第108話 封魔偽闘-その四

 クレアの前で負けたくないという虚栄心と、是が非でもこの猛者に勝ちたいという闘争心を糧に俺は立ち上がる。

 脳震盪の影響は甚大で未だ見える景色はグニャリと歪んでいた。


 奥歯を噛み締め、口の中に広がる血の味を堪能する。

 痛みが、苦みが、脳を一瞬だけ覚醒させた。


「ふん!」


 パーシヴァル教諭は再び渾身の右ストレートを打ってきた。

 俺は霞む視界の中でカウンターを撃つ。一瞬の覚醒がこの一撃を放つチャンスを俺に与えてくれた。


「せいや!」


 俺は『忌月』を放つ。

 一度目は不完全に、二度目は完全に敗れた技だ。

 だからこそ、効果がある。

 パーシヴァル教諭はやはり俺の攻撃など意に介さず、拳を伸ばす。

 俺は忌月のために握っていた拳を解いた。


「ん?」


 一瞬、パーシヴァル教諭の戸惑いが見える。

 俺は気にせず、そのまま両腕でパーシヴァル教諭の右腕を掴んだ。同時に飛び上がり、両足をその太い右腕に絡める。


 飛び付き腕十字だ。

『忌月』を捨て技にして一気にパーシヴァル教諭の右腕を極める。

 何度も失敗した技を後生大事に使い続けるほど俺は馬鹿じゃない。

『忌月』はただのブラフ。


 全ては勝つための作戦。

 俺は一気に身体を伸ばす。

 一撃でその太い腕にある骨を破壊するために。


「ぬぅ!」


 完全に極まったと思った。

 ところが、飛び付き腕十字が決まる瞬間にポイントを僅かにずらされたようだ。


 あり得るのか?

 この世界に飛び付き腕十字があるのか?

 対処法があったのか?


 雑念が脳を埋め尽くす。

 それでもまだ、俺も諦めていない。

 ずらされたポイントをこちらでもう一度決め直せばいい。


 お互いに膠着状態になった。


 じりじりとポイントを探り合う。

 長い時間だ。

 きっと、本当なら数秒から十数秒程度しか経っていないと思う。


 だが、技を掛けている俺はもう何時間も腕を決めているような気分だった。

 疲労が、痛みが、俺の身体を蝕む。

 口の隙間から血が滴った。

 それが地面に落ちる。


 パーシヴァル教諭の腕からも血が流れる。

 それも地面に落ちた。

 赤い血と黒い血が地面を染める。


「ちぃ!」


 パーシヴァル教諭はいきなり右腕を振り上げた。

 片手一本で俺ごとその太く逞しい腕を持ち上げたのだ。


 強化魔法は使っていないとするならこの男の筋量とパワーはどうなっている?

 パーシヴァル教諭も化け物ではないか。


 俺はそんなことを考えながら次の技を練る。

 このままなら俺は面に叩きつけられて敗北してしまうだろう。

 長い膠着で脳震盪のダメージは抜けた。


 これは俺にとってもチャンス。そして最後のチャンスだ。

 俺は飛び付き腕十字を解除した。


 この瞬間、俺は二メートル近くあるパーシヴァル教諭より高い位置にいた。

 別に狙ったわけじゃない。

 好機がそこにあっただけだ。

 ここに、俺は全てを賭ける。


「宵月流殺法術! 『華月禍刃かげつかじん』!」


 俺は右と左で拳を握り、それをそのままパーシヴァル教諭の鎖骨目掛け振り下ろした。

 無論、鎖骨を砕く勢いで。


 しかし流石はパーシヴァル教諭。瞬時に身体を前傾姿勢にして打撃のポイントを鎖骨でなく、両肩へと移行させる。


 だが、俺の拳から氣が流れた。

 瞬間、パーシヴァル教諭の背中から黒い血が噴出する。

 氣外しを背中で行ったのだ。


 そこまで器用なことができるのか。

 俺は慄く。


 だが、『華月禍刃かげつかじん』はまだ終わってない。ここからだ。


 両肩に落ちた拳で相手の両肩をホールドし、俺は両足と腹筋に力を込めた。

 両足は折りたたまれ、膝を突き出す。

 その両膝がゴルフのスウィングのような軌道でパーシヴァル教諭の顔面を狙った。


 この『華月禍刃』は宵月流殺法術裏の型『月下美人』の表の型の名前でもある。

 つまり『必殺』の要素を抜いた比較的安全な技だ。

 安全と言っても決まりどころが悪ければ死んでしまうのだが。

 今の俺はそこまで気にしていない。


 勝つ。

 それだけだ。


 大槌の如き俺の蹴りがパーシヴァル教諭の顔面を捉えた。


「しゃあ!」


 決まったと思った。手応えもあった。だから雄叫びを口にした。


 ところが、次の瞬間俺の右足はパーシヴァル教諭の左手によって握られていたのだ。


 俺はふるえる。


 そのまま勢いよく地面に投げ飛ばされた。

 技術もなにもない。

 単純な力任せの投擲。

 硬い地面に俺は背中から落ちる。


「がはぁ!」


 魔人の証明が無ければ意識を刈り取られていただろう。


 その上で、肺の中の空気が一瞬で無くなった。

 肉体が激痛に支配される。

 再び敗北の二文字が脳裏に浮かんだ。


 それでも、クレアの前で無様な姿は見せられない。

 また俺は立ち上がる。


 しかし……

 目の前の光景が歪んでいた。

 天が地に、地が天に。


 次の瞬間、頭部に強い衝撃が……

 意識が……

 消えかける……


 攻撃されたのか?

 わからない……


 今、俺は立っているのか?

 座っているのか?

 寝転んでいるのか?

 痛いのか?

 痛くないのか?

 何もかもわからない……


 ただ、それらは全部余計なことだ。


 パーシヴァル教諭はどこだ?


 まだ精神は折れてない。

 闘争心は消えてない。


 不意に、突然、パーシヴァル教諭が眼前に現れた。


 最初からそこにいたのか?

 急に現れたのか?


 どっちでもいい……

 迎撃を……

 俺は構え……る……


 俺は……

 負け……て……ない……

 ……


 まだ……

 まだ……

 ……


 ク……レ……ア……

 ごめ……

 ……

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