第183話 兄貴退場

 兄貴は右手に持つ酒を豪快に飲んだ。あまりにも似合うその姿は海賊や山賊といった賊の字が似合う無法者に見えてしまう。

 街を守る正義の味方のはずなのに。


「ガイザード王国には大都市と呼ばれる場所が全部で三つある。首都を除いてな。レクック・シティはその三つで唯一、王都護衛部隊の常駐部隊がいない大都市だったんだ」


 兄貴は酒を飲みほしてからそう説明してくれた。

 その貌はいつもの兄貴の顔になっている。


「そうなのか? クレア」


 俺はクレアに尋ねた。その辺りのことはわからないからだ。

 加えて、都市と呼ばれるものが三つあることも知らなかった。


「うん、そうだよ。前はいたらしいんだけど、私が学園に入るためにこっちに引っ越してきた時にはもういなかったなぁ~」


 クレア曰く、そのことは気にはなっていたがそれでも平和だったため、そんなものか、と思っていたらしい。

 まぁ、まほろばの所為でその思いも崩れることになったのだが。


 俺は兄貴に視線を戻す。


「そういうことだ。本来、それは異常事態だったんだが……まぁ、色々あって棚上げされていたのさ。だが、レクック・シティの近くのディアレス学園で何度もテロ行為が勃発しちまって、流石にマズいってことで俺たち五番小隊がこの街の常駐になったわけだ」


 兄貴はそう言って空になった酒瓶を放り投げた。

 瓶は円を描きながら、街角にあったゴミ箱にスポッと入る。これは魔法じゃない。兄貴の単純な技巧のなせる技だ。


 ただ、あまりに役に立つものではないな。

 酒瓶からこぼれた雫が遅れて地面を濡らす。


「この街に来れば、おいおいお前に会えると思っていたが、まさかこんなに早く会えるとは思わなかった。これも縁だな」


 兄貴はそう言ってにっこりと笑う。

 これは俺も同意見だ。


 まさかこのような形で兄貴と再会できるとは夢にも思わなかった。


「それにしても……」


 兄貴はポケットから細い干し肉を取り出し口に噛む。あれはビーフジャーキーみたいなもので兄貴の好物だ。

 昔からよく口に咥えていた。

 これと酒の匂いが兄貴の匂いと言っても過言ではないくらい、兄貴はこれを好んでいる。


「嬢ちゃんがクレアちゃんか?」


 兄貴の視線がクレアに向く。

 そうか、まだちゃんと紹介していなかった。


「あ、改めまして、クレア・ヒナタです。アイガとは……」

「知っているよ。嬢ちゃんも異邦人なんだろ? アイガから粗方聞いているからな」


 マズい!

 兄貴にはクレアのことを教えているが、それはあまり露見したくない部分もある。というかそれしかない!


 俺が兄貴に視線を送ると、兄貴は悪戯な笑みで返してきた。


 その真意は一瞬では計れない。


「アイガはなんて言ってました?」


 クレアの質問は兄貴に向かって飛んだものなのに、俺の心の柔らかいところを擽っていった。

 嫌な予感がする。


「共に別世界から来た女の子だと聞いていた。とびっきりの可愛い子ちゃんだと聞いていたが、いやはやその通りだったよ」

「え? 可愛い?」

 

 クレアが笑顔になってくれたが、俺は冷や汗が止まらない。

 兄貴を見るその瞳はきっと困惑に塗れていただろう。


 兄貴はニッコリと笑っているが、きっと俺の真意は伝わっていない。


 それとまだ嫌な予感がしている。

 これは警報か?


「それにしても……アイガは胸の小さい子がタイプなんだな」


 あ……


「え?」


 クレアの声に怒りが滲む。


「俺は胸の大きい子が好みだから、アイガとは相容れないな。 ハハハハハハ」


 そうだった……

 兄貴は……

 基本的に……

 決定的に……

 致命的に……


 デリカシーがない。


 は!

