の自室に戻った。


 部屋に入ってすぐ荷物を置き、ベッドに寝転ぶ。

 そのまま天井を見上げた。


 本当に今日は色々なことがあった。

 感情が激流に揉まれたようだ。

 清々しい疲れが俺を包み込む。


 あぁ、これが学校生活か。


 充足感と幸福感があとからやってきた。

 眼を閉じ、心を落ち着かせる。


 俺は自然と笑っていた。

 敗北の苦みも自然と和らいでいる。


 楽しい。

 俺は心からそう思っていた。

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