第184話 兄貴の置き土産

 授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。

 同時に溜息が出る。


 任務終わりから疲労が消えず、この身に圧し掛かっていたのだ。

 授業から解放された瞬間、自然と溜息が出ても仕方がないというもの。


 澄み渡るような青空とは裏腹に俺の心はどんよりとした曇り空だ。

 

 昨日、レクック・シティにて兄貴と劇的な再会を果たした。

 これは本当に喜ばしいことだ。

 俺が師匠の下で修業をしていた時から慕っている兄貴と久しぶりに出会えたのだから。


 兄貴は出会った頃から既に王都護衛部隊の隊長だった。が、その時はまだ東方警備の任に就いていなかったため二、三か月に一回は会えていた。

 しかし激務である東方警備を任されてからは、とんと会えなくなってしまったのだ。


 それがまさかあんな形で再会できるとは。

 胸を打つ感動は一入ひとしおだった。

 涙が出てもおかしくないほどに。


 だが……


 兄貴のデリカシーのなさがそれを搔き消した。

 クレアに余計な一言を残しっていたのだ。


 まさに爆弾。

 途方もない爆弾のスイッチを起動したまま去っていった。

 俺はその爆弾が起爆しないように心血を注いだ。全神経を使って。


 あの後、機嫌が悪くなったクレアの機嫌を取り直そうと躍起になり、結果疲れたのだ。

 任務の疲労も重なって……

 本当に疲れた……


 最終的にクレアはご機嫌で家路についてくれたが、俺としては疲労が汚泥のように残っただけだった。


 その状態で今日授業を受けたのである。このコンディションで。

 自分で自分を褒めたいものだ。

 それ故の溜息なのである。


 そして、既に学校は放課後だ。

 クラスメートたちは散り散りに中間テストのために自習をしだす。

 ロビンは大図書館、ゴードンは寮の自室で、勉学に励むそうだ。

 実に素晴らしい。


 学生の本懐を全うするクラスメートたちに賛辞を送りつつ、俺は重い腰を上げ学長室に向かう。


 新たな任務だ。


 ただ、ここ最近は手紙でのやり取りに終始していたのだが、今回は学長室に来いと命令されていた。


 面倒くさい。

 正直、この状態であの女と相対しなくてはならないのが一番憂鬱だ。


 しんどい。

 その言葉以外無い。


 それでも行かねばならない。

 この任務が俺の試験免除の条件だからだ。


 教室を出て暫く廊下を歩いていると、クレアが壁に凭れていた。

 

 午後の暖かな日差しを浴びて彼女の赤銅の髪が輝いている。

 爽やかな薫風に靡く髪をかき上げ、中空を漂わせるオニキスのような瞳はどこまで深く、美しい。

 その姿はまるで絵画の如く。

 ずっと眺めていられる。

 そう思っていた。


「あ、アイガ」


 俺を見つけるなり、にっこりと笑いながら手を振るクレア。

 俺は顔が赤くなっていないか心配しつつ、クレアに駆け寄る。


「どうしたんだ、クレア?」

「アイガ、今から学長室行くでしょ?」


 クレアの言葉に俺はドキリとする。


「私もなんだ」


 そう言ってクレアは黒い封筒を取り出した。

 それは俺が持っているものと同一のものだ。


 任務を命令するときに使われる特別な黒い封筒。と、言っても特別なことはない。魔法具ですらない。

 中に任務の詳細が書かれているだけなのだから。


 今、俺は目を丸くしていただろう。

 まさか、俺と同じものをクレアが持っていたとは思わなかったからだ。


「実は朝にテレサ先生から渡されたんだけど、その時に今回アイガと合同で任務だって教えてもらったの。だから一緒に学長室に行こうと思ってここで待っていたんだ」


 成程。そういうことか。

 しかし、俺はこの手紙をデイジーが受け取ったが何も言われなかった。

 釈然としないが、納得はできる。

 きっとシャロンかデイジーの思惑だろう。実に下らないサプライズだ。


 それにしても……クレアと合同で任務。

 アルノーの森以来だ。

 正直、嬉しい。


 任務とはある種危険なものだ。

 できる限りそうした危険からクレアを守りたいのだが、クレアの強さを鑑みれば学生が熟す程度の任務で危険などはあり得ないだろう。

 最近はそうした考えに至るようになった。

 俺もこの世界に少しだけ順応したのかもしれない。


 そして、任務にかこつけてクレアと共に遠出できるという現状。それはもうデ……


「アイガ?」


 不意に呼ばれ、俺は邪な思考を捨て去った。


「いや……なんでもない」

「もしかして……一緒に任務するの……いや?」


 クレアの泣きそうな顔が俺の心の弱い部分をふわりと撫でていった。


「そんなことないよ! クレアと一緒ならどこだって嬉しいよ」


 俺の言葉にクレアがにっこりと笑った。

 その時にまた同じ部分をふわりと何かが撫でていく。さっきよりも強い力で。


 きっと俺は今顔が赤くなっているかもしれない。

 俺は咄嗟に窓の外を眺める。

 窓に反射する陽光の所為にしたくて。


「ん?」

「どうしたの、アイガ?」


 不意に見た窓の外。

 その風景におかしなものがあった。


 異物。

 学校にあってはならない異物がそこにあった。


 兄貴だ。

 王都護衛部隊五番小隊隊長、アンドリュー・スタンフィールドがそこにいたのだ。


「あ」


 俺の視線を追ってクレアも兄貴の姿を視認した。

 瞬間、クレアの目の輝きが曇る。


 マズい。

 消えかけていた爆弾の導火線にどうやらまた火が点きだしたようだ。


 忘れていた疲労感が再び俺の肩に圧し掛かる。

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