 

 俺はクレアを望む。

 顔は笑顔のままだが、額には青筋が蠢動していた。

 明らかに怒っている。


「さて……そろそろ俺は行くわ。まだこの街に馴染めてないからな。市場調査も兼ねて胸の大きいカワイ子ちゃんをナンパ……じゃなくて街を案内してもらわないと。じゃあな」


 そう言って兄貴が広場の方へ向かおうとした時だった。


「馬鹿兄貴!」


 兄貴が突然吹っ飛んだ。


「え?」

「ほへ?」


 あまりに突然のことに俺とクレアは呆然とするしかない。

 兄貴は殴り飛ばされたのだ。

 そして、兄貴を殴り飛ばしたのは……


 大きな女性だった。

 兄貴の身長は二メートルと少し。その兄貴と同等か、それ以上の大きさ。

 加えて、兄貴と同じくらいの筋肉の鎧を纏っていた。

 王都護衛部隊の証である鎧を左肩、左胸、右腕、右足をカバーするように付けていて、それ以外の部分は兄貴と同じような革製のファッションだった。


 長い亜麻色の髪を後ろで束ねた浅黒い肌の女性。


 その女性が一撃で王都護衛部隊の隊長である兄貴を殴り飛ばしたのだ。

 余りのことに俺は驚愕するしかなかった。


「馬鹿兄貴! やっと見つけたぞ! どこで仕事をサボっていると思いきや、ナンパに勤しむとはいい度胸だな! アンタのハンコがないと書類が提出できないんだ! さっさと帰るぞ! 馬鹿が!」

 

 その女性は倒れている兄貴の首根っこを掴んだ。


「いや、待て! アマンダ! これは歴とした街の調査なんだ! 俺たちはまだこの街にきたばかりだ! だから市井の人に顔を覚えてもらうことやこの街そのものに詳しくなるという非常に需要な任務であり……」

「五月蠅い! すでに兄貴にナンパされたという苦情が数件来ているんだ! まだこの街に来たばかりなんだから問題を起こすな! 真面目に仕事をしろ!」


 女性の鬼気迫る怒声、そして正論にあの兄貴が押し黙った。

 あんな兄貴の姿を俺は初めて見る。


 俺の視線に気づき、女性がこちらを一瞥する。

 その顔はどこか兄貴に似ている……


 ん?

 あれ?

 兄貴にそっくりな顔立ちだ。


「あぁ、失礼。私はアマンダ・スタンフィールド。王都護衛部隊五番小隊副隊長だ。あと、この馬鹿の妹でもある。以後、お見知りおきを」

 

 そう言ってアマンダさんは頭を下げた。

 兄貴に妹がいたのは知らなかった。

 

 だが、兄貴に勝るとも劣らないその身体。加えてその兄貴を一撃で黙らせる迫力。

 成程、凄い人だというのが一発で分かった。


「本日はこの馬鹿兄貴が申し訳なかった」


 アマンダさんは兄貴を持ったまま丁寧に頭を下げる。

 俺は慌てて迷惑なんてなかったと否定するが、それでもアマンダさんは謝罪の言葉を述べられ続けた。

 あの兄貴とは正反対のよくできた妹さんだ。


「では、これにて失礼する。本当にすまなかった」


 アマンダさんは兄貴を引きずりながら歩いていった。

 兄貴は俺たちに救いを求める目をしていたが、俺はそれを無視した。

 まぁ、兄貴が悪いから仕方がない。


 なんというか、怒涛の連続だった。

 久方ぶりの邂逅だが、疲労の方が大きい。


 俺とクレアはまだ固まっていた。

 今まで起きたことを趨勢して処理するのに時間がかかっているからだろう。


「私……あの人のこと嫌いだな」


 ぼそりと呟いたその言葉が俺の心に深く突き刺さる。

 俺はクレアの方を見られなかった。


 冷汗はまだ止まらない。

 遠くの空にはまだ曇天が残っている。そこでは、遠雷がクレアの怒りに呼応するかのように鳴り響いていた。

